頭脳
あの皇国会議の一件は、私に強い衝撃を与えた。
日本の国の中枢に、時計の針を戻そうとしている人達がいる。
時計の針は戻らない。それが自然の摂理だ。
また、強引に戻そうとすればその過程でリムさん達のように犠牲になる人たちが出てくる。
あの人達は目の前の誰かを見ていない。
でも、翻って私に何ができるのか。
私は無所属だ。与党の部会にも入れない。
政策を揉む場に今は少なくとも入っていけない。
在留資格問題のときはたまたまみんなが動いてくれてうまくいったが、あれは率直に言って運が良かった。
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たまたま拉致委員会の後に大河内先生に会ったので相談してみることにした。
議員会館の先生の部屋で、私は私の焦燥をつつみ隠さず話した。
大河原先生は、かつて皇国会議と関わったことはあるものの、彼女が思う多様な家族の形と彼らの古来的な家族観が合わず、懇談会も脱会した。
しかし、今になってみるとそれが彼女を首相の座から遠ざけた決定的な出来事だった。
先生は黙って私の話を聞いていた。その答えは明確だった。
「……あなたにはブレーンが要る」
お茶を淹れながら、先生は、静かに言った。
「無所属のあなたが、この先委員会で質問するだけの議員で終わるのか。それとも、自分で法律を作る議員になるのか。……その頭脳がそれを分けるの」
自分で法律を作る。
議員が自分で法律の案を作り、国会に出すこと。だがそれは無所属の私には、途方もなく遠い話だった。
そもそも日本の法律の殆どがいわゆる閣法と呼ばれる、官僚提出の法案だ。
議員立法は10%にも満たず、それも成立する法案はほとんどが与党発だ。
米国等と違い、国会法という法律により日本では法案を一本国会に出すには賛成してくれる仲間が要る。衆議院なら二十人以上。参議院なら十人以上。予算措置を伴う法律ともなれば、その数は、衆議院で五十人参議院で二十人にまで跳ね上がる。
私は、与党の会派にはつかず離れずで協力している。けれど私の一存で出す法案を今の与党がすんなり承認してくれるとはとても思えなかった。
「だからこそ」と大河内先生は言った。「あなたには二つ要るの。中身を作れる頭脳と。その中身に賛成してくれる仲間と。……陣営を固めなさい。あなたの理念をいつか法律の形に変えられる日のために」
だから私は、政策担当秘書を探している。
政策担当秘書。
議員が、自分のブレーンとして雇える秘書で、その給料は国が出す。ホームページでずっと募集をかけている。何度か応募者はいたのだが「これ」という人にはなかなか巡り合えずにいたのだ。
その理由もまたなかなかまたねじ曲がったところにあった。
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相馬さんとそのことに話をしていたときだった。
相馬さんは、湯呑みを片手に渋い顔をした。
「政策担当秘書ねえ……先生、あれはあまりあてになりませんぞ」
「どうしてですか」
相馬さんは、選挙屋らしい身も蓋もない口ぶりでその制度の裏側を教えてくれた。
もとは立派な志でできた制度だという。一九九三年――官僚まかせではなく、議員が自分の力で政治を動かす。
いわゆる「政治主導」を後押しするために作られた。
だから本来は、政策担当秘書の資格を得るのがとても難しい。かつての国家公務員一種、いまで言う総合職の試験と同じくらいの難関を突破するか、司法試験合格や博士号を持っているか。
そのどちらかが要る。
「ところが」と、相馬さんは声を落とした。
「抜け道があるんです」
議員の秘書を、十年務めた者もこの資格を認められる。そして実際には、資格を持つ人のおよそ九割がそうだという。
「その結果どうなったか」
相馬さんは苦い顔をした。
「政策の頭脳、という看板とは裏腹でしてね。地元の冠婚葬祭を回り、議員の運転手をやり……国のお金で、都合よく使える秘書が増えているんです。それが実情ですよ」
「先生も」と、相馬さんは私を見た。
「そういう人を置いておくこともできます。地元も回れるし、運転もできる……そのほうが、選挙はずっと楽になります」
「そういう人が欲しいんじゃないんです」
私は、首を振った。
「私が欲しいのは純粋な頭脳です。政策を一緒に考えてくれる人なんです」
相馬さんは、やれやれというように息をついた。
「……そういう人はね、先生。無所属の新人のところにはなかなか来ません。もうどこかで秘書として食べているでしょうね」
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そんな折だった。
私のホームページの募集に一枚の履歴書が舞い込んだ。
読んで、私は思わず手を止めた。
その人は弁護士だった。司法試験に受かり、三年弁護士として働いていた。そのかたわらで政策担当秘書の認定も受けている。
司法試験の合格者は、口頭試験を受けて政策秘書に正式に認定される。つまり相馬さんの言う「抜け道」で資格を得た人ではない。
自分の力で法律家になり、その資格でまっすぐに認定を得た人だった。
歳は私より少し上。
そして履歴書の片隅のある一行に私の目は留まった。
出身校の欄。そこにはある女子高の名が記されていた。けれど性別の欄は「男」。
私は、その一行の意味を静かに受け取った。
この人は、かつて女性として生まれ女子高に通い、そして家庭裁判所の手続きを経て男性として生き直すことを選んだのだ。
日本では、定められた要件のもとで、戸籍の上の性別を変えることが認められている。
いまは結婚もしているという。
私自身にはそこに、思うことは何一つない。
むしろと思う。
私は自分自身の思いとは関係なく、半ば偶然の事情で男性から今の女性の姿になった。
この人は法と手続きの上をまっすぐに歩いて、自分の意思でいまの自分になった。渡り方はまるで違う。それでも――同じ川を渡った人なのだ。
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数日後その人が事務所を訪ねてきた。
落ち着いた静かな人だった。
確かに男性としては小柄で線が細い。
だが。
名刺を両手で差し出す。
「桐生律と申します」
その名を彼ははっきりと名乗った。自分で選び自分に与えた名前を口にする。その響きには静かな芯があった。
「なぜ弁護士を辞めて政策秘書になろうとされるのですか」と、私はストレートに尋ねた。
政策秘書は割に合わない仕事だ。仕えている議員と折り合わなければ仕事を失い、また議員が落選すれば自分も職を失う不安定な仕事だ。
桐生さんは少し間を置き、そしてゆっくりと、はっきりと語り出した。
「……弁護士の仕事にやりがいがないというわけではありません」と彼は言った。
「ただ依頼者のために働く以上、時には自分の考えを曲げてでもその人の望みに沿わねばならない。それは一つの事情としてあります」
彼は言葉を継いだ。
「しかし何より、法律をどう解釈するか、それが今の官僚じみた裁判所で受け入れてもらえるか。その中でできることには限りがあります。目の前の人が生きづらさを抱えている。その根っこが、法律そのもののかたちにあるとき。……解釈ではどうにもなりません。変えるしかない。ルールを作る側に回るしかないんです」
私の中で、何かがかちりと噛み合った。
それは、大河内先生の言ったあの言葉と、同じ場所を指していた。理念を法律の形に。
解釈ではなく立法。
「桐生さんは」と、私は聞いた。
「どういう人の力になりたいですか」
桐生さんは、まっすぐに私を見た。
「生きづらさを抱えた人の力になりたい」
その声には飾りがなかった。おそらく彼自身が、その生きづらさを知っているのだろう。
それから私は彼と互いが置かれている状況について語り合った。私が今与党に属しておらず、実際に法案を出せる見込みは大きくないことなども率直に語った。
桐生さんはこう返してきた。
「あなたには不思議な力があります。色々な人をその声で巻き込むことができます。私は、あなた自身以上にあなたを信じています」
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面接のあと、相馬さんは腕を組んでしばらく黙っていた。
それから、言いにくそうに口を開いた。
「先生。……あの人の能力は確かでしょう。それは私にも分かります。ただ」
「ただ?」
「あの経歴です。男性として生き直されたという……あれを快く思わない連中がいる」
私もそのことには心当たりがあった。
「ああいう人たちは、『伝統的な家族』を旗印にしています。LGBTQを、精神疾患だと言い切る人すらもいます。先生自身がかつて男性であったという事情もありますし、先生があの人をそばに置けば……また、あの『切り抜き』のときのように格好の的にされかねない。『あの議員の周りはそういう人たちの集まりだ』とレッテルを貼られる。票がまた逃げていきます」
選挙屋としての相馬さんの言葉は、全く正しいし耳に痛い。
....私は少し考えてから口を開いた。
「私はあの人を『男性として生き直した人』だから雇うんじゃありません。そんなふうに考えること自体が失礼です。……私は、あの人がいまの私にいちばん足りない力を持っているからお願いしたい。弁護士で法案を作れる能力がある。それだけの話です」
私は、続けた。
「その人の生き方を雇わない理由にすること。それこそが、私がいちばんしてはいけないことだと思うんです」
相馬さんは、しばらく私を見ていた。
それから、肩の力を抜いた。
「……敵いませんな、先生には」
相馬さんは苦笑して頷いてみせた。
「分かりました。的にされたときの火消しの算段だけはしておきます。それが選挙屋の仕事ですのでね」
その顔はどこか嬉しそうでもあった。
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こうして、私の陣営は少しずつかたちを成していった。
暫定のはずがいつのまにか居ついてしまった相馬さんが選挙と地元を見る。大学からの友人の立花が事務所を切り盛りしてくれている。ほかにも、あの手弁当の日々からそばに残ってくれた仲間がいる。
そして、桐生さんが政策の頭脳として加わった。
考えてみれば奇妙な顔ぶれだった。
かつて男だった私。かつて女だった桐生さん。
世間から一度ははみ出したり、値踏みされたりした者たちが、いつのまにか私の旗の下に集まっている。
けれど、それはきっと偶然ではない。
変わることを恐れない。
自分を作り変えてでもまっとうに生きようとする。そういう人たちが、この国を少しずつ人が人として扱われる場所へと変えていく。私にはそう思えた。
その夜私は、夫の曜一朗にも桐生さんのことを話した。
医者でも研究者でもある夫はただ静かに頷いた。
「いい人が来てくれたね」
彼が見ているのはいつも、肩書きでも経歴でもなくその人そのものだった。私は、そういう人と、結婚したのだとあらためて思った。




