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哀傷ゾルレン  作者: まじりモコ
第三章 枯野の鮮血
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三十一話 小さな違和感



         7


「これでいい」

 そう言って、化け物は立ち上がった。そうしてそのまま立ち去ろうとする。

 だからボクは急いで男に走り寄り、その足にしがみついた。

「っは? これはいったいどういうことだ?」

 まるで死体が動いたとでも言いたそうに眉を吊り上げた男は、再び屈み、ボクの眼を覗き込む。

「失敗したというのか。この俺が」

 そのままぶつぶつと意味の分からないことを呟き続けている。

 相手の思考が終わるまで待とうかとも思ったが、そもそもボクはこいつに遠慮する必要はないのではないだろうか。うん。なら、手早く要件を伝えよう。

「行き場がない。せめて連れていけ、責任取れ」

「は?」

 集まっていた親類縁者を全て喰われたボクに、(ろく)な未来は用意されていないだろう。このままでは明日を生きるのも難しい。そう考えての発言だったが、男はそもそもボクの話など聞いていなかったらしい。

「なんだこいつは。記憶抹消が効いていない? いや、そもそもさっきから──まさか、こいつ、《《イレギュラー》》か?」

 そのまま体のあちこちをベタベタと触られる。おかげで、男の手についていた血がボクの服にもついてしまった。ほっぺたのヌメヌメを服の袖で拭いていると、男は一人納得したようで、頷いて立ち上がった。

 そしてボクを見下ろして言う。

「いいだろう。責任を果たそうではないか。ただし、一つ交換条件がある」

 人の身内をこの世から消し去った男は理不尽にもそう宣言し、ボクに手を差し伸べた。

 その手を取る以外、生きる道はない。そう信じていたボクは男に頷き、白くて大きな骨ばったその手を取ったのだった。


         7


 翌日、警察に提供された資料により、少年の素性がわかったらしい。


 (うるし)賢悟(けんご)、十七歳。県内の県立高校に通う男子生徒だった。彼の両親とその他親類は、漆少年が五歳の頃、謎の事件に巻き込まれ、今も死体すらみつかっていない。射牒(いちょう)さんは「未解決事件だ」と多くを語らなかったという。


 少年はその後一週間行方不明となり、深夜の公園にて血まみれの姿で発見された。血は全て、彼の親類縁者のものだった。

 少なくとも、その事件は少年の心に大きな傷を負わせたんだろう。行方不明になっていた間のことは、少年が語らないため誰にもわからない。

 精神鑑定の結果、身寄りの無い漆賢悟は、精神疾患の児童を受け入れている養護施設へと預けられた。成長後に数か月ほど、例の病院にも通っていたらしい。湯苅部(ゆかりべ)仕種(しぐさ)が少年を見たのはその時だろうということだった。



「精神分裂病──今は統合失調症と言うんだったか。漆少年はとにかくそれらしい。近親者の死を間近で見たことによる慢性的な心因性精神障害、もしくは内因精神障害としての区分の精神分裂病だな。

 普段は比較的軽度だったが、何かの拍子で精神病レベルまで陥ることがあったという。こういうのを、確か境界例レベルというんだったか? まあ、正確なことまではわからない。私は臨床心理を(かじ)っただけの素人だからな。正直、カルテを見てもちんぷんかんぷんだよ。

 ──そこでだ。当局はいまだ犯人を坂野有巻(ありまき)と断定して捜索を行っている。私は別件を思い出した。だから、ここはお前たちに少しお使いを頼まれて欲しいんだ。それで、お前たちが誰かを匿っていることに関してはチャラにしてやる。

 一緒に添付してあるのが、漆賢悟が住んでいる施設の住所だ。漆は現在捜索願が出されていて不在だ。だから、失踪前の詳しい近況を聴きに行ってもらえないか。できれば上の奴らを説得できる程度の情報を持ち帰ってもらえると助かる。よろしく頼むよ」




「……というわけです」


 いきなりタクシーに乗せられどこに連れていかれるかと思えば、それは見知らぬ建物だった。木々に囲まれた二階建てのどこにでもある外見の建物。特にこれといった特徴も無く、表札には蔦が絡まり文字がよく見えない。ここが、漆少年が居た施設なのだろうか。


 タクシーを降りた誡は自分(ぼく)(うなが)し、建物の入り口に向かう。


 自分(ぼく)も慌てて後を追い、中に入った。重たい西洋風の扉を開け中に入る。正面玄関からはすぐにリビングがあり、右側には階段とトイレがあった。リビングの奥にはいくつかの扉があり、右手の奥には廊下が続いている。


 自分(ぼく)らのことは、射牒さんが事前に話をつけていてくれたらしい。施設の職員と(おぼ)しき老婦人は、年若い身分不詳の自分(ぼく)らを特に警戒するでもなく、普通に中を案内してくれた。


 説明によれば、右手の廊下の奥と二階は、引き取った子供たちの居住区であるらしい。誡が漆少年の部屋が見たいと言うと、二階へと案内された。


 収容者の過ごす部屋は二人で一部屋が原則らしいが、漆少年の同室の子供は現在出かけているらしく、入室の許可も事前にとってあるらしい。


 スライド式の大きな扉を開けて中に入る。六畳ほどの広さの空間に、二段ベッドと、机と本棚が二つずつ。教科書や学校の荷物が乱雑に散らかっている。漆少年の相部屋は、どうやら小学生の男子らしい。机の上にランドセルが置かれていた。


 なんだか、高校の頃に遊びに行った寮生の部屋に似ている。未成年者が集団生活を送るならば、どこも同じような造りにならざるを得ないのだろうか。


「部屋の中って、一瞬間前から片付けたりはしてないんですか?」


「そうねぇ、少なくとも私達職員は誰も触っていないわ。そういうの、すぐに気づいて神経質になってしまう子もいるから、原則子供たちの荷物には触らないようにしてるの」


「そうですか」


 一度質問されて気が緩んだのか、口数の少なかった女性職員は少しずつ自分(ぼく)らへ話しかけるようになった。


 自分(ぼく)が彼女の話を聞いている間、誡は漆少年の机や手荷物を手に取って眺めていた。机に広げられたノートをパラパラとめくる。無表情なので、誡がなにを考えて漁っているのかはわからない。しかし、少年の行方に関わりそうな情報を探しているのは間違いないだろう。


「つまり、ひと月ほど前から様子がおかしかったんですね」


 職員さんにそう相槌を打つと、彼女は頬に手を当てため息をついた。


「そうなのよ。賢悟君は確かに気性にムラのある子だったけど、基本的にはいつも安定してたわ。けど、ひと月ほど前から外出が減って、部屋の中に籠るようになったの。

 それだけならまだいいんだけど、ほら、年頃の男の子でしょう? そういうこともあるもの。けど、なんだか様子がおかしくて、いつもぶつぶつ何か呟いてて、誰もいない場所に向かって話しかけてることもあったわ」


 誡が小さな地球儀を回す。いやいや、まさか外国に高飛びなんてできないだろう。


「他に何か気が付いた点などありませんか?」


「そうねぇ。あ、これは私じゃなくて、他の子が言ってたんだけどね。賢悟君、二週間くらい前から、誰かを探すような挙動をしてたらしいの。それで彼の呟きに耳を澄ませてみたら、

『思い出せない。忘れてる。思い出せない』

 って、ずっと繰り返してたのよ。だから賢悟君が帰ってこなかったときも、私達は、ああ、誰かを探しにいったんだなって、納得してしまったというわけなの」


 思い出せない、忘れている……? いったいなにをだ? それが原因で漆少年は失踪したというのだろうか。


 ひと月前から疾患の症状が悪化しているのも気になる。その時なにかが彼の身に起こったのだろか。でもそれなら、なぜひと月も間が空いていたんだ? それに誰かを探していたというのも引っかかる。

 いったい漆少年は何を考えて姿を消したんだろう。それが分かれば潜伏場所もある程度絞れると思うんだけど……。


 自分(ぼく)が考え込んでいると、誡が本棚の本を一冊ずつ手に取ってめくっているのが見えた。本棚には雑貨が多く置かれ、書物の類は十数冊しかない。なにか挟まっていたり、書き込みが無いか確認しているのだろう。


 なんとなく彼女の動きを目で追いながら職員さんとそのまま会話をした。けれど、それ以上の情報は特になかった。


 そろそろ昼が近づいてきた。部屋の外を他の職員が慌ただしく歩き去っていくのが見える。そろそろこの老婦人も仕事に戻らねばならないようだった。自分(ぼく)らはお(いとま)するべきだろう。


 帰ろうか、と誡に声を掛けようとして、一瞬、彼女の動きに違和感を感じた。一冊ずつ本を手にとっていた誡。けれど、なぜか彼女は一冊飛ばして次の本を手に取った。それは分厚めのスケジュール帖のような装丁(そうてい)の本だ。誡のことだ、まさか持ち主に遠慮したというわけじゃないだろう。


 少し疑問を覚えて、誡に近づいた。


「それは確認しなくていいの?」


 指さして問う。すると、誡はほんの少し、不思議そうに自分(ぼく)を見返した。


「……全て確認しましたよ」


 彼女の瞳が、冗談ではないと告げて来る。


 実は最初に確認していて、自分(ぼく)がそれに気が付かなかっただけ、ということだろうか。


 さらに自分(ぼく)は続けようとしたが、それは老婦人に遮られた。


「ごめんなさい、お二人さん。そろそろ人手が足りなくなるから、もういいかしら」


「あ、はい。すみません」


「…………」


 誡は、何事もなかったように部屋を出ていく。なぜか自分(ぼく)はどうしても気になって、その小さめの分厚いスケジュール帖を抜き取って、婦人を呼び止めた。


「あの、これお借りしてもいいですか?」


 職員としての管理義務があるのだろう。婦人は嫌な顔をしたが、自分(ぼく)が「責任はこちらでもちますから」と言うと、渋々承諾してくれた。階段を下りながら、借りた本をバッグに詰めて、先を行く誡の後を追う。


 そうして自分(ぼく)らは誰にも見送られることなく、施設を後にした。




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