四十三話 かちこみ
6
「……鏡の虚像って、どういうことですか、依琥乃」
「依小乃とは呼んでくれないのかしら?」
「……どう見ても依琥乃ですから。区別はできません」
「そう、せっかく考えたけど、誡らしいといえばらしいから、許してあげる。……そうね、どこから話したものかしらね」
たいして悲しくなさそうに依琥乃はベッドに腰かけた。隣を示され、私は素直に従う。
依琥乃は昔から、私のどんな質問にも答えた。そして時々は、自ら謎の講釈を始めることもある。私が魔法や呪いについての知識を有していたのはそのためだ。依琥乃は物知りで、だからこの状況についても説明してくれるだろうという期待があった。
「それじゃあ、順番は誡が選んでいいわ。
一つ、この空間について。
二つ、私はいったいなんなのか。
三つ、廊下の化け物はなんなのか。
四つ、どうすればここから出られるのか。
五つ、ここで誡がすべきことはなんなのか。
さあ、どれから話しましょうか?」
指を五本ともかかげ、依琥乃は問う。懐かしいやり取りだ。こういう話し方をする少女なのだと、どうしてかいままで忘れていた。
「……依琥乃の話やすい順番で結構ですよ」
私は全てにおいて何も把握できていない。なら依琥乃の説明しやすい順番でやってもらったほうがいいだろう。
だが、依琥乃は少し難色を示した。
「相変わらず、そういうとこ受け身なのね、誡は。複雑だけどちょっと安心したわ。変わってほしいけど、あまり変わりすぎるのも──、うん? ちょっと待って、予想していたよりも展開が早いようね。なにか予想外の分子が…………。そう──有巻。あなたなの」
「……どうかしましたか」
言葉が途中から独り言に代わった依琥乃に呼びかける。後半はもう聞き取れない。難しい顔をしていた依琥乃は、私の声で顔を上げ、なんでもないというように首を振った。
「ううん。こっちの話よ。賢悟君も宍粟も、私が考えていたよりも誡との接触が早い理由がわかったっていうだけ」
聞き覚えのある名前が出てきて、意識に引っかかった。どうしてその名前達が依琥乃の口から出てくるのだ。
「……やはり、依琥乃が関わっているのですか」
「その辺はいつか奏繁が気づくだろうから、今はこの空間について話をしましょう」
問いただす気を削ぐ、きっぱりとした言葉だった。記憶を探れば私は、いつも依琥乃に大事な話をはぐらかされてきた気がする。
「…………依琥乃が、そう言うのなら」
だが依琥乃の言葉は大半が正しい。意地を通して話をこれ以上脱線させるのも本意ではなかった。
「それじゃあ、ここが何処なのかっていうところから話しましょうかね。
ずばり、ここは現実の世界ではないわ。そうね、精神世界みたいなものをイメージすれば早いかしら。誡の本体も、いまごろ病院で眠っているわ。ここにいるのはあくまで仮の姿にすぎないの」
そう言って、依琥乃が私のほっぺたを引っ張る。いや、普通に痛いのだけれど。肉体の感覚はある。だがそれも錯覚にすぎないということだろうか。
「え? だって心だって痛むものでしょう?」
当たり前のように言われて、私は疑問を引っ込めることしかできない。そうやって常識みたいに語られると口を挟めなくなる。理屈がどうこうではなく、依琥乃の言葉には妙な説得力があるのだ。
「といっても、ここで怪我したからって身体が怪我するわけじゃないわ。そこは安心して。正確に言えば、ここは大昔の術師によって創られたエネルギー収集のための術式の中なの。リアルな幻みたいなものね。
この術式、時間で定期的に作動するものだから、術者が死んだ後も起動しっぱなしなの。だから先に誡の役目を言ってしまうとね、誡にはこの術式を壊してほしいのよ」
「……それは、更科君の役割では」
更科君の用いる魔法。あれは全ての異常を消し去る魔法だ。病院の騒動の原因が術だというのならば、彼のほうが適任だろう。
けれどなぜか、依琥乃は否定の意を示した。
「奏繁の魔法じゃ根本的な解決にならないのよ。ほら、機械だっていきなり主電源を強制的に落としたら、駄目でしょう? きちんと手順を踏むのも大事なのよ」
「……はぁ」
指をくるくるしながら説明されるが、よくわからない。生返事しか返せなかった。
しかし依琥乃は気にした風でもなく元気よく続ける。
「この術式は、一言で言えば鏡の魔法でね。まず人の意識をこの空間に取り込む。それを鏡に映して情報取得して、その後きちんと型取って複製をつくる。そうして、意識自体は元の身体に返すって手順を踏んでいるの。
そして取られた複製は少しずつ空間に消化吸収されて、エネルギーに変換されていくというわけ。
だから実害がそこまであるわけじゃないのよね。魂に傷が入るわけでもないし。よく練られた術式だと思うわ。イーコノ賞をあげてもいいくらい」
「……ノーベル賞とかけてませんよねまさか、語感が最悪です」
私の指摘は聴こえていないらしい依琥乃はまだ説明を続ける。
「ちなみに誡は、まだ情報映されただけの状態ね。あの廊下の化け物に喰われることが、模りと同義よ」
「……つまり、ここから出るにはあの化け物に食べられる必要があると」
「もしくは術式を破壊するかね! というか、一度複製された魂は二度とこの空間に呼ばれなくなるから、まだ誡は食べられちゃだめよ。好奇心は抑えて!」
そんな冒険心は持ち合わせていません。嫌悪感のほうが勝ります。
というか、あれのどこが鏡だというのだ。むしろ泥かヘドロかという感じだったのだが。
いろいろ言いたいことはあるものの、全て飲み込んで事態に関係のあることだけを尋ねる。
「……それならば、依琥乃は今どういう状態なのですか」
鏡によって複製された後に魂の欠片が身体に戻るというのならば、その後でないと現実の身体は目覚めないということではないか。
依琥乃は死んだ。十九歳の姿で。
ならば、私の目の前にいる幼い彼女は?
じっと依琥乃を見つめる。微笑みを浮かべた彼女は、私の手に自分の手を重ね、なんてことないという風に話す。
「私は複製品よ。十四歳で入院したときに模られちゃったの。本物の私はとっくに目覚めて、病院を出たはずよ。
だから言ったでしょう、本物の依琥乃ではないと。まあ、複製はただのエネルギーの素として吸収されるのが基本なんだけど、私の場合いつまでたっても自我が消えなかったから、吐き出されちゃったのよね」
依琥乃の言葉に私は納得した。つまり自己主張が強すぎて消化しきれなかったというわけか。なるほどなるほど。
「なんだか失礼なこと考えてない?」
「……いえなにも」
むしろ依琥乃らしいなと感心するばかりである。
頬を膨らませ、微妙に拗ねてしまった依琥乃の頭を撫でてご機嫌をとる。こうして触れると、複製だとは感じない。髪の質感、伝わる体温、全てにおいて、本物のようだ。偽物には到底思えない。
それでも、彼女は鏡に映った虚像。本当の伊神依琥乃ではないのだ。どれほど真に迫ろうと、本物の依琥乃はもうこの世にはいない。更科君から電話を貰ってそれを知り、葬式にも出席した。けれど……。
「どうしたの? 誡。いつまで撫でてるのよ」
「……いいえ。どうもしませんよ、依琥乃」
もう一度、彼女に向かって名を呼べる日が来るとは思わなかったから。
「……少しだけ。………………感触が近所の犬に似ているなと」
「それは褒めているの? 貶しているの?」
「……おそらく褒めています」
「おそらくって何よ!?」
浮かんだ何かを言葉にできなくて、誤魔化してしまう。こういう時、人はなんと言うのだろう。わからない。
撫で続けているとさすがに手を払われた。なんだか名残惜しい。
「もう、誡ったら私が可愛いからって。というか今まで空気を読んで黙ってたけど、その服どうしたの? 可愛いすぎてついに天使がお迎えに来たのかと思ったわ」
そういえば、眼帯はないのに服装は病院を訪ねた時のままだ。ふとももには銃もしっかり装備されている。
「……玖玲葉さんが着て行けと」
「玖玲葉さんナイス!!」
宙に向かって渾身のガッツポーズだった。その方角だと玖玲葉さんの眼科とは正反対なのだが……。いや、そもそもここは現実の世界ではなかった。方角は関係ないのかもしれない。
依琥乃は宙に謎の感謝を捧げている。何を誰に捧げているのだろう。依琥乃に限ってまさか神ではあるまい。なら玖玲葉さんか。
「ふっ。少し、はしゃぎすぎたわ。で、説明をまとめるとね」
「……相変わらず変わり身の早い」
「パソコンで例えるとわかりやすいかしら。
ここをパソコンの中だとすると、人間がUSB。そして中のデータが人の意識ね。USBをパソコンに挿すと、データが見れるでしょう? それが今の誡の状態。
USBからデータをパソコン本体にコピーするのが、鏡に映ること。そして、ファイルの中にコピーされたデータを保存して、複製が完了。これが化け物に喰われた時点の状態ね。
そうして、USBはパソコンから取り出して終わり。意識自体はなんの変わりなく身体に戻るってわけ。
この喩えでいけば、私はファイルから放り出されてデスクトップに表示されてる文書みたいなものかしらね」
ファイルの中に入れられたデータは、少しずつ消化され、パソコンを動かす電力に変換されていくということだろうか。
なるほど。それなら身体に危害は加わらない。稀癌が反応しなかったのはそのためか。
「誡は魂の記録って覚えてる?」
「……確か、魂が経験してきた情報でしたか」
昔そういう説明を受けたことがある気がする。
「そうそう。何度も生まれ変わる人間の、その全ての情報を保存したもの。それが魂の記録。
現世や前世、そのもっと昔の、最初の生命のものまで、その魂の全てが記録されてるわ。
この術式は魂の記録の中で最も強く刻まれた記録を写し取って再生することでエネルギーを生んでいるの。人の感情ってそれだけでエネルギーになるからね。データはデータでも映像データなのよ」
それで説明は終わりだったのか、依琥乃はおもむろに立ち上がった。そして私の正面にまわる。そうして下されたのは、懐かしき、依琥乃の指令だった。
「これから誡には、鏡を破壊してもらわなくちゃならないの。今まで作られた複製は全てその中にある。まずは、廊下の化け物の背後にある鏡に飛び込んでもらうわ」
「……壊すのに、飛び込むのですか」
「うん、そっちは見せかけの鏡だから。まあ、窓口みたいなものね。その一番奥に、この術式を司る本物の鏡があるから、それを銃で割っちゃって。途中で複製の世界が再生されるだろうけど、方向を気にせず真っすぐ歩いてれば、たどり着くわ。
ちなみに複製されてから時間が経っている、古い物から順番に見えるはずよ。そして、古いやつは消化が進んでいるからすぐに終わる。逆に新しいのはちょっと長いかもしれないわね。鏡までの目安にするといいわ」
「……つまり、窓口から社内に入り、会社の歴史を見せられようやく社長室に案内される新入社員の心持で臨めばいいのですね」
「流れは間違ってはいないけど。その喩えだと社長の暗殺に忍び込んだスパイみたいよ」
呆れたように注意されるが、間違っていないならばいいのではないだろうか。
久々の指令にどうしてか落ち着かない。お使いを頼まれた子供のような感覚だ。ということは依琥乃はお母さん。なんだかすごい無茶ぶりなお使いを頼まれそうだ……。
「んじゃあ、ちゃっちゃと行きましょう」
「……待ってください依琥乃。化け物の背後にある鏡に飛び込むのでしたよね。どうやって飛び込むのですか」
さっそく扉を開けて廊下に出ようとした依琥乃を呼び止める。
あの顔の化け物は結構な大きさだった。横幅は廊下の幅とほぼ同じ、高さは成人男性程度だったはずだ。喰われてはいけないなら、どうやってその背後に回り込むのだ。
「それはほら、アイツすごい速さで迫って来るから、タイミング合わせて飛び越えちゃえばいいのよ。アイツの背後一面鏡だから超えちゃえば落下するだけのお手軽よ」
そんなバンジーみたいに言われても。
「……通り過ぎてから飛び込むことはできないのですか」
この部屋に逃げ込んだ時、あの化け物はそのまま廊下を突き進んでいった。ならそのタイミングを掴めばいけるのでは。
「それ走る車に飛び乗れって言ってるようなものじゃない」
言われて、確かにと首肯する。確かにそれは、成功してもちょっと痛い。
「はいはい、出る、走る、飛ぶ、行けー!」
「わっ」
背中を押されて廊下に出る。すると今度は、すぐにあの音が近づいてきた。
「じゃあいってらっしゃい!」
病室の中から笑顔で手を振る依琥乃。ああ、依琥乃は付いてこないのか。
では、ここからは私一人だ。
懐かしい親友に見送られて、私は廊下で助走をつけた。迫る顔面を捉え、壁に向かって飛ぶ。壁を蹴って化け物を避けると、私はそのまま光沢のある床に落ちて行った。
「あ、言い忘れてたけど、そこに映った時点で魂の記録写されちゃうからー!」
「……そういうのは先に言──」
最後まで言い終わる前に、私の身体は鏡の中に入っていってしまった。そうして、私の意識はまたしても闇の中へと落ちていったのだった。
-4
────この村にはもう一つ言い伝えがある。
それは龍を喰らった人間が、生まれ変わってまたこの村へ現れるというものだ。
龍を喰らった人間は、その身体に龍の形をした痣を持って生まれるという。
その子どもは神を食べた罰当たりな忌み子であり、同時に龍をその身に宿した神聖な存在でもある。そんな矛盾は村人の中でどう解釈されていたのか、実のところ、私はよく理解してはいない。
それがどれほど不確かで、人の偏見に包まれた愚かなものなのかなど、忌み子ではない私には真に理解することなどできなかったのだ。
そうして私が五歳の時、その子どもは現れた。腕に細長い痣を持った捨て子。
どこから来たのかと問うても、なにも答えない。結局、迷い家からやってきた異界の子ということで、大人たちは決着をつけた。
そして村人たちは、ついに伝説の生まれかわりが現れたと、集会を開いた。
忌み子であるからには歓迎することなどできない。しかし、龍神様を宿している以上、捨て置くことも神の怒りに触れかねない。
話し合いの結果、捨て子は龍神の信者の下でその後五年間、保護されることになった。
そうして私の家にやって来たのは、私と同じくらいの年のころの、いつも苦笑を浮かべている少年だった。




