十日目
さよは朝から昨日一日塩水に漬けたタコ貝を風通しのいい場所に並べていた。上からギラギラと照り付ける太陽と潮風は、緑の葉の上に行儀よく並んだタコ貝の開きの水分をみるみる奪っていく。長期にわたって保存するならばあと数日干す必要があるが、一週間程度保つものならば今日一日でできあがるだろう。燻製のためめざしのように枝に突き刺したタコ貝も忘れず風に晒し、空を見上げる。
「さよさん! あっちすごいの! 来て来て!」
手を休めていると、はしゃいだ美香が彼女の元へと駆け寄ってきた。美香の指さす方向は、大潮らしく随分と潮が引いていると鈴子たちが採集に行っている場所だ。興奮気味な美香は、まるでうさぎのようにぴょんぴょんと飛び跳ねながらさよの手を引いた。
「あのね、どーくつ! どーくつがあったの!」
さよが海水で手を清めてから右手側の海岸に行くと、省吾と依里奈が大きな貝を抱えていた。彼女たちの両手にはうぞうぞとうねるタコ貝はもちろん、見たことのないものも多い。
「あらあら、大量ですね」
そういったさよの視線には、省吾の背よりも随分と高い洞窟がぽっかりと口を開けていた。洞窟はさよが立っている砂浜よりも低い位置にあり、今日ほど潮が引かなければ立ち入ることはむずかしいだろう。現に洞窟の中で採集していた依里奈たちもそこまで行くには海に潜らなければならなかったのか、頭まで海水で濡れている。
「中はもっとすごい。壁じゅうに貝が張り付いているし、採り切れないくらいだ。さよさん、貝は日持ちするか?」
「そうですね……塩水につけておけば大丈夫だとは思いますけど。いざとなれば、干物にもできますから大丈夫ですよ」
「そうか。加工をお願いしても?」
「はい、もちろんです」
「悪いね」
「持ちつ持たれつ、ですよ」
食べれないことはないと思うんだけど、とさよに持っていた貝を渡した依里奈は再び海へと潜ってしまった。そしてあっという間に数十メートル先にある洞窟へとたどり着く。洞窟内は引き潮とはいえ依里奈の腰ほどにまで潮が満ちているし、暗く足場も悪い。こんな場所で足下をすくわれたのなら衣服を着こみグローブをはめていたとしても、鋭く固い殻を持つ貝相手では皮膚が裂けてしまうだろう、
依里奈は慎重にスコップで壁に張り付いていた貝らしきものをそぎ落とす。それは形だけなら俗にいう亀の手に似ていたが、彼女には青く鋭くとがっている貝が食べれそうには見えなかった。しかしその判断を下すのは自分ではないと言い訳して、目についた貝を持っていたビニール袋の中にぽいぽいと投げ込む。
洞窟内に生息していたのは青い亀の手のみならず、タコ貝、丸くひらべったい貝――壁からはぎ取ると腹側は吸盤のようになっていた――など、豊作だ。ウミウシやなまこのようなぶよぶよとした白っぽい生き物もいたが、それだけは食う気が失せて見逃した。
午前中いっぱいの時間をかけて得た収穫物は、今まで海岸を彷徨っていた頃とは雲泥の差だった。比較的簡単に捕獲できるタコ貝も何匹も捕ることができたし、今までにない貝も得られた。こんなに良い狩場があるのならば、大潮以外の日も海に潜ってでも洞窟で採集した方が効率がいいかもしれない。
依里奈はそう考えながら取りあえず今日収穫した分の未知の食材を数個だけ持ち、残りは袋のまま海水に浸して笹原の元へと向かった。
「亀の手に似ているな」
「食べられるのか?」
「ああ、他のも多分大丈夫だろ。だが、ちゃんとテストしねぇとフェイがうるせぇからな」
そう言って笹原、さよ、依里奈、省吾の四人で過食テストを行った。星型の平たい貝はどぶを煮詰めたような味がしたので食用ではないと判断したが、今のところ他のものは特に何も問題はない。
待機時間がもったいないので依里奈と省吾は追加の採集に、笹原とさよはタコ貝をはじめとした既に食用と判明している食材の加工に取り掛かる。
笹原は二度目とあって慣れた手つきで散らばっていた石を組み、海水を混ぜた泥で燻製窯を作りあげる。かかった時間も、前日よりかはわずかにだが早い。そして省吾に削らせた木片に火を点け、燻製窯の横から煙が漏れないことを確認すると細い木をめざしのように突き刺したタコ貝を並べる。
燻製釜は土鍋がすっぽりと入るサイズで作られているため、細身のタコ貝だったら一度に二十数匹ほどいぶすことができる。そのために、燻製窯の高さを崩れるリスクを承知で高くしたのだ。
笹原は燻製窯を見つめて満足げに大きく頷いた。しかしその瞬間、音もなく窯の天上が中心から落ちくぼんでしまう。中に入れていたタコ貝にも泥がつき、下に設置していた受け皿代わりの土鍋にも土が入り込み、火は消えてしまった。
どうも上部の蓋部分は石が組めないため、細い枝と土でふさいでいたが水気を含みすぎたのか自重に耐えられなかったようだ。少ししょんぼりとした様子で彼は残った泥を取り除き、タコ貝を水できれいに洗う。
「どうしたもんか」
幸い窯の土台は形を保っており、蓋さえ作り直せば問題なく燻製にとりかかれるようだった。木片は湿って駄目になってしまっていたので捨てるしかないが、蓋に関しては笹原にはどうも案が出ない。彼が燻製窯を前にうんうんと考え込んでいると、薪の調達から帰ってきたらしい省吾が後ろから声をかけた。
「昼飯、何時くらいになりますか」
問われた笹原が頭上を見上げると、太陽は既に天頂をわずかに通り過ぎていた。どうりで、人のまばらだった砂浜にもぽつぽつと人数が増えていたのか。
――まずい、すっかり忘れていた。
燻製作りに熱中していた彼の手元には、完成された料理はない。はっとしてタープの中にあるかまどを見ると、さよが何かしらを作っているようで笹原はぞんざいにくすぶっていた木片に砂をかけると駆け足で妻の元へと走った。
□
その日の昼食は簡単なものだった。さよも笹原もやることが多いのだろう。彼らとて自分たちの食事にばかり時間を割く訳にもいかないのだ、と彰浩はにんにくとねぎをタコ貝と一緒に炒めたものを口に運びながら心の中で独り言ちた。
よくよく考えてみれば、笹原たちの負担は大きい気がする。毎食15人分の食事を用意するのだって骨が折れる仕事だろうし、彼らはいくら麟太郎と美香の手伝いがあるとはいえ飲み水の管理もしているのだ。それに最近では、燻製や干物といった保存食づくりにまで手を伸ばしている。
「あの、疲れてはいませんか」
紅山芋の入った磯汁をさよから受け取りながら、彰浩は尋ねた。しかし彼女はいつものように穏やかな笑みで首を振った。
「しかしさよさんたちの仕事が多い気がします。食事だって任せきりですし、浄水も手がいりますし」
「でも、私たちはずっと砂浜にいますからねぇ。森や海の中に入って、食材や薪を採ってくる皆さんの方が大変だと思いますよ。何せ、私たちには到底できそうにありませんことですし」
「そう、なんでしょうか」
「そうですよ」
さよはにこにこしながら、彰浩の前に蒸かした紅山芋をこんもりと盛る。赤い山のようになっているそれは、形が残る程度につぶしてほんのりと塩味をついていた。最近では米代わりにこうした紅山芋が食卓に並ぶことが多い。
「今日はごめんなさいね、凝ったものが作れなくて。あの人、熱中すると時間を忘れてしまいますから」
彼女は笹原に聞こえないように小声で囁いた。その声色からは呆れよりも好意の感情が滲んでいる。彰浩は小さく首を振って「いつも、おいしい食事をありがとうございます。大変でしょうし、無理はしないでください」と答える。
「ありがとうございます。でも、私も夫も料理が好きなんですよ。だから、毎日皆さんがおいしいおいしいって言って、たくさん食べてくれるのがとても楽しいんです」
そういって、さよはまるで少女のようにはにかんだ。




