終章 灯火
権藤を送った、その夏。
参議院選挙が来た。
潮目が完全に変わっていた。
権藤の血は、権力といちばん古い闇とをつなぐ暗い臍の緒を断ち切った。
慌てて距離を取った与党の姿は、かえってこれまでの関係をさらけ出した。
世論は完全に政権に背を向けていた。
現政権は完全に死に体になっていた。
「灯」は、その追い風の中で多くの候補を立てた。
「埋み火」の頭脳からも。
現場を知る者。
……かつて闇バイトに使い捨てにされかけ、灯が拾い上げた、あの若者の一人も名乗りを上げた。
「使い捨てにされた側から、政治を変えたい」と。
値踏みされ、はみ出しそれでも確かな根を持つ者たち。
その顔ぶれは、そのまま、灯という党の来歴だった。
開票の夜。
事務所は、歓声で沸いた。
灯は、参議院で地滑り的に議席を伸ばした。
改選議席124議席のうち、75議席。
予想をはるかに超えていた。
けれど私はその渦の中でふと隣を見た。
そこにいるはずの憎まれ口がなかった。
「……見てますか、権藤さん」。
心の中でつぶやいた。
「あなたの言った、『いい党』です」
****
参院選の地滑りは、衆議院を揺さぶった。
長く与党の中で、皇国会議の考え方に頷けずにいたリベラルな議員たち。
彼らが、雪崩を打って旧与党を出てきた。
また、頼りない執行部に見切りをつけた野党の改革派もそれに続こうとした。
けれど、彼らの多くは、「灯」を選ぶかどうかを迷っていた。
政治とカネの、古い澱を身にまとった人たち。
「灯」において、独立した監査人に自ら監査をされるというその建付けは、彼ら自身の薄暗いところを見通されてしまうのではないかという恐れを抱いている。
かといって、「灯」が数を増やすために内規を曲げる、というのもあまり筋の良い話ではない。
何よりも国民の信頼を失うことになる。
彼らの受け皿を作る人が要る。
そして、その役を引き受けたのは——大河内先生だった。
先生は「灯」を出ると言った。
「四十年前、私はね」
静かに、先生は言った。
「たった一人で、あの世界と戦おうとしたけれど、誰もついて来なかった。……今度は、私が出て待つ番よ。割れて出てくるあの人たちの旗頭になる。彼らを束ねて灯と組める大きな器を作る」
私は、寂しさを隠せなかった。
権藤を失い、今度は、大河内先生まで外に出てしまう。
先生は、私のその顔を見て笑った。
「寂しがらないの。別れるんじゃないわ。私はあなたの隣に、もう一つ党を建てるだけ。……あなたは、『灯』を、清く守りなさい。数と汚れ仕事は、私が隣で引き受ける。……権藤さんの代わりは、務まらないでしょうけど、ね」
その一言に、私はこらえきれずに泣いた。
こうして、新しい党「桜」が生まれた。
大河内洋子を党首に。
割れて出てきた、リベラルな者たちの受け皿として。
そして、「灯」。新党「桜」。公和党。
三つの改革の勢力が手を結んだ。
気づけば、その数は衆議院の過半を超えていた。
政界再編となり、政権は静かに倒れた。
しかし、それは「灯」の理念がモノを言ったというより、前政権に対するアンチテーゼの方が大きかったように思える。
****
新しい政権の、総理を誰にするか。
世間の声は、一つにまとまっていた。
九条絵里香。当然のように私の名が挙がった。
連立の中からも、私を推す声は、強かった。
けれど、私は断った。
記者会見で、まっすぐカメラを見て言った。
「私は総理にはなりません」
場がざわついた。
「正直に申し上げます。今の私にこの子を抱えたまま、総理という激務が務まるとはいえません。力もまだ足りない。……力は、それを握るにふさわしい者が握るべきです。だから私は、いちばんふさわしい人に託します。大河内洋子先生に」
私は続けた。
「私は、灯の代表として残ります。政権のいちばん近くでその仕事を皆さんと一緒に見張り、支えます。……もし、大河内さんが道を誤れば。私が、皆様から託された票をもって、それを正します。たとえ、相手が恩人でも」
会見場は、静まりかえっていた。
翌日、私は覚悟していた。
「勝ち逃げだ」「無責任だ」という批判を。
けれど、届いたのは違うものだった。
「権力を掴めるのに掴まなかった」。
人々はそう受け取った。
「あの人は、やっぱり、そういう人だ」と。
……私が無理に権力を欲しがらなかった、そのことがこれまで私を信じてくれたその理由をそっくり証明していた。
落胆は、むしろ、深い信頼に変わっていった。
大河内洋子が、第107代総理大臣に指名された。
四十年前。
「女性は、こうあるべきだ」という一つの型に頷けず、あの人は総理への道を自ら降りた。
その、諦めたはずの座が降ってきた。
時代が変わり、型が砕けたその先に大河内先生の、四十年越し
の道がまっすぐに通じていた。
****
政権が発足する、その朝。
私は、早くに目を覚ました。
腕の中では灯里が、寝息を立てている。
窓の外は、白み始めていた。
あの子が生まれた朝と、同じ、美しい夜明けの色だった。
いつか、私は思った。社会もまた一つの身体なのだと。
細胞が、絶えず入れ替わりながら、それでも、同じ「その人」であり続ける。
……ずいぶん、遠くまで来た。
多くの人と出会い、多くを失いそして、一つの新しい命を得た。
国のかたちが、いま、変わろうとしている。
それでも、私たちが手放さなかったものはたった一つ。人が人として、扱われること。
腕の中の灯里が、目を覚まし、私を見上げて笑った。
この子の名をつけたのは、権藤さんだ。
暗い水を一生泳ぎ抜いて、ついぞ手に入れられなかった、光。
あかり。
「見て、灯里」。
私は、白む空を指さした。
「夜が、明けるよ」
政権を取った。
けれど、それは終わりではない。始まりだ。
これから、「灯」は権力を握りながら、なお腐らずにいられるか。
理想を、現実とすり合わせて、それでもあの物差しを握りしめていられるか。
……本当の変革は、勝ったこの瞬間から始まる。
いちばん難しい坂は、これからだ。
私は、一人ではない。
隣にも後ろにもこの国のあちこちに、無数の、小さな灯がともっている。
そして、この腕の中には小さい灯火が一つ。
この灯火をつなぐ。
その時まで私達の仕事は終わらない。
(了)
活動報告をあとがきとさせていただいております。
宜しければご覧ください。
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