八日目 3
「ついて行く」と最早喧嘩腰になっていた真凛の旗色が悪くなったのは、二人の会話に鈴子が参入してからだった。
ついていく、危険だ、という押し問答を繰り広げていた彰浩と真凛に対し、後からやってきた鈴子は事も無げにこう言った。
「マリも行くの? じゃあ、私も」
興奮していた真凛の熱もすでに冷め、彼女は瞳を閉じて右手で眉間をぎゅっとつまんでいる。しばらくむっつりと黙りこんだ後、真凛はようやくと言った様子で言葉を絞り出した。
「………………あのね鈴子、子供のお使いじゃないのよ?」
「ん、知ってる」
「体力が必要だから男連中が最適って相談した時、あんたもいたでしょ?」
「でも、マリが行くんだよね?」
「行、くわよ」
「じゃあ、私も行った方がいいと思う。だってマリ、方向音痴だし」
うぐ、と真凛の口からカエルが引きつぶされたような声が漏れたのを彰浩は確かに聞いた。
「方向音痴なんですか?」
「そ。それも極度の」
「意外です」
「ち、違うし! 方向音痴なんかじゃないし!」
図星を突かれて固まっていたはずの真凛が、両手をじたばたとして声を張り上げる。彼女の奇行に彰浩はわずかに一歩距離を取ったが、鈴子は何でもないような顔で無視して言葉を続ける。
「流石に知ってる場所では迷わないっぽい。でも、方向感覚が壊滅的で。実は二人組で行動するのも、真凛の遭難対策」
「そもそも森の中で方向とかわかる訳ないし!」
「普通、自分の来た方角くらいわかる」
「わかんない!」
「普通の人は、デパートで迷わない」
「それは……」
「普通の人は、自分の学校で迷わない」
「そんなこと……」
「普通の人は、自分の家の三十メートル先の路地に迷い込んでヘルプの電話なんてかけてこない」
「……うぅっ」
「だから、マリは方向音痴。一人にしたら危険が危ない」
鈴子が自信満々の表情で言い切る頃には、真凛は白い砂の上で項垂れていた。
□
「じゃ、遠征メンバーを発表しまーす。私、彰浩、鈴子、隆太ね」
夕食後、方々に散っていた皆をタープに集めた真凛の表情は厳しい。報告を聞いた他のメンバーも、不思議そうな顔で各々の顔を見比べていた。
「せんせー、しっつもーん!」
しかし空気を読まぬ隼人の明るい声が響く。
「はいどーぞ」
「そもそも遠征って男が行くって話じゃなかった? っていうか、彰浩さんはわかるけど後はなんでその貧弱メンバー?」
「消去法」
ノートを手に、真凛が眉間にしわを寄せながら答える。
「省吾は力仕事担当がこれ以上抜けたら困るし、フェイは貧弱、笹原のおじさんはご飯作ってもらわないと困るし、隼人がいなくなるとフェイとの意思疎通が難しくなるでしょ? 子どもは危険すぎて無理。んで、米村のおじさんと隆太が残った。で、体力的には隆太かなあ、と」
「いや、俺が聞いてんのはマリと鈴子が参加することに関してなんだけど」
「そこはまあ、司令塔的な?」
「鈴子は?」
「マリの迷子紐」
「あー」
「納得すんなよ」
真凛が右手に持っていたシャーペンを隼人に投げる。それは見事彼の膝に命中し、小さな音を立てた。
「女子が行くなら満里奈の方がいいじゃねぇの?」
「確かに、身体能力で言えば彰浩、省吾、満里奈の三人が一番いいと思う。だけど隼人、あんたはその三人で遠征に行かせて大丈夫だと思う?」
隼人は名前のあがった三人の顔をじっと見つめる。
彰浩は、体力と腕力がこの中では最も秀でているだろうし、いつも落ち着いている。しかし消極的で、流されやすいきらいがある。
省吾は、一言で言うなら脳筋だ。目の前に問題が生じても、他の道があることすら考えずに突き進んでしまう。例えるなら、川を渡りたいときに橋を探すこともせずに飛び込むような男だ。たとえその川が濁流であっても。
満里奈は、女版省吾のような性格だが、省吾よりかはずっと頭が回る。しかし彼女の怠け癖は頂けない。彼女は川を渡りたいとき、橋があることを分かっていても探すのが面倒、あるいは遠いといった理由で川に飛び込んでしまう女だ。
この三人で遠征に行ったのなら、満里奈が最短ではあるが過酷な道を示し、省吾が何も考えず賛同して、彰浩が二人に流されて危険な道に足を踏み入れるのだろう。なるほど、最も生存率の高そうなメンバーだと思っていたのに、今では最も一緒にしてはならないメンバーにすり替わった。
「おっけー、理解した。最善ではないかもしれないけど最適な面子だと思う。省吾と満里奈は参加させちゃ駄目だわ」
うんうん、と隼人が大げさな仕草で腕を組んで頷くのを彰浩は不思議そうに眺めていた。彼には省吾と満里奈のどこが駄目なのかがさっぱり思いつかなかったのだが、付き合いの長い隼人がいうことだ、つまりそういうことなんだろうと自分を納得させる。
「でもさ、それってマリが行かず俺と彰浩さんじゃ駄目なの?」
「それは駄目」
何気ない隼人の問いに答えた真凛の顔色は悪く、まるで能面のようにこわばった表情をしていた。声からも険しさが伝わったのか、しんとタープの中が静まり返る。彼女はその場の冷えてしまった空気に気づき、慌ててフォローするようにしどろもどろに言葉を探した。
「ほ、ほら、隼人はここぞって時にヘタレるし! そうなっちゃったら危ないし! ね、だから…………あのさ、言い出しっぺはあたしだから、彰浩たちを危険な場所に送り出すのに…………自分だけ安全な場所にはいられない。あたしが、言い出したことなんだし。だから、ごめん」
俯いた真凛の声は、最後は涙にまみれていた。彼女とて怖くないと言えば噓になる。おかしな生物が闊歩する森の中で、碌な自衛手段も持たず歩き回ることを考えるだけで足がすくみそうになった。しかし、このままここで過ごすには足りないものが多すぎた。
真凛は袖でごしごしと顔をこすり、頭をあげる。そこには一切の不安などはなく、自信に満ち溢れた瞳が爛々と輝いていた。
「あたしが言い出しっぺだから、責任もって遠征は成功させる。一緒に行く皆も、ここに残る皆にもいろいろと負担をかけるだろうけど頑張るから、協力して」
彼女の言葉にひとり、またひとりと笑みを浮かべて大きく頷く。このときは誰しもが真凛のことを信じていた。きっと遠征を成功させて、皆無事に成果を持ち帰るだろうと。確かにそう、信じていたのだ。




