余章1 陽炎
現在の環境保護制度について調べました。
新政権が発足して、初めての夏。
大河内内閣のもとで、経済は少しずつ上向き始めていた。上からではなく下から需要を喚起し血流を回す仕組みは機能しかけていた。
しかし、そこで日本を襲ったのは酷暑だ。
七月後半に入ると、連日四十度に迫る日が続いた。エアコンがない人はもちろん、エアコンがあっても次々に倒れる。
私の事務所にも、訃報が届いた。
手弁当の頃からの支援者の母親が電気代を惜しんでクーラーを我慢し部屋で亡くなっていた。
比喩でも何でもなく、この状況では暑さで人が死ぬ。
「灯」は、閣外から大河内政権に協力している。
「灯」には若い議員が多いため、何人かは、政務官として政権に入り行政を回すことを覚えなければいけなかった。熱中症の対策に真っ先に動いたのもその一人だ。
彼は、短期的には熱中症特別警戒アラートやクーリングシェルター等、目の前の暑さから人を守る仕組みが必要であり、長期的には地球温暖化を防止するための枠組みが必要だと訴えた。
しかし、そこには一つ大きな問題点をはらんでいた。
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地球温暖化。
一昔前には、アメリカの当時の副大統領だったアル=ゴアが「不都合な真実」を出版化したりして、議論が活発であり、世界が地球温暖化を防止しようという空気感で動いていた。
しかし、今温暖化対策に対し世界は非常に冷淡だ。
アメリカの大統領は、温暖化を信じていないと広言している。アメリカは、二度目のパリ協定からの離脱を決めた。温暖化を信じている政治家であっても、アメリカから始まった物価高騰は世界に広がり、物価高の中で環境よりも目の前の人を救う方が優先という人が圧倒的に増えた。
日本でも、一つの新しいナショナリズムの党が勢いを増していた。
新誠党。「日本人」の側に立つと耳障りのよいことをいう党だ。このネット社会ではいくらでも情報が転がっていて、みんなが自分の見たい「真実」を見ることができる。そうやって支持を得てきた。
衆議院予算委員会。国会の最大の論戦の場である。
そこにおいて、新誠党の党首の言論は鋭かった。
「地球温暖化の科学的根拠には議論の余地がある。偏りのないエビデンスで検証すべきだ……そもそも、日本の排出は、世界のわずか三パーセント。日本だけが巨額を投じて脱炭素をしても、地球の気温はほとんど下がらない。ある試算では、百五十兆円かけて、たった〇・〇〇六度です。その金があるなら、いま物価高で苦しむ国民に回すべきではないか。二〇五〇年カーボンゼロなど、絵に描いた餅だ」
野党側から拍手が起きた。その主張は、庶民の味方の顔をしている。
そして、彼の言うことには一理ある。
日本一国が身銭を切ってやっと気温を〇・〇〇六度下げられる……その金で、いま死んでいく人のクーラー代を助けるほうが先ではないか。
遠い未来より、まず目の前を。
政権与党としての責任を考えれば、まさに彼の言うことは合理的だ。
しかし、なぜかその議論には引っ掛かるものがあった。「灯」として意見をしっかりまとめておくために、私たちは急ピッチで議論を始めた。
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まずは科学的エビデンスを固めるのが先決ということはあきらかだったので、私たちはまず環境学者を訪ねた。彼女は、私たちに地球がいくつも描かれている画面を示した。
コンピューターの中に、地球を百個つくる。
人が二酸化炭素を出した地球と、出さなかった地球。その百の並行世界を走らせる。
「温暖化のない、五十の地球では今年の暑さは一度も起きません。人が熱を出したこちらの五十でだけ、何度も起きる。……議論の余地はなく、もう答えは出ています」
・・・これが嘘であればどんなに楽だっただろう。しかし事実は残酷だ。
そのうえで、「日本だけが身銭を切って温暖化対策をする意味があるのか」の問いには科学は答えてくれない。それは事実の問題ではなく生き方の問題だ。だから、私たちは政権与党としてそれを決定し、国民に説明しなければらならない。
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考え込みながら家に帰ると、灯里が汗をかいて眠っていた。
その寝顔を見ているうちに、私は問いの答えに気づいた。
「日本は三パーセントだから、やっても無駄」
……その理屈で、みんなが降りたらどうなるか。
アメリカも、中国も、誰もが「うち一国では、変わらない」と手を引けば、地球はただ焼ける。
誰も責任を取らないまま。
つまり、その損得勘定は、もう一つ大事なものを切り捨てている。この子たちの未来だ。
「うちの負担ぶんでは、気温は下がらない」という議論は「だから、この子たちの将来は諦める」ということに他ならない。
人が人としてまっとうに生きていけるか。
その物差しは、これから生まれてくる人達のことも含まれている。
……いまを生きる老人とまだ生まれぬ灯里。
その両方を、天秤にかけてはいけないのだ。
それにと思う。
脱炭素は、ただ金をドブに捨てる話ではない。
熱を減らす技術。
新しいエネルギー。
それは我慢ではなく、次の産業だ。
工場を追われた技術者が、活きる場所だ。
国産のエネルギーを増やせば、外国の高い燃料にも、真夏の需要にも振り回されずに済む。
……「その金を今の国民に」と新誠党は言う。
だが、今の国民の仕事と暮らしと、将来の国民の両方を守るように道を整えることこそが、政権与党として正しい姿だと思う。
ただ、温暖化に対する技術の開発や、新しい取り組みは、成果が出るまでに時間がかかる。それは一時的に国民に負担を増やすことにつながる。
それでも、私たちは説明して、理解を得なければならない。世界が旗を降ろす中で、日本はその旗をまだ振っていなければならない。寧ろ、その旗を世界にもう一度広げていかなくてはならない。
私は、大きな方向性を決めた。
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今と将来を両輪として回すための仕組みは色々考えられている。
改めて、連立与党の三党において地球温暖化防止に関する勉強会を開くことにした。
ただ、今度の講師は環境学者ではなく、経済学者だ。
彼らが提唱するのはいわゆるGX(Green Transformation)と言われる仕組みであり、
代表的なものが、「炭素税」と「排出権取引」だ。
後者の排出権取引制度は一時かなり盛り上がった記憶がある。1997年の京都議定書で定められて、日本でも2026年4月から国内排出量の約6割を占める上位企業に参加が義務付けられた。つまり、日本でもその仕組みは動き始めている。
しかし、その仕組みにはかなり懐疑的な声が多きい。排出権、すなわちカーボンクレジットを「取引」をするための値付けには金融工学が用いられ、実際に儲かっているのは金融業界だけではないかという声すらある。また、安易にカーボンクレジットを取得しようという企業が多くなり、その制度には色々抜け穴が指摘されてしまっている。
もう一つ議論されてきたのが炭素税だ。つまり、化石燃料等に税金をかけ、企業等にクリーンエナジーへの逆インセンティブを働かせようという動きである。
なお、環境税は既に日本でも存在する。
日本では2012年より「地球温暖化対策のための税」が導入されている。既存の石油石炭税に上乗せする形で課税されており、その税率はCO₂排出量1トンあたり289円である。しかし、この額だと現状あまりインセンティブとなっているとは言い難い。
では、この値段を上げればよいのか。この仕組みは経済界や国民にとても受けが悪い。国民の生活が苦しく、一円でも安いほうがよいという状況下ではなかなか受け入れられない。
そもそも「灯」は、基本的には税金は安ければ安いほど良い、というのが原則だ。しかし、頑張った企業にはそれだけ税金が安くなるという仕組み自体は、その綱領と矛盾しない。だから、これを「灯」としては推すことにした。
もう一つ、日本だけが頑張っても仕方ない、という議論に対して答えを出す必要があった。
日本一国が身を削っても世界の三パーセント。そうかもしれない。だが、これから伸びる排出は隣のアジアにある。工場を建て電気を増やしていく国々。そこで日本の技術が動けば減らせる量は国内よりずっと大きい。
その削減の一部を、日本の貢献として数える。そういう仕組みはもう動き始めていた。
三パーセントの国が、残りの九十七パーセントに影響を与えられる。先進的な技術があれば、それは技術供与した国に戻ってくる。
しかし、問題はこの仕組みにアジアの国が乗ってきてくれるかだ。
彼らも、将来より今製品が売れるかの方が重要だ。
そこに関しては、粘り強い交渉が必要だ。
何より、この勉強会自体に意味があった。
超党派の集まりに人が増えていく。
旧与党からも、環境に関しては協調できるという人が増えてきた。
かつての日本の夏は、暑くはあったが、決して外に出ること自体が危険ということはなかった。
夏も普通に部活動はやっていたし、それこそかつての夏の風景を取り戻すためにはこの地球環境をなんとかしなければならないと思う人がいる。
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衆議院本会議。
私は、議場の演壇に立った。党首としてここに立つのは久しぶりだ。
私は手元の原稿を置いた。
「先の委員会で、党首はこう問われました。日本の排出は世界の三パーセント。日本だけが巨額を投じても、気温は〇・〇〇六度しか下がらない、と。……そのご指摘には一理あるように思います。私も一度、その数字の前で足を止めました」
議場が静かになる。
「ですが、『三パーセントだからやっても無駄だ』。その一言が、何を切り捨てているのか。私は家に帰って気づきました」
「この夏、私の古い支援者のお母様が亡くなりました。クーラーを我慢して。……その同じ夜、私の娘は汗をかいて眠っていました。この暑さを、生まれたときからの当たり前の夏として」
私は党首を、まっすぐ見た。
「『三パーセントでは気温は下がらない』といって温暖化を止めなければ、それは『この子の夏は諦める』ということになってしまいます……私は、母親です。目の前で苦しむお年寄りと、まだ幼い我が子。その二人を天秤にかけることはできません。どちらも守る。それが政治の仕事だと私は思います」
私は、息を継いだ。
「ですから私たちは両方をやります。今日の暑さには今日を生きるために必要な仕組みを。長い温暖化には、炭素を出したぶんに値段をつけ、減らした人ほど報われるようにする仕組みを。集めた金は、国民に還元します。そうやって技術者の皆様が練り上げた技術を、これから伸びるアジアへ移転する。それを梃にして、例え日本単体で三パーセントしか削減できなくとも、残りの九十七パーセントを動かす種にはなれますし、私たちにはその道しか残っていません」
「世界が地球環境保護の旗を降ろしかけています。物価高騰が苦しいのは、私たちも同じです。それでも、誰かが握っていなければならない。……三十年後の夏に、この国の子どもたちが外で遊べるように」
私は原稿をたたんだ。
「私たちにできるのは、仕組みをつくることだけです。しかし、一人の母親として、私はこの旗を手放しません」
議場は、しんとしていた。
その後、猛烈な拍手が起きた。
来年はきっともっと暑いだろう。
それでも、私たちはこの「灯」を将来に受け継がせるため、今できることをしよう。
政権与党になると、耳触りの良いことだけを言えない場面が増えていきます。その題材にぴったりだと思ったので書いてみました。10年後、20年後いったいどうなってしまうのかと思うと怖いですね。




