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野生の牢獄  作者: 鴨野朗須斗
14人の漂流者たち
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二十七日目

 怒声が響いた。



「お前だけが……お前だけが不幸だなんて思うなっ!」

「うるさい」

「誰だって皆悲しいんだ、辛いんだよ! だけど必死で前を向こうとしてる!」

「うるさい、うるさいうるさいうるさい!」

「っ、雰囲気悪いんだよ、めそめそしてる奴がいると! いい加減前向け、このままじゃ鈴子と共倒れになるぞ!!」

「うるさい!」



 パシン、と軽い音が響く。真凛の右手は隼人が先日省吾に殴られた頬と同じ場所を正確に叩きつけた。ふさがりかけていたかさぶたがその衝撃ではがれ、彼の口元に一筋の赤が伝う。しかしそんなことは目に入らないのか、真凛は腫れあがった瞳を見開き涙をいっぱいに溜めて叫んだ。



「あんたは! ……あんたはわかんないのよ、あの場にいなかったあんたに、あたしの気持ちなんてわかるはずないっ!!」

「……ッ」

「そうやって現実から目を背けて、いつまでもヘラヘラしてればいいさ!」

「目を背けてるのはどっちだ……」



 隼人が吐き捨てるように呟く。その顔からはいつもの柔らかさが消え、むき出しの刃のような鋭さを湛えている。しかし真凛は怯まない。



「あたしだって言うの!? ねぇ、あたしが逃げてるっていいたいのそれ?」

「違うのかよ!」

「――ッ違わないわよ! 逃げたいわよ! 逃げれるものなら、高校時代に戻って皆でバカやって笑い合ってたころに戻りたい! だけど戻れない!」

「……戻れない。戻れるわけ、ないだろ」

「わかってる! だけどあたしはあんたみたいに割り切れない! …………ッ割り切って、なかったことになんかできない……」



 真凛は熱い砂の上へと崩れ落ちた。距離を取って二人の喧嘩を見つめていた面々には手出しできない何かがそこにはあった。

 隼人は泣くのを堪えるような顔で大きく息を吸って、ぐっと口元をへの字に結ぶ。それを何度か繰り返したのち、真凛の前にしゃがみこんで一冊のメモ帳を差し出した。



「……割り切ってない、僕だって割り切ってないさ。だけど生きていくためには嫌でも前を向かなきゃいけない。鈴子だって……こんなところでマリが挫けることなんて望んじゃいない」

「あ、あんたに鈴子の何がわかるのよ」

「わかるさ、友達なんだから。鈴子が何を思ってたかすべてを推し量ることはできない。だけど想像することはできる。誰かが酷く落ち込んだとき、鈴子はいつもどうしていた?」



 まぶたの裏に鈴子が蘇る。

 ――ああ、そうだ。あたしが泣いたとき鈴子はいつも不機嫌そうな仏頂面でこき下ろしたものだ。

 「終わったことなんだから、仕方ない、かな。他人に期待しても、無駄」と不器用な言葉で貶すのか慰めるのか、どっちとも取れない態度をとっていた。だけど、決して彼女は真凛の傍を離れようともしなかった。そうして涙をこすり落とした顔を見て、鈴子は笑うのだ。



「変な顔」

「う、うるさい!」



 隼人の笑い声に、反射的に真凛が叫ぶ。



「マリ、鈴子が日記を書いていたのを知ってた?」

「…………知らない」

「僕は、君が一番読むべきだと思うんだ」



 そういって渡された小さな紙の束は、真凛には随分と重く感じた。





 浜辺に残された隼人は、走り去る真凛の後姿を見送りながら小さく安堵のため息を吐いた。取り乱していたが彼女の手にはしっかりと鈴子の日記が握られている。いずれ真凛はあの日記を読むだろう。流れる血を拭おうとしない隼人に、省吾がいつも通りの無表情でごわついたタオルを差し出した。



「血、出てるぞ」

「……元はお前のせいだろ」



 省吾の顔にわずかな気まずさを読み取った隼人は、へらっと表情を崩して滲んだ血を拭ったい。鈴子の一件以来、二人の間には気まずさが満ちていた。お互い和解したいとは思っていても自分から折れることはしたくない。その感情は彼らの若さ故の意地だったり、居心地の悪さだったりと様々なものが入り混じってはいたが、そもそも隼人も省吾も自分の言い分が正しいと信じていた。

 鈴子を探しに行くべきだ、しかし仲間たちの安全を確保しなければならない。

 まとめてしてしまうと二人の言い分はこのように一致した。しかし、省吾は前者に重きを置き、隼人は後者を重視した。そんな小さなすれ違いがあの大きな不一致を生んでしまった。


 隼人は当時から己の言っていることが冷静を通り越して冷徹な判断であると自覚していた。仲間の安全を考慮した隼人は日が落ちた後の海に入ることを禁じ、彼の翌朝日が登ってから捜索すれば良いという意見は明確な言葉にしないまでも、高所から暗い海に落ちた鈴子を見捨てるという意味そのままであった。


 冷静になった省吾は隼人の言葉を思い返し、確かに一理あると渋々ながらも彼を認めた。月や星の光だけを頼りに潜った海は暗く冷たく、瞬時の省吾の体力を奪った。まとわりつく海藻も、とがった岩も、己の肌に触れるすべてが得体のしれない化け物のように彼を水の底に引きずり込み、寒さや恐怖から自然の体が震える。

 幸い省吾は無事浜に上がることができたが、大手を振って隼人に「俺の方が正しかった」などという無茶な結果論で詰め寄ることはできなかった。



「最近オレ、憎まれ役ばっかだな」

「……お前が正しい事言ってんのは、わかってる。だけどよ、はいそうですかって割り切れるもんじゃねえよ。でも、殴ったのは悪かった」

「省吾が目の前の事しか見えない直情型だってことはオレもよく知ってるし」

「馬鹿にしてんのか?」

「褒めてんだよ」



 どうだか、と彼は清潔な水を隼人に差し出しながら独り言ちた。





 人の死には慣れていない。

 物心ついた頃には両親と死別し、歳の離れた兄と二人だけで生活していた彰浩にとって死とは薄く透明な膜を隔てたような、どこか遠い世界の事象のように感じていた。

 確かに彼はこの島に来てからはいくつもの死を見てきている。しかし虚ろな表情で空虚を眺める死者たちは誰も彼も彰浩にとっては『見知らぬ他人』であり、生前の彼らを思い出すことはできない。

 だからこそ、自分は涙ひとつ零すことができないのだと彰浩は考えていた。


 しかし、立て続けに麟太郎と鈴子がいなくなってしまった。

 麟太郎は体が大きく不愛想な彰浩にも物怖じすることもなく、兄ちゃん、兄ちゃんと彼の後ろをついて回った。人懐こいあの少年が懐いていたのはもちろん彰浩だけではなかったが、子供に好かれた経験などない彰浩にとっては新鮮な出来事であったし、彼本人もあの小さな手を邪見にすることなでできる筈もなく、自然と距離も縮まった。

 鈴子とは4人で遠征に出かけるまでほとんどと言っていいほど言葉を交わしたことはなかったが、互いに頭をひねって協力してひとつの歪な竹細工を作り上げた。今、彰浩が気分を紛らわせるために両手でいじくりまわしている小さな竹かごも、鈴子と交わることがなければ彼には作り方どころか原材料すらよくわかっていないものだ。


 僅かな邂逅とはいえ、ふたりは彰浩の中にいくつもの記憶を残した。それは思い出というには近すぎるが、記憶と呼ぶには些か遺された気持ちが虚空に放り出されてしまうような、奇妙な落ち着かなさがある。

 つい先ほどまで己の隣にいた者たちを、過去にしてしまう事を彰浩は疎んだ。



「手、止まってる」



 呆けるように虚空を見つめる彰浩に声をかけたのはジェシカだ。彼女は眉尻を下げてやわらかい笑みを浮かべながら――しかし瞳には隠しきれない陰りが見て取れた――彼の隣に腰を下ろす。



「じょうず、ね」



 そういって彼女は網掛けの竹かごに視線をやった。竹ひごの太さもまちまちで、目がそろうどころかところどころ彼女の握りこぶしほどの歪みが見て取れたが、彰浩は「鈴子さんに習いました」と頷く。ジェシカの瞳が揺らいだ。



「……」

「……」

「スズコ、すごいね。わたしは知らないでした」

「そうですね」

「……ホントはもっと、もっとスズコを知ることできたね。わたしのことも、知ってもらうできた」

「そう、ですね」

「わたし、何も何も知らない。スズコのみではなく、リンタローもそれ。おそらくもっと素敵な場面? ……人物? あったよ。素敵なことのみではなく、悪いことも……好きなこと、苦手なこと、おかしなこと、これからとてもたくさん知ることできた予定。しかし、もうできないね」



 ジェシカに返す言葉を彼は必死に探す。しかし何も浮かばない。困り果てた彰浩を見上げながら、膝を抱えたジェシカはクスリと小さな笑いを漏らした。



「別に言葉、欲しいではない。わたしの心、整理したかっただけ。アキヒロなら黙って聞いてくれると思ったから」



 これ幸いと彰浩は息を吐き出す。大きく下がった肩にジェシカはまた静かな吐息を漏らしながら、悲し気にクスクスと笑った。



「わたし、現実感ない。リンタロー死んだ、スズコいなくなった。悲しい。だけど、これほんとにわたしに起こっていること? 現実から逃げるするのわかってる、だけど様々なことあった。あるすぎたね? 情報多い、多すぎる………………受け止める、できない」

「わかる気がします、現実味がない」

「だけど、ふたりがいなくなったことわかる。もう会えない。それ、悲しいね」



 朝目覚めておはようとあいさつを交わすことも、食事をしながらおいしいとほほ笑み合うことも、夜眠る前にそっと手を重ねることももうできない。それが途方もなく悲しいのだとジェシカは俯きながらたどたどしい日本語で吐露する。



「リンタローが元気だったら、スズコが今ここにいるしたら……そんなことばかり、考える。ダメとわかっている、仕方がないこと、過去変えるはムリ」



 たらればを言い出せばキリがない。飛行機が墜落しなかったら、この島ではなく日本のどこか人のいる場所に漂着できたら、麟太郎が病気にならなければ、――――あの時鈴子の手を掴めていたら。

 鈴子の最期の笑みが脳裏をよぎり、彰浩は腹の奥が冷えるような、しかし喉から熱い何かがこみ上げてくるような奇妙な感覚を感じた。食いしばった歯が不快感を伴う低い音を鳴らす。



「――ッ」



 ふいに瞼の奥から熱い雫がこみ上げてくる。うまく息を吸うことができず、彰浩は赤らんだ顔を隠すようにうつむいた。



「アキヒロ? …………うん、そうね。悲しい、ね」



 このこみ上げてくる涙は二人を失ったことへの悲しみなのか。それとも守れなかったことへの罪悪感なのか。

 そんなことすら理解できないまま、彰浩は優しく背中をさする手を黙って受け入れた。

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