隣人
議員になって、思いがけなかったことが一つある。
私のもとには、驚くほど多くの人が直に悩みを持ち込んでくるということだった。
理由はたぶん二つだ。
一つは、私の顔と名前が、全国に知れ渡っていること。もう一つは――私がどこの党にも属さない、無所属だということ。
党の議員に頼めば、その裏には必ず党や支持団体の思惑が透けて見える。
けれど私にはそれがない。しがらみも、貸し借りもない。だからだろうか。既存の政治に見放されたと感じている人ほど、藁にもすがる思いで私のところへやってくる。
その日、私の事務所を訪ねてきたのは、一人の外国人男性だった。
支援者の一人が連れてきた。
名を、リムさんといった。東南アジアの生まれで、日本に来てもう十五年になるという。日本語も、私よりよほどきれいだった。
彼は、小さな貿易の会社を営んでいた。日本人の妻がいて、子どもは地元の小学校に通っている。この国に根を張って生きてきた人だった。
そのリムさんが、青い顔で一枚の紙を差し出した。それは在留資格の更新に関する入管からの書類だった。
「私……この国に、いられなくなるかもしれません」
彼が持っていたのは、経営・管理という在留資格――外国人が、日本で会社を経営するためのビザだった。その要件がいきなり厳しくなったのだという。
調べた。たしかにその通りだった。
かつては、資本金五百万円ほどで取れたこのビザが、制度の見直しで三千万円以上を求められるようになっていた。
加えて、常勤の職員を雇うこと、経営者本人か職員に日本語の能力があること、専門家が事業計画を確かめること。要件は何倍にも重くなっていた。明らかに個人事業でやれる範囲を超えている。
その変更の狙いはわかる。
実体のない会社を作って、ビザだけを手に入れる。そんな悪用が後を絶たない。
「金さえ出せば、ビザが買える」と、海外から陰口を叩かれもした。それを正すため与党で議論がなされ厳格化が行われた。
全体としての筋は通っている。
けれどその網はリムさんのような人まで、一緒に、絡め取ってしまう。
十五年、まっとうに商売をし、税を納め、家族を養い、地域に溶け込んできた。
その人が、資本金の額が新しい基準に届かない、というだけで、この国を出ていかなければならないかもしれない。積み上げた十五年が、書類の数字ひとつでなかったことにされる。
「妻も、子どもも、日本人です。あの子は、この国しか、知りません」リムさんの声が、震えた。「私だけが、出ていけと。……私は、この国の、何だったんでしょうか」
その問いが私の胸に、深く刺さった。
資料を読み込むうちに、私は一つのことに気づいた。
この「資本金三千万円」という壁は、悪用する側を、本当にふるい落とせるのだろうか。金でビザを買おうとする者――そういう金持ちなら、三千万円くらいいくらでも用意できる。
逆に真っ当に小さな商いを、こつこつ続けてきた人ほどその壁ではじかれてしまう。
ふるいの目の向きが逆なのだ。
また、日本は既に少子化でにっちもさっちもいかないところまで来ている。明らかに現役世代の労働力は足りていないし、この先特殊出生率(※女性1人当たりの子供の数)が4倍にならないと社会が日本人だけでは維持できない、と政策研究家は結論を出している。
その状況で、こういった日本の社会に正しく溶け込んでいる外国人を排除するのが正しいことなのか。それは極めて根の深い問題だった。
****
その夜、私は大河内先生に話を聞いてもらった。
先生は慎重だった。
もともと彼女は移民政策には慎重な立場だ。
ドイツで学んだ経験からだという。労働力が足りず、多くの外国人を受け入れたドイツ。
確かに、トルコから来た一世は社会の下層からの出発を覚悟していた。それで問題なかった。
「問題は、その子どもたちなの」
ドイツで生まれ、国籍を持ちドイツ人として育った二世。それでもいつまでもよそ者として扱われ要職には就けない。行き場をなくした絶望から自らのルーツを遡り、それが過激なイスラム思想に付け込まれてテロを起こす者さえ出た。
「受け入れるというのはその業まで背負うということ。生半可な覚悟でやれば、かえって不幸を生むのよ」
「わかっています」私は、頷いた。それでも逃げたくはなかった。
私自身が、そうだったからだ。
この白人めいた顔。
日本で生まれ育ったと言っても「本当に日本人なのか」という視線に私は幾度もさらされてきた。
ドイツの二世の痛みを、私はこの国で我が身に引き受けていた。
だからこそ、見て見ぬふりはできない。
受け入れた人を、人として扱えているか。それを、問い続けたい――。
そう語る私を、大河内先生は、静かに遮った。
「立派な理念ね。……でも、それだけ?」
「え」
「理念だけなら、誰にでも言える」先生の目が、鋭くなった。
「あなたが出すべきなのは、明日、入管の窓口であのリムさんを救う具体的な一手よ。正しさを、政策の形にできなければ、政治家はただの評論家。前にも言ったでしょう。正しさだけでは永田町は動かないの」
痛いところを突かれた。けれど、その一言が私の頭の中で、ばらばらだったものを一つに束ねた。
「……あります」私は、言った。
「対案なら、あります」
私は、考えをまとめながら話した。
「実体を確かめる、という方向自体は、正しいんです。事務所の実態、雇用、専門家による事業計画の確認。それはいい。ペーパーカンパニーをあぶり出すことに繋がる。問題は資本金三千万円、というその一点だけです」
金額の壁は、悪用する金持ちを通し、真っ当な小商いをはじく。ならば見るべきは金額ではない。事業の中身そのものだ。
「すでに長く、このビザで真っ当に事業を営んできた人については、資本金の額ではなく、その積み上げた実績で更新を認める。何年、商売を続けてきたか。きちんと税を納めてきたか。本当に人を雇い取引の実態があるか。地域に、根を張ってきたか。……ペーパーカンパニーには、その実績が何一つありません。リムさんには、十五年分すべてある。その実績要件を、運用の裁量に委ねるのではなく、はっきりと制度に書き込むべきです」
「なるほどね」大河内先生の口元が、わずかに、緩んだ。
「それに」と、私は続けた。「十年、十五年と、この国に根を張り、税を納めてきた人には、事業の浮き沈みに人生ごと振り回されない、より安定した在留の地位への道を開くべきです。腰を据えて根を張れる。そうして初めて、その子どもたちをよそ者にせずに済む」
大河内先生は、しばらく、私を見つめていた。それから、ふっと笑った。
「……匡義先生に似てきたわね。理念をちゃんと武器の形にしてきた」
****
私は、その対案を外務委員会でぶつけた。
もっとも、無所属の私にできることは限られている。
政策を党の中で揉む「部会」――与党が法案や方針を内々に議論する場に、無所属の私は入れてもらえない。使える手は委員会での質問くらいのものだった。
外務委員会は、本来ビザ問題を所管しない。だから、糸口にしたのは一つの条約だ。人種差別撤廃条約――あらゆる形の人種差別をなくすよう、締約国に求める国際的な取り決め。日本も、一九九五年に加わっている。その条約に照らして、日本の外国人の扱いは筋が通っているのか。国際社会から条約を遵守していないと言われてしまうのではないか。
私は、そう問いを立て対案も質問の中で示した。
だが日本の委員会は議論の場ではない。
一問一答形式と言われる。私が問い、大臣が官僚が作ったそつのない答弁を読み上げる。それだけだ。
「経過措置も設けており、個別の事情も、総合的に考慮してまいります」
かつて私が霞が関で出した、木で鼻をくくったような答えだった。
一問一答という形式の中では、それ以上押し込むことはできない。私の対案は、宙に浮いたまま次の議員の番になった。
歯がゆかった。けれど私の言葉は、議事録に残った。傍聴席にも報道にも届いた。
そして――種は、思わぬところで、芽を出した。
委員会のあと、一人の若い与党議員が、私を追いかけてきた。
「さっきの、実績で見るという案。あれ与党のの部会であげてみます」少し興奮した口ぶりだった。「あれはおかしい」
私は無所属なので、勉強会には入れてもらえても与党の部会には入れない。
けれど、私の言葉に動かされた誰かは、その扉の内側にいる。私が号令をかけたわけではない。ただ、筋の通った一手を置いただけだ。
それが勝手に人を動かし始めていた。
また、いくつかのメディアでも私の質問と疑問点が報じられた。
リムさんについては、彼の更新審査は、資本金の額だけでなく十五年の納税と事業の実態をあらためて見る形で進められることになった。
まだ、結果は出ていない。それでも、数字ひとつで門前払いという道はふさがれた。
「ありがとうございます」深く頭を下げるリムさんに、私は首を振った。
「まだ、何も勝ち取れていません。それに――お礼を言うのはこちらのほうです。あなたが来てくれたから。声を上げてくれたから。私は動けたんです」
****
その広がりを苦々しく見つめている、一人の男がいた。
永田町の奥の院。
とうに一線を退いたはずなのに、いまだに絶大な影響力を握り続ける老練な実力者だ。かつて幹事長として、党の金と人事と数を意のままに操ってきた。派閥の論理と貸し借りの網。そういう古い政治の作法を知り尽くしている男だった。
彼は、理念では動かない。動くのはいつも数と利害だ。
しがらみを持たず、ただ「人の尊厳」という青臭い旗を掲げて、党に入ってもいないのに党の若手まで動かし始めた娘。
その姿は、数を絶対視するその男の信条からは異物に思えた。
「……少し灸を据えるか」
報告を聞いた男は、湯呑みを置きながら、ぽつりと呟いたという。
理想はいつか現実に足をすくわれる。そのときには溺れてもっと多くの人が不幸になる。彼はそう信じていた。そしてその現実を作り出す力をまだ握っていた。




