九日目
ひとまずの目標ができた真凛たちは、早朝から精力的に動いていた。
遠征を行うにも準備が必要だ。何が起こるかわからないこの島では、準備をしすぎるということはない。現状、薪は十分に足りてはいるが手斧を遠征班の装備に取りいれたかったので、彰浩と省吾、米原は朝から木を伐りだす作業に移っている。
真凛、鈴子、ジェシカは森に入り紅山芋を中心に採取を行う。紅山芋の生息する場所は大方目星がついている――鈴子がこまめに島の地図を書き加えた成果だ――ため、最短距離での採集が可能となる。鞄にもてるだけ詰め込み、何度も森と浜辺を往復する必要があるが左程苦にはならない。腹に溜まる食材が必要なのだ。
依里奈、隼人、隆太、そして友里亜は海辺で黙々と貝を拾っていた。依里奈と隼人はシュノーケル用のゴーグルを使って海に潜り、着々とタコ貝を捕まえている。
砂浜を這うようにして動くタコ貝は動きが遅く、波にもまれながらも順調に捕まえることができる。隆太と友里亜は二人の捕ってきた収穫物をさよへと運ぶ係だ。病み上がりであるというのに友里亜は健気に働いている。隆太も、少女を気に欠けつつも浅瀬で食べられそうな食物を捕まえていた。
米原はと言うと、フェイと一緒に何かしらの装置を作っていた。それは石と森の粘土質の土を積み上げて作った小さな塔のようなものだ。石で土台を作り、その隙間を土で覆う。不格好な塔は既に笹原の膝ほどの高さにまで積みあがっている。
「持ってきた!」
麟太郎と美香の兄妹も彼らを手伝うように忙しく動き回っていた。両手を泥で汚した麟太郎の手には三つ折りスコップがあり、そのすくい部分にはしっとりとした土が盛られている。美香はズボンの上にはいたスカートを受け皿のようにして、彼女のこぶしほどの石を笹原たちの元へと運んでいた。
さよは波打ち際に近い場所で、隆太と友里亜から受け取ったタコ貝を黙々と開いている。朝から繰り返されたであろうその作業を行う彼女の手つきはまるで舞っているかのように素早く、正確だ。骨と内臓を取られたタコ貝は、真水と塩を入れられた土鍋の中でぷかぷかと白い肌を晒している。
「おっちゃん、できそう?」
「わからん」
麟太郎の無邪気な問いに笹原は素直な感想を返した。いくら料理を生業にしてきた笹原とはいえ、燻製などというここ数年で流行り始めた調理法を取り入れたことはない。しかも真っ当な設備すらない状況だ。フェイの知識を頼りに、石を円柱状に組み上げ泥で補強しただけの燻製窯は今こそ形を保ってはいるが、火をかければどうなるかは笹原にも予想がつかない。
「やってみるか」
笹原は乾燥した薪を小さく砕いた木片を土鍋の蓋の上にのせ、焚き木から火を移した。よく乾いていたそれらは次第にくすぶり、もくもくと白い煙をあげる。急いで燻製窯の下部――かまどのように、ぽっかりと口を開けている部分だ。これを組み上げるのに笹原は一等苦労した――に入れ、フェイ、麟太郎、美香の四人でじっと目の前の歪な燻製窯を見守った。
□
――今日一日めちゃくちゃ働いた気がする。
夕焼けに染まる砂浜で隼人は早めの夕食をとりながら大きくため息を吐いた。今日は誰しもが疲れ切っていたため、いつもは賑やかなタープの中も静かだ。麟太郎をはじめとした子供たち――と米村――は疲れたのか、既にタープの端に転がってくうくうと寝息を立てている。
「お、新メニュー。ってことは、成功したんすか」
大きな葉の上に並べられた茶色い物体を箸で持ち、隼人はそれを日に透かすように眼前に掲げた。こんがりといぶされたタコ貝は普段口にするものより身がぎゅっと締まっているらしく、随分と小さい。食べやすい大きさに切られたタコ貝の燻製は、切断面だけが異様に白かった。頬張ってみると少々煙の臭いが舌に残るが、淡白なタコ貝の味が濃縮されている気がする。
「それはな」
汁物を隼人に渡した笹原が渋い顔で答えた。
「失敗したんすか?」
「ああ。燻製窯自体は煙の漏れも、空気の誘導もなんとか形にはなっていた。だが、二度目の燻しをしている最中に窯が崩れた。ありゃあ、土が駄目だな。水分がなくなると石の重さを支えきれねぇ」
「石をしっかり組むのは?」
「素人の付け焼刃じゃ無理だな。まあ、何とか形にはなったし今後も必要にはなるだろうが、今の段階じゃあ燻製窯は使い捨てだ」
「……そりゃあ、だるいっすね」
そういいながらまた燻製をつまむ。蒸かしただけの紅山芋のおかずには、タコ貝の燻製はちょうどいい塩梅の塩気をしていた。調味料に限りがあるためワンパターンになっていた食卓に新たな風味が加わり、労働の疲れもあってかいつもより箸が進む。
「うまいか?」
「はい、うまいです」
「そうか……だったらしょうがねぇな」
黙々とタコ貝の燻製をつまむ隼人の向かいで、笹原が珍しく口を吊り上げて大きく頷いた。
□
食事後隼人は、今日採取したばかりの樹液を手に荷物の置かれているタープへと訪れていた。貴重なペットボトルを浪費する訳には行かず、樹液はビニール袋の中でたぷたぷと音を立てている。ビニール袋とて有限ではあるが、少なくとも水筒代わりになるペットボトルよりかはわずかにゆとりがあった。
彼はまず樹液を乾燥させた白アボカドの皮の内側に注いだ。この皮は食事時の器として活用しているが、毎日使い捨てだ。それを無理を言って二つ笹原に取り置いてもらったものだ。はちみつのようにとろりとした樹液は、白アボカドの器に薄く張り付きてらてらと光っている。それを雨の当たらない、しかし風通しのいい場所にそっと安置した。
次に隼人は、タープの端を片付けて砂浜を平らにならした。そこに土鍋の蓋を置き、丸く型をつけると慎重に細い木の枝で十字の線を引いていく。
何度も線を直しながら増やしていくと、砂に格子状の網が二つ出来上がった。ふう、と大きく息を吐き樹液の入った袋に手を伸ばす。袋を持ってみると、ずしりとした重さが彼の手に伝わってきた。
――多すぎるな。
そう心の中で独り言ち、別の袋を取りに行こうと振り返ると真後ろから覗き込んでいた真凛とぶつかりそうになった。
「わ!」
「うわっ!」
お互いの肩が跳ね、隼人は思わず後ずさる。
「もー! 何だよ、いたなら声かけろよ」
「ごめんごめん、何やってんのか気になってさ」
「今色々とじっけ―――って、ああ!」
隼人の後ずさった先は、先ほどまで彼が慎重に扱ってきた線の上で今は見る影もなくぐちゃぐちゃに踏み荒らされている。
「あー、ああぁ……大変だったのに……」
そう言って項垂れる隼人に、真凛は苦笑しながら尋ねた。
「なんかごめん、邪魔したっぽいね。手伝おうか?」
「……おう、頼む」
真凛と二人並んだ隼人は、彼女の見本となるように丁寧に砂浜を平らにならした。またここからやり直しか、と落ち込む半面、自分より器用な真凛がいるのなら彼女に任せればよいかという悪魔のささやきが彼の耳に聞こえてくる。
「まず、平らにならす。並行にな」
「うん」
真凛も、隼人に倣い細い枝で砂浜に格子を描き出す。その手つきは先ほどの隼人よりもずっと繊細で、要領を得てからは既に師を超えていた。不貞腐れる隼人を笑いながら、真凛は彼の分の格子を手直しする。
「で?」
「これ」
真凛に下書きを任せている間隼人は、スーツケースの中を漁って小さなビニール袋を手に入れていた。それは、コンビニでもらえる一番小さな袋だ。その中に樹液を移し、手をべたつかせながらも借りてきたナイフで袋の底の一片を小さく切り取った。そこからとろりとした樹液が流れ出てくる。
「お前、お菓子とか作ったことある?」
「あるに決まってるし!」
「じゃ、任せた」
隼人から外側まで樹液でべたべたした袋を受け取った真凛は、砂に描かれた格子に沿って、まるで生クリームを絞り出すような手つきで樹液をそそぎ始めた。重力に負けて勝手に漏れ出す樹液は扱いが難しく、真凛も四苦八苦しながら絞ってはいるが今のところ先に引いたくぼみをはみ出すことはしていない。
「これ、外側の丸どうすんの?」
「あー、どうしたがいいと思う?」
一つ目の格子を無言で絞り出した真凛は考案者である隼人に尋ねたが、帰ってきたのは何とも頼りない答えだった。それに呆れて、思わず彼女の手元がぶれる。
「あっ」
「と、取りあえず囲っとくぞ! その方が引っかかるだろ」
「う、うん!」
一つ目の焼き網は手元が狂ったせいで端の網目がいくつか潰れてしまった。それを二人で「まあ、許容範囲でしょ」「オレがやるより絶対マシだし」と納得させて、二つ目に取り掛かる。
二つ目の焼き網の想像以上の出来にはしゃいだ二人が披露を忘れて四つ目を完成させる頃には、どっぷりと日が暮れていた。




