綱領
まだ構築の途中だが、桐生さんをはじめとする党のブレーン集団「灯台」(という名前がついた)から、二つの綱領を定める提案があった。
人が増えれば、政策にまとまりが要る。
基本の方向が合わない人が入り、めいめい勝手に違うことを唱え始めては、党はただの寄り合い所帯に成り下がる。
だから、あらかじめ共有する背骨を言葉にしておく。
それが1つ目の綱領だった。
ただ難しいのは、あまり具体的すぎると自分たちの手足を縛ってしまうし、そのあたりはかなり絶妙な匙加減が必要だ。
綱領は全分野にわたって定める。
財政も、外交も、教育も。
党の「マニフェスト」に近いものになる。
貫く軸は「下からあまねく」。
霞が関を軽視するわけではない。ただ、軸はあくまで現場にいる人たちがちゃんとまっとうにやっていけるかだ。
沢井さんが、財政に一行を掲げた。
「一円でも多く、民間で回す」。
国が吸い上げて配り直すより、末端で金が回る国に。手元に残る八円が、次の商いを生む。
これは結構ハレーションが大きい。
財務省の方針とは真っ向から反するし、経産省等も色々政治主導の枠組みを作りたがる。
しかし、敢えて強い言葉で置いた。ここができなければ「灯」の存在価値は半減する。
雇用と人材には、私がかねての言葉を置いた。
「すべての人に足場を作る」。
潰された人にも、つまずいた人にも、はみ出した人にも、もう一度立てる場所を。
税は「正直者が、報われる税に」
社会保障は「制度の網から、誰もこぼさない」
どれも短い。
だが、このひと言に頷けない人はそもそも灯の議員ではいられない。
綱領とは、同じ旗の下に立つための、最初の約束だった。
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もう一つの綱領――内部の規律は少し性格が違った
「誤解されたくないのですが」と桐生さんは言った。
「これは、既存の物差しを更に厳しくするものでも、『灯』の執行部が取り締まる権力を持つものでもありません」
きれいな金を扱う。
正しい選挙をする。
もともと法がすべての政治家に課している義務だ。
では、何がほかと違うのか。
問題を、警察や検察に取り締まられる前に自分たちで見つける。
これには二つの意味がある。もちろん、自分たちが厳しくあることを示すことは重要だ。だが、隠された意味として、第三者に暴かれるより自分たちで公表した方が傷が小さいし、小さなつまずきが大きくならないうちに処理するということがある。
こういう不備や不正は、最初は本当は小さいものであることが多い。ただ、やっている内に段々規模が大きくなってくる。それが膨らんで、外にでた時に爆弾になる。
・・・そもそも論として、今の制度は細かすぎる。忙しい政治家が、全て細かく帳簿の1から100まで見ろということに無理がある。それを、外部専門家の手を借りて綺麗にしていく。
だから、これは本当は自分たちのための制度だ。
一つ。常設の機関が、外の弁護士や会計士の目で、全議員の帳簿を定期に又は抜き打ちで点検する。
二つ。責めを人に押し付けさせない。
陣営の不正は、議員本人が負う。そのために通報の道も開いた。
秘書やスタッフが、雇い主の不正を安心して党に告げられるように。
十分とは言えないが、仮にそういったことがある場合には、「灯」の方で再雇用についてできる限りのことをする。
三つ。この監視は、代表をも例外にしない。
私の帳簿も私の陣営も同じ目で見張られる。
「……古巣は、これをやらなかったな」と権藤が書類に目を落とした。
「だから裏金で崩れた。後ろ暗いところをはじめから全部さらしておけば崩しようがない。皮肉な話だがこれがいちばん堅い守りだ」
権藤は、何も言わず、ただ小さく頷いた。
この監督を受け入れられない者はそもそも灯に入れない。
それが、入り口の関門だった。
実行機関は外に置く。
公認会計士・元国税の調査官。
不正を暴くことを生業にしてきた元検事。
いずれも党の外の人間だ。
正直・・・・報酬は安い。
それでも、彼らは引き受けてくれた。
彼らには任期のあいだ党の誰も手を出せない。
代表の私でも辞めさせられない。
そういう仕組みにした。
そして私は一つ頼んだ。
「いちばん初めに検めるのは、私と権藤の帳簿にしてください」
上がまず裸になる。
そうでなければ、下は誰も従わない。
なお、他党にも制度としての政治資金の監査はある。
だがそれは、領収書が揃っているか、その形を見るだけだ。
その金が、何に使われたのか、妥当か。
そこまでは踏み込まない。灯の監査は、そこへ踏み込む。
「灯台下暗し」と言われるわけにはいかない。
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・・・・と意気込んで始めてみて分かった。
細かい不備は、いくらでも出てくる。
政治の金の決まりは、呆れるほど細かい。
領収書の日付が、一日ずれている。費目の書き方が違う。
小さな会合の記録が一つ抜けている。
……悪気などなくても、几帳面な人でさえ、必ずどこかで引っかかる。
私も、例外ではなかった。領収書の不足。帳簿の記載の抜け。勘定項目の間違い。
正直、相馬さんと立花に任せておけば大丈夫と思っていた節がある。
だが、立花はもともと専門家ではない。
私は、まだ二期目の議員だ。
だから、今のうちに色々指摘してもらって、正直良かったと思う。
陣営として、ちゃんと勉強する機会になった。
恥ずかしい話だが、私はそれらの問題があったことを、自ら公表した。
元々、この制度は誰かを罰するためのものではない。
寧ろ、問題が大きくならないように、自身を守るための制度だ。
その代わり、党内ではっきり指摘し、直させる。
だから細かい内容は公表しないが、件数は公表する。
「今期、党全体で、これだけの不備がありました。うち、代表の帳簿に三件」
・・・格好のいいものではない。
だが私は、これでいいと思った。
汚れのない党とは、一つの間違いもない党のことではない。
甘えるわけにはいかないが。
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だが。
「これはちょっと件数の話では済みません」と監査人が、硬い顔で報告に来た。
権藤が党へ連れてきた、リベラル派の議員の一人。
その政治資金の記載に明らかな不備があった。
数百万の金が、実態のない団体に振り込まれていた。
使途不明金である。しかも、明らかに過失ではなく、故意だ。
それも「灯」に入党してからのものである。
日付のずれや、書き損じとはわけが違う。
金がどこへ消えたのか、帳簿からはたどれない。
……古い党なら、机の奥にそっとしまい込まれていた類の金だろう。
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その夜、私は権藤と二人で向き合った。
「……除名にするか」
先に口を開いたのは権藤のほうだった。
低く、重い声だった。
「あの男は悪党じゃない。前の党の癖が抜けなかったのだろう。しかし、庇えば『灯』が『灯』でなくなる」
私は、権藤の目を見た。
この人は自分の連れてきた人間を、自分で斬ろうとしている。
それがどれほどの重さか私にも分かった。
「除名にはしません」と、私は言った。
「監査制度は、あくまで我々が自分自身を守るための制度です。我々が法律への違反者に、司法にかわって制裁を加えることはできません」
権藤が顔を上げた。
「でも、灯には置けません。」
「では、どうする」
「ご本人に、自分の意志で、離党していただきます」
見せしめの除名ではない。烙印を押すのでもない。
事実を包み隠さず本人に示し、自分の足で出て行ってもらう。
権藤は、しばらく私を見て、ふ、と息を吐いた。
「引導は、俺が渡す」
そう言って、立ち上がった。
その背中は、少しだけ老いて見えた。
数日後、その議員は自ら離党届を出した。
使途不明の金は返され、報告書も正された。
彼は、無所属の議員として、議席は残したまま「灯」を去っていった。
「灯」の議席が一つ減った。
離党の理由を公表することはしなかった。
私の帳簿には、その後も時おり小さな指摘が付く。
検めるとは、正すことだ。
いちばん先に正されるべきは、いちばん上にいる私自身だった。




