海鳴り
大河内先生に連れられて、私が最足を運んだ勉強会。
その主題は拉致問題だった。
私も他人事ではなかったので、個人的にも共感できるところがある。
だが、しっかりここまで勉強するのは初めてだった。
講師として招かれていたのは、被害者の家族会の年老いた一人の男性だった。
彼は、静かに、そして芯のこもった声で、この問題の始まりから語り起こした。
「そもそもの始まりは、北朝鮮という国の成り立ちにあります」
初代の指導者、金日成。彼は、抗日運動に身を投じたのちソビエト連邦軍(赤軍)に入りその将校となった。
日本の統治が終わると、朝鮮半島の北半分はソ連が占領する。
金日成はその後ろ盾を得て、北の指導者の座に就いた。抗日の英雄という触れ込みはのちに国家の手で、大きく飾り立てられたものだ――一説には、別の有名な将軍「金日成」の名をそのまま使ったとも言われている。
一九四八年南北にそれぞれ別の国が生まれた。その二年後北は半島全体の統一を目指し南へ攻め込む。
朝鮮戦争だ。
南は、釜山の一角まで追い詰められたが、国連軍の反撃で盛り返した。今度は、中国の参戦もあって戦線は、北緯三十八度線のあたりで膠着した。
そして一九五三年両者は「休戦」する。
講和ではない。
つまり、法のうえではこの戦争はいまも終わっていない。
「その後北朝鮮はソ連にならって国の内側を固く覆い隠しました」男性は続けた。
「平等な『理想国家』を掲げながら、その内実は、苛烈な独裁でした。……そして、多くの工作員――スパイが、日本へ送り込まれたのです」
日本人になりすます。
そのために、生きた日本語の教材として、彼らは手当たり次第に日本人を拉致し始めた。
「公式に確認されている被害者は、十七人。ですが一説には、日本人だけで八百人を超えるとも言われています」
北朝鮮は、長く拉致を否定し続けた。それが表沙汰になったのは、連れ去られたレバノン人が脱出したこと、そして、大韓航空機の爆破事件がきっかけだった。その実行犯の女は、拉致された日本人女性――田口八重子さんから、日本語を教わったと告白した。
二〇〇二年、北朝鮮は、ついに一部の拉致を認める。
蓮池薫さんら、五人の被害者が日本の土を踏んだ。
当初は「一時帰国」という名目だったが、日本政府は、彼らを、二度と北へは帰さなかった。……ただ、その子どもたちは、まだ、北に残されたままだった(蓮池さん夫婦の子供二人はその後日本に送られている)。
あれからまた二十年以上経った。
新たに帰ってきた被害者は一人もいない。
十三歳で連れ去られた、あの少女――横田めぐみさんは、生きていればもう、六十を超えている。
新人議員たちが、次々と質問を投げた。私も、その一人だった。
――国際社会からの非難は。
「国際法のうえでは、拉致は『人道に対する罪』にあたります。国連でも、毎年北朝鮮の人権状況を非難し、被害者の返還を求める決議が採択されています……が」男性の声が、曇った。
「もともと孤立しきった国に、西側がいくら圧力をかけても応えません。安全保障理事会では、中国とロシアが、拒否権――決議を一国で葬る権利を握っています。この件で、国連は機能していないに等しい」
――二〇〇二年と同じことはもう一度できないのか。
「難しいでしょう。あの頃と状況が違います」男性は、首を振った。
「地続きの中国やロシアが北を経済的に支えている。
加えていまの北朝鮮は、暗号資産――ネット上のお金を盗み出したり、ウクライナへ攻め込んだロシアに武器や兵を送ったりして外貨を稼いでいる。当時ほど干上がってはいないのです」
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勉強会の帰り道、私の胸には、重い澱のようなものが残っていた。
日本は、武力で解決を図ることはできない。
ならば、残る道は圧力と見返り。
そのどちらも、いまの北朝鮮には、効きにくい。
おまけに同盟国のアメリカは、北の核問題を最優先に見ていて、日本が単独で抜け駆けの取引をすることを、快く思っていない。
八方ふさがりだった。
何かをしなければ、と思う。あの家族のあの目を見てしまった以上、知らないふりはできない。
それなのにその「何か」の具体的な形が見つからない。
無所属の一年生議員。
私に許された権限はあまりに小さい。
私は、いったいこの問題のどこに足を踏み入れればいいのだろう。
そのもどかしさを抱えたまま、私は久しぶりにある人を訪ねることにした。
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外務省にいた頃の、私の上司。
柏木さんという。
当時の役職から、私はいまでも「課長」と呼んでいる。
いつも眠そうな顔をして、だらしなく見えるのに、肝心なところだけは決して外さない。
そういう、食えない人だった。
待ち合わせたのは古い小さな居酒屋。
柏木は、手酌で酒を舐めながら、恨めしそうに店の隅の張り紙を見ていた。「禁煙」の二文字を。
「議員先生が、こんな煙たい親父に何の用だ」
私は、拉致問題のことを正直に打ち明けた。
勉強会で知ったこと。
そして何もできそうにない、自分の無力さのことを。
柏木はしばらく黙って私の話を聞いていた。
それから、ぬるくなった酒を、ぐいと呷った。
「帰す気のない相手に、帰せと言い続けてもう四十年だ」低い声だった。
「役人も、政治家も家族もみんな命を削ってきた。それでも動かない。……お前が議員バッジ一つで、どうにかできると思ってるなら、そりゃあ思い上がりだ」
「……じゃあ、私には、何もできないんですか」
「そうは、言ってない」課長はぎろりと私を見た
。
「いいか。北を動かしたいなら北を睨むな。あの国の生命線を握ってるのは、中国とロシアだ。締め上げたいならそっちに言い続けろ。北を生かして拉致に目をつぶってる連中は、見殺しにしてる側と同じ穴の狢だとな」
それは私がまだ言葉にできずにいた考えを、はっきりと形にしてくれる一言だった。
「小泉さんが、あのとき、交渉のテーブルを作れたのは、北が経済で干上がりかけてたからだ。相手が弱らなきゃ、話にすら乗ってこない。……もう一度、あの状況を作るしかない。気の長い話だがな」
課長は、そこでふっと声を落とした。
「それにな、九条。……誰も、口には出さんが」
私は、次の言葉を、待った。
「五十年前に、連れていかれた人が、いまも生きてる見込みは、正直高くない」
わかっていたはずのその一言が、それでも私の胸を刺した。
「だがな」課長の目が、鋭くなった。
「生きてるか死んでるか。それを、勝手に決めてなかったことにする権利は、あの国にはない。真実を、洗いざらい明らかにさせる。家族のもとへちゃんと返す。……たとえ、帰ってくるのが、骨の一片だったとしてもだ。そこだけは絶対に譲っちゃいかん。それは権限の話じゃない。人としての筋の話だ」
人としての、筋。
その言葉が、勉強会からずっと私の中でくすぶっていたものに、静かに火を灯した。
帰ってこないのならせめて真実を。
連れ去られた一人ひとりが、たしかにこの国にいたのだと。その家族が、いまも待ち続けているのだと。それをなかったことにはさせない。踏みにじられたままにはしない。それが、この問題における人の尊厳を守るということではないか。
「お前には権限はない」課長は、続けた。「金も票もたいしてない。だが、一つだけ役人にも大臣にもない武器がある」
「……なんですか」
「声だ。世界が、振り向く声だ」課長は、めずらしく、まっすぐに、私を見た。「あの国が、いちばん嫌がるのはな、この問題を『もう解決済みだ』と言い張りたいのに、世界に、忘れさせてもらえないことだ。……お前にできるのは、たぶん、それだよ」
「ただし」と、課長は釘を刺した。
「間合いを間違えるな。相手を脅せば、相手は脅し返す以外の口をを持たない。かといって下手に出て、友愛だ何だと擦り寄れば足元を見られて、侮られる。昔それで手ひどい目を見た人がいただろう。舐められず脅しもせず。細い綱の上を渡るのが外交だ」
私は深く頷いた。
答えが見つかったわけではなかった。拉致された人々を明日連れ戻す方法など依然としてどこにもない。
それでも私は自分が、どこに立てばいいのかをようやく掴みかけていた。
帰り際、課長は私の背中にぽつりと言葉を投げた。
「…九条の親父さんも、勝てない喧嘩をずいぶんしてきた人だったよ」
店を出ると、夜風が頬に冷たかった。
どこか遠くで、海鳴りが聞こえたような気がした。
連れ去られた人々が渡った、あの海の。
私はまだその海の向こう側へは手が届かない。
それでも、この岸から声を上げ続ける。
翌日、私は外務委員会と拉致特別委員会に所属願を出した。




