三十二話 放浪者
8
「そっちに行った! 捕まえるんだ!」
「はいっ!」
響く指図に頷いて僕はビルの二階から飛び降りた。先輩から逃げるために狭い路地を駆けていた対象が、降って来た僕を見て急停止する。明かりが乏しく、顔はよく見えない。
けど、今はそんなことどうでもいい。日本人らしい身長をした少年に向けて僕は捕獲網を発射させた。小さめの筒から大きく広がった網が少年を捉える。
(捕った!)
タイミングはばっちりだった。思わずガッツポーズを取りたくなる。がしかし、暗闇で何かが光った。
「なっ!?」
鋼鉄でできた連盟特製の捕獲網がバラバラになった。少年は唖然とする僕を押しのけて路地から逃げ出す。
「それが稀癌だっ。追え!」
半ば罵声に近い怒鳴り声に、僕は駆けだした。
日本の地方都市の、とある田舎町。狭い土地に小さな工場が隣接して乱立する地区で、僕と先輩は稀癌罹患者を追っていた。
対象は、この周囲で器物破損と傷害事件を起こしていた少年だ。
僕らの仕事は速さが命だ。事件を起こした稀癌罹患者が次の事件を起こす前に始末する。それが魔術連盟稀癌罹患者対策部所属の厳罰人の仕事であり、神秘と一般人との間の平和を保つ使命でもあった。
日本支部から要請を受け派遣されたのが僕と先輩だ。“狂った”稀癌罹患者にはもはや人権などない。それ以上の悲劇を生まないためにも、殺してしまわなくてはならないのだ。
といっても、僕にとってはこれが初めての仕事だ。あまり実感は湧かない。
とりあえず対象を取り押さえ、確実に“狂っている”という数値を計測しなくてはならない。それをしなくては、ただの殺人になってしまう。連盟は各国の刑事組織と強く結びついている。面倒だが、手順というものはきっちり踏まなくてはならない。
少年の背中を追って走る。大きな橋に差し掛かった。少年の足は予想以上に速い。このままだと追いつけない。
「くそっ、こうなったら!」
僕は懐から赤色のビー玉を取り出した。そこには術式が刻み込まれている。ビー玉を放り、短い詠唱を行う。
「mars!」
小さな球体を惑星に見立てた天体魔術。僕の得意とする即興魔術だ。すでに術式をビー玉に刻んでいるから、詠唱が最低限で済む。
火を司る惑星の名を叫ぶと、ビー玉は火の弾へと変貌し、少年の元へと飛んでゆく。
「あれっ?」
想定よりも火の弾が小さい。少年のもとにたどり着く頃には、空気抵抗を受けてとても小さな弾になっていた。
背に弾を受けて少年がよろけた。火が背中に着火する。それを見て取った少年は、躊躇うことなく橋から身を躍らせた。
急いで欄干から身を乗り出し下を見る。しかし、水量の多い川は流れも速く、すでに少年の姿はどこにも見えなかった。
これ、まさか失態…………。
「見事に逃げられたな」
「せ、先輩っ」
背後からのっそりと現れたのは、新人の僕に追跡を任せてサポートに徹していた先輩だった。端正なその顔には、明らかに失望が浮かんでいる。
「はぁ。魔術の詠唱は、その土地に合った言葉で行わなくては威力が大幅に削られてしまうと、座学の教師は教えてくれなかったのかな?」
「と、咄嗟で、つい母国語を……」
もちろん、優秀な術者であれば数か国語を習得しているのは当たり前だ。僕自身、日本語に不自由はない。それでも急に脳内変換ができない時もあるのだ。
「最近は首席卒業者ですら、術の基本が身体に叩き込まれていないようだ。……対象者は逃亡、今からでは追いつけない。明日は捜索を一からやることになる」
「し、失礼しました」
顔が青ざめていくのが自分でもわかる。これは、土地柄的に土下座というものを実践しなくてはならないのではないか?
しかし、先輩はため息をつくだけで、すぐに踵を返した。
「ホテルに戻ろう。これ以上は徒労になる。さっさと眠って、反省は明日だよ」
「わかりました」
先輩の後ついて行く。ホテルに着くまでの間、僕は先輩の一挙一動にビクビクする羽目になったのだった。
9
暗い夜道を歩く。警察が通りはしないかと恐れおののきながらの行進だ。
「たく、コンビニくらい自分で行って欲しいぜ。この歳でお使いもなんもねぇっての。オレの立場を考えてほしいね」
一人ごちながら、下げた袋を覗き込んだ。十ミリの煙草と、安いミネラルウォーター。これくらい明日まで我慢すればいいものを。
奏繁の家から追い出されたオレは、現在とある人物の所でお世話になっている。その人物はとても自分勝手で傍若無人だ。匿ってくれとやって来た人間に使いをさせる程度には。
まだ深夜と呼ぶべき時間じゃない。けど、人通りは少なかった。今はあまり人に会いたくないので、ほっと溜息が漏れた。
川辺をそぞろ歩きしつつ吹く風の生温さに身震いしていると、それが見えた。
「ん?」
川の淵、ほんの少し作られた岸辺に何かが引っかかっている。近づき、よく目を凝らしてみると、それは人だった。
上半身だけ出し、腹部から下は川の中だ。人間はうつぶせのまま、まったく動かない。よく見ないとマネキンと見間違えそうだ。もう五月と言えども川の水はまだ冷たい。夜ならばなおさら。
あれ、あのままだとヤバイんじゃ……。でも俺は追われてる身だし、あまり騒ぎになるようなことには近づかないほうが……。
「あああ! くっそ!」
うだうだ考えても答えはでない。
オレは急な傾斜を滑り降り、人間の元へたどり着いた。近づいても全く動かない。一瞬焦ったが、胸が上下しているのに気づいて、胸をなでおろした。
薄手のコートを羽織ったその人間はどうやら少年のようだった。服はびしょびしょ、泥に汚れ、背中の部分に謎の焼け焦げがあるものの、怪我はないようだった
「おーい。起きろー。こんなことで寝てんじゃねぇー」
小声でそう言いつつ、少年を揺する。揺すりながら考えた。どうしてコイツはこんなことになってんだ? 少なくとも、まともに生きてたらこんなことにはならんだろ。もしかしたら、コイツもオレみたいな生活をしてたんだろうか。
しばらく揺すっていると、うめき声が聞こえた。それで手を止める。少年はゆっくりと身体を起こし辺りを見回した。そしてオレを視止めて少し後ずさる。
「大丈夫か?」
そう訊くと、少年が小さく頷いた。彼が緊張していた身体の力を抜いたのがオレにも分かった。
ああ、たぶん自分でも状況がわかってないんだなと理解し、できるだけ順序立てて話しかける。
「死んでるのかと思って声かけたんだ。生きてんならよかったよ。こんなとこでなにやってたんだ?」
とりあえず水から出た少年は、オレの問いかけに、また少し警戒する。だが俺が恩人なのだと気づいたようで、目線を泳がせつつもいちおう答えた。
「ボク、怖い人たちに追いかけられて、川に落ちて、……それからはわからない」
「ふーん。そっか」
ああ、やっぱりコイツはオレと同類か。オレも何度かヤバイ奴らに目をつけられて追われたことがある。コイツも同じようなもんなのだろう。成人はしてないように見えるが、まだ学生だろうか。こんな若いうちからそんな世界にいたら、絶対に後悔する。……今のオレみたいに。
「なあ、そういう生活は、止めたほうがいいぜ」
気が付くと、お節介にもついそう言っていた。少年が不思議そうにオレを見る。なにも自覚していない顔だ。それは昔のオレのようで、無性に虚しくなった。
だから続けた。
「そういうのはさ、だんだん自分が辛くなっていくんだ。オレもちょっと前まで同じような感じだったからわかるんだよ。
いつか後悔する時が絶対来る。ちょっとでも合わないと思ったなら、今のうちに抜けたほうがいい。オレも、ついこの間、抜けたから。なんだったら相談乗るし」
「どうして?」
「え?」
なんだか恥ずかしくなって早口になっていたオレに、少年は首を傾げて訊いてくる。
「どうして、抜けたの? なにかあったの?」
予想していた反応のどれとも違う言葉に、オレは少し動揺した。けど、もしかしたらこの問いがコイツにとって大切なことなのかもしれないと思って、オレは素直に言った。
「葬式がさ、あったんだ。でも、オレはちゃんとした礼服なんて持ってなかったし、包む金もない。親にも勘当されてっから集まってる親戚、誰にも頼れなくて。外からずっと、葬式が終わるまで待ってるしかなかった」
小さな葬儀場と、狭い駐車場に押し詰めるみたいに並んだたくさんの車。視界はなんだかモノクロで、空は晴れ渡ってたのになんだか曇り空に見えた。
「霊柩車で運ばれてく棺を見てさ、追いかけたんだ、車なんかないから走って。やっと着いたと思ったら、火葬場からみんな出てきてて、全部終わってた。
見送ってやりたかったのに、それすらできなくて。空に細く登って消える煙が、最後に少しだけ見えた。泣きそうだったよ。恥ずかしくて、悔しくて。それで、まともに生きようって、そう思ったんだ」
このことを誰かに話すのは初めてだった。力になってくれた射牒さんにすら話していない。けど、もしかしたらオレは、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
人に話して否定されるにしては大切すぎて、一人で抱え続けるには、少し寂しすぎる記憶だった。
「誰の葬式だったの?」
「……もう、覚えてねぇけど、たぶんすげぇ大切な奴だったよ」
少年の質問に、そう返答した。
少しずつ記憶は薄まり細部は怪しく、肝心の顔が思い出せなくなっても、大切にはかわりない。
「忘れてしまったの?」
また少年が質問する。なんだか小さな子供を相手にしているような錯覚を覚える。けど目の前に座っているのは、身長だけ見れば俺より大きな少年だ。
「ボクも、なにか忘れてしまったんだ。とても大切だったはずのもの。忘れたくなかったのに、もう思い出せない。
だから思い出したいんだ。ボクが何を大切に想い、何を失くしてしまったのか。たとえ二度と手に入らなくっても、せめて、記憶に閉じ込めていたい」
オレが答えに窮していると、少年は震えながらそう言った。あまりに深刻そうに言うから、オレはなんだか怖くなってしまった。それは、少年がずぶぬれで、生きてる感覚が少なかったからだろう。
「人間生きてればなんでも忘れてくものさ。良いも悪いもな。オレなんかちょっと忘れ物して取りに戻ったら犯罪者扱いだぜ? こっちは巻き込まれただけだってのに」
心に浮かんだ恐怖を、ことさら明るくはぐらかす。
同時に、オレが今追われる原因となったあの夜を思い出して、ちょっとだけ、しんみりとした。
「どうして人はとっさに人を傷つけてしまうんだろうな」
「…………相手より強くあるための証明じゃないかな」
独り言のつもりだったが、少年は自分に質問されたと思ったのだろう。そう答えた。
なるほど。そういう考え方もあるのか。
けど、みんながみんなそんな考え方だったら、この世界はもっと暴力で溢れてるはずだ。きっと、人それぞれに考え方ってもんがあるんだろう。
オレがそのことに気が付いたのはつい最近だ。だから、あの無表情の少女にも、彼女なりの理屈があってああしているんだと思うと、いままでの自分の彼女への態度も反省しようと思えてくる。アイツも、オレのためになにかしてくれてるみたいだし。
どこかで犬が吠えた。長い長い遠吠えだ。それで思考の渦から引き戻され、オレははっとした。
こんな所で長時間話してて、もし人が通りかかったら怪しまれる。通報でもされたら目も当てられないじゃないか。
オレは慌てて立ち上がり、置いていたビニール袋を拾い上げた。
「とにかく、悔いのない選択をしろ。人間、行動あるのみだぜ」
それだけ言って、オレは少年を置いて傾斜を駆けのぼった。
「悔いのない行動……ぅぅ」
後ろでなにか呟きが聞こえたが、オレは振り向かずに帰路へと戻る。
そういえばあのコートには見覚えがあったようにも思えたが、オレは気にしなかった。
名前も知らない少年。きっと、二度と会うことはないだろう。




