血脈
選挙は危なげなく当選した。
なお、与党は下馬評どおり単独で過半数には届かなかった。
無所属の新人が、大きな政党の後ろ盾もなく、議席を勝ち取る。ふつうならあり得ないことだ。
それを可能にしたのは、ひとえにあの桁違いの知名度だった。
こうして私、九条絵里香は一人の衆議院議員になった。
当選証書を授与されるために来た永田町。
国会議事堂を中心に、議員会館や、各党の本部が立ち並ぶ、この国の政治の心臓部だ。
裏には外務省等がある霞が関が位置している。
国会議事堂を見ながら、ここに来て私はあることをずっと考えていた。
――日本で、いちばん偉い人は、誰か。
四十年前、同じ問いを投げれば、多くの人が、迷わず、こう答えただろう。日本でいちばん偉いのは総理大臣。
それが、疑いようのない共通の答えだった。
けれど、いまはどうだろう。
同じ問いに、人々はてんでばらばらのことを言いそうだ。
総理大臣、と答える人ももちろんいる。けれど、天皇陛下と答える人。世界に名だたる大企業の社長と答える人。サッカー日本代表の監督と答える人。あるいは自分の親、果ては自分自身と言い切る人まで。
「偉い」という言葉の意味を問うつもりはない。
ただこの答えのばらつきが、はっきりと一つのことを指し示していた。
ー人々の関心が、政治そのものから静かに離れていっている。
かつて、政治はこの国のいちばん高いところにあった。いまは違う。
多くの人にとって、政治は自分の暮らしのはるか遠くにある他人事になってしまった。
それは、価値観が多様になった証しでもある。けれど同時に政治への期待と信頼が痩せ細ってしまった証しでもあった。
そして、皮肉なことにこの変化は永田町の中にいては決して気づけない。
永田町の内側は、外の世界とはまるで温度が違った。例えば、同じ一年生議員でも、私の周りにはいわゆる「二世議員」があふれていた。彼らは私に「仲間」として話しかけてくれる。だが、それをありがたいことと感じながらも、なぜか違和感が拭えない。
その違和感を整理する必要があった。
親から地盤を受け継ぐ。
票の見込める後援組織を生まれながらに手にしている。
若い頃から選挙に出て「当選五回」「六回」と、当選の回数をキャリアとして積み上げていく。
永田町では、その「何年生」という数え方がほぼそのまま序列になっていた。
彼らの多くは悪い人間ではなかった。
むしろ行儀がいい。
育ちのよいお坊ちゃんやお嬢さんたちだ。無理な冒険はせず、波風を立てず、そつなく振る舞う。
けれど、と私は思う。
彼らには、自分の殻を内側から破る力がどこか欠けているように見えた。守るべき地盤があるからこそ、その地盤を失いかねない大胆な一歩は踏み出せない。
翻って見ると、私にはその地盤がまるごとない。
私が選んだのは東京の地元選挙区だ。
育ての親である九条匡義の地盤は東北にある。私の選挙区とは、縁もゆかりもない。
私は、何ひとつ受け継がずまったくのゼロからの出発である。
世襲そのものが悪なのか?
いや、親の背中を見て育ちその志を継ぐ。それ自体は尊いことでもある。
けれど、それならなぜ世襲の政治はこれほどまでに、根本のところで批判されるのだろう。
その答えを私はずっと前に耳にした、ある逸話の中に見つけた。
こんな話だ。
昔、開国間もない頃、日本の代表団がアメリカを訪れた。そのとき、誰かが素朴な疑問としてこう尋ねたという。
「初代大統領、ジョージ・ワシントンの子孫は、いまどこで、何をしておられるのですか」
返ってきた答えは、あっさりとした一言だった。
「さあ。誰も、知りませんよ」
日本の代表団は、大きな衝撃を受けたという。
建国の父の血筋がいまどこでどうしているのか。誰も気に留めていない。
それが、当たり前だというのだ。
まあ、今米国で世襲の大統領がいたりするのは皮肉だが。
けれど、と私は思う。
その「誰も知らない」ということこそが、民主主義のいちばん深い根っこなのだ。
権力は血で受け継がれるものではない。
今日、高い場所にいる者も、明日には名もなき一人に戻る。
誰の子であろうと関係ない。志と力さえあれば誰でも権力者になれる。そして役目を終えれば、また市井の一人へ還っていく。
その、絶え間ない入れ替わりこそが権力が一部の血筋に凝り固まってしまうのを防ぐ。
権力の世襲は、その根っこを静かに少しずつ腐らせていく。悪意もなく、行儀よく。
だからこそ、たちが悪い。
そんなことを考えていた私に、一人の先輩議員が、声をかけてくれた。
大河内頼子先生。当選を幾度も重ねたベテランの女性議員だ。かつてはこの国で初めての女性総理大臣になるのではと誰もが期待した人だった。
そして大河内先生は、かつて私の義父――九条匡義の派閥に、身を置いていた人でもあった。
「あなたが、九条先生のところの絵里香さんね」
議員会館の廊下で大河内先生は私を呼び止めた。品がよく、優しそうな、それでいてどこか鋭い目をした人だった。
「一度ゆっくりお話ししましょう。私の部屋においで……九条先生に、よろしくね」
数日後に、私は大河内先生の部屋を訪ねた。
先生は、長くこの国の政治の表と裏を見てきた人だった。
かつては、総理の座に最も近い女性の一人と目されていた。だが、かつての政局が祟り、そこにはいけなかった。そしていまはその野心を、静かに手放しているように見えた。
「あなたのことは、見ていましたよ」と、先生は、自らお茶を淹れながら言った。
「何人かの議員をみて、世襲がどうのと難しい顔をしていたでしょう」
図星だった。私は正直にいまの考えを打ち明けた。二世議員のこと。地盤のこと。ワシントンの子孫のあの逸話のこと。
大河内先生は静かに聞いていた。
そして、こう言った。
「あなたの言うことは、正しい。……でもね、絵里香さん。正しさだけでは、この永田町は一ミリも動かないの」
先生の声には、長い歳月の重みがあった。
「世襲を、頭ごなしに責めても二世の議員たちは、耳を貸さない。彼らには彼らの理屈があり、支えてくれる人たちがいる。あなたが彼らを敵に回した瞬間、あなたの正論は、ただの若い理想論として、笑われて終わり。……私は、それで何度も煮え湯を飲まされてきた」
かつて、初の女性総理と謳われた人の、その言葉には苦い実感がにじんでいた。
「では、どうすれば」と、私は、問うた。
「あなた自身が、証明することよ」大河内先生は、まっすぐに私を見た。
「血筋も、地盤もない人間がそれでもこの場所で、まっとうに戦えるのだと。あなたが、その道を、切り拓いてみせること。それが、どんな正論よりも、雄弁に世襲政治のその先を指し示すの」
私は、はっとした。
批判ではなく実証。壊すのではなく示す。
それは、私が、これまでの人生で幾度となく選んできた道でもあった。
****
少しだけ、昔の話をしよう。
私、大河内頼子には、一度だけ、総理大臣に手が届きかけた季節があった。
女だからと侮られ専門が偏っていると煙たがられ、結局、私はあと一歩のところでその椅子には座れなかった。いまでは、その夢も諦めている。
その私が、なぜこの娘にこれほど惹かれるのか。
九条絵里香。目の前で真剣に世襲政治をついて考えるこの不思議な娘を見ていると、私は、若き日の九条匡義を思い出さずにはいられなかった。
匡義先生もそうだった。
制度の一つひとつに深い洞察を持ち、正しいことと正しくないことを選り分けていた。
その上で、現実とのすり合わせを行う人だった。
けれど、この娘には匡義先生にもなかったものがある。
匡義先生には、最後には、その言葉にみんなが従った。まさに「鶴の一声」があった。
あれだけ深く考えられるあの方が言うからこそ私も従った。
だが、この娘は違う。自分が前に出ようとはしない。
ただ人の話に、静かに耳を傾ける。
それなのになぜか人が動く。人が集まる。
これは私が生涯かけても手に入れられなかった資質だ。もしかしたら、匡義先生でさえ。
面白い。実に、面白い娘だ。
この子の行く末を、見届けたい。いや――この老骨に、まだできることがあるのならこの子を、育ててみたい。それを私の最後の仕事にしてもよい。
そう思った。
****
大河内先生との対話は、私の中のぼんやりとした考えを、一つの、はっきりとした方向性を示した。
選挙のあと、私のもとにはいくつかの打診が来ていた。
与党への入党。あるいは、無所属のままあとから党の公認を受ける追加公認――無所属で当選した議員が、党の正式な候補と認められる仕組みだ。
受ければ私の政治家としての足場は格段に安定する。
党の組織も資金も後ろにつく。
けれど私はそれを受けずに行こうと思う。
私が、世襲の政治に見たあの問題。
生まれながらの地盤や、既存の後ろ盾に寄りかかること。
もし私が、いま党の看板を受け取れば、私は自分で批判したその構造の中へ自ら入っていくことになる。
元より、自分には失うものは何もない。
仮に次に落選したら落選したで、市井に戻るだけだ。
再選を目指すからこそ、しがらみにとらわれる。
永田町には「選挙に落ちればただの人」という言葉があるが、それのどこが悪い。
地盤も血筋も党の後ろ盾もない。
それでもやれる。
それを、身をもって証明する。
それが、大河内先生が身をもって示してくれた道だった。
だから私は、会派――国会を動かすうえでの、議員のまとまり――としては与党に協力する。
政策ごとに是々非々で票を入れる。
けれど、党には、属さない。無所属を貫く。
つかず離れずという宙ぶらりんの立場を私はあえて選んだ。
安定を捨てる選択だった。
それでも私にはそれがいちばん筋の通ったやり方に思えた。
「無所属で、やっていくなら」と、大河内先生は言った。
「なおさら、勉強なさい。政策の中身で、勝負するしかないのだから」
先生は、私をさまざまな勉強会に連れ出してくれた。
エネルギー。社会保障。地方の疲弊。この国が抱える、無数の難問が、そこには山と積まれていた。
その中に、一つ私がいちばん最初に正面から向き合わなければならない、と感じた問題があった。
拉致問題。
北朝鮮によって、この国の人々がある日突然、連れ去られた。何十年ものあいだ、家族のもとへ帰れないままの人々がいまもいる。
私自身が、他国に売られそうになったその構図とどこか似ているように思えて、他人事ではなかった。
その勉強会の扉を私は静かに開けた。




