埋め火
ブレーン役の拡充は急務だ。
まず、桐生さんに党の政策をとりまとめる、元締めをお願いする。
彼の最初の仕事は、彼の役割をもっと大規模に担ってもらえるシンクタンクを作ることだった。
効率的に頭脳の欠乏を埋めるには、党の真ん中に政策を練る集団を一つ持ったほうがいい。
いわば、党のシンクタンクだ。
だが灯には、外の団体へ委託する金はない。
独立した政策研究所を構える余裕も、もちろんない。
世知辛いが、既存政治からの脱却のためには、どうしても費用は削ってやらざるを得ない。
考えた末の答えは、足元にあった。
国会議員は、国費で政策担当秘書を一人置ける。
議員が増えれば、その頭脳の席も増える。それを、めいめいが地元回りや雑用に使いつぶすのではなく、党の政策集団のもとに束ね、共同で法案を練らせる。
国の金で雇える頭脳を、一つに集めるのだ。金のない党に、これ以上の道はない。
そのことを桐生さんに相談した。
「筋はいいのですが」と桐生さんは言った。
「大きな穴が一つあります」
「穴?」
「頭数だけ揃えても、駄目なんです。……肝心の、中身が」
彼の言うことは、こうだった。
政策担当秘書の資格を持つ人は、確かにいる。
だが、その多くは、議員の秘書を十年務めて認定された人だ。いつか相馬さんが教えてくれた話である。資格を持つ人の、およそ九割がその口だという。
「難しい試験を正面から突破したり、司法試験や博士の裏づけがある。そういう背景を持つ人は資格を持つ人の中でも一握りです」と桐生さんは言った。
「私のような口のほうが、少数派なんですよ」
地元回りに長けた秘書を、いくら束ねても、法案は生まれない。
「本物を集めなければ、意味がない」と私は言った。
「ええ。ですが、その本物は金のない新党には、来てくれません」
・・・カネのいらない政治をするために必要なのはカネ。
.実に世知辛い。
「灯」では、金で名のある官僚OBを並べることはできない。
私はうんうん唸っていた。
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その人を連れてきてくれたのは、柏木さんだった。外務省時代の、あの眠そうな課長である。
役所の水も、永田町の裏も知り尽くした人だ。
「一人、心当たりがあります」と、柏木さんはあくびまじりに言った。
「宝の持ち腐れに、なっている人がね」
その人は須藤さんという、四十代の女性だった。
初めて会ったとき、彼女は疲れた目をしていた。長く、ある議員の秘書を務めてきたという。
その議員が先ごろ引退し彼女は行き場を失っていた。
政治そのものに、見切りをつけかけている。
そういう顔だった。
私は、いま党で頭を悩ませている社会保障の課題を、話してみた。足場の話と地続きの、込み入った制度の話だ。
桐生さんでも、すぐには解けずにいた、難しい結び目だった。
須藤さんは、しばらく黙って聞いていた。
それから、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
その制度が現場のどこで詰まるのか。
どの条文の、どの一語が、いちばん弱い人をはじいてしまうのか。
彼女の言葉は正確で、そして血が通っていた。
机の上の知識ではない。
現場を自分の足で歩いた者だけが知る、生きた知恵だった。
私は、桐生さんと顔を見合わせた。
本物だ。目が、そう言っていた。
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聞けば、須藤さんは、あの難しい資格試験を正面から突破した、数少ない一人だった。
「それなのに」と、彼女は力なく笑った。
「私の仕えた先生は、私に、政策を一度もやらせてくれませんでした」
古いタイプの議員だったという。彼女に振られたのは、地元の冠婚葬祭回りと、お茶くみと、車の運転。
「『女に政策は要らん』と。……十年です。資格を取ったあの頃の私は、どこへ行ったのかと、思いますよ」
私の中で、何かが静かに灼けた。
ここにも、いた。値踏みされ、力を持て余させられてきた人が。
灰の下で、消えかけていた火が。
「須藤さん。『灯』へ、来てください」
彼女は、驚いた顔をした。
「私は、あなたのこれまでの扱いも、仕えた先生の名前も、雇う理由にはしません」と私は続けた。
「あなたが、あの難しい試験を通した頭脳を持ち、現場を自分の足で知っている。ただ、それだけで十分です。『灯』には、その力が要る」
須藤さんは、長いあいだ黙っていた。その目の縁が、ゆっくりと赤くなっていく。
「……もう一度、政策をやって、いいんですか。私なんかが」
「あなたなんか、ではありません」と私は言った。「あなた、だからです」
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須藤さんの登用は、一つの礎になった。
私たちは、党の真ん中に、政策の集団を組み立て始めた。
桐生さんが全体の頭になる。
そして須藤さんが、社会保障と、生活の現場の、確かな柱になった。
その下に、各議員が国費で抱える政策秘書を、束ねていく。
そして、私たちは一つのルールを決めた。
今後、灯の議員が政策担当秘書を雇うときは、政策論議のできる人を雇う。
むろんすぐには揃わない。
本物は少なく、そして来てくれにくい。
それでも、須藤さんのような埋もれた火を、一つずつ掘り起こす。
育て、束ねていく。
金で頭脳を買うのではない。
値踏みされ、忘れられていた本物を、拾い、熾す。
須藤さんの登用は一つの礎になった。
けれど同時に、足りないものを、はっきりと突きつけもした。
須藤さんは、社会保障と、生活の現場の専門家だ。
だが政策は、その一本だけでは立たない。
思えば、あの「足場」の話一つとってもそうだった。
若い人の賃金は、経済の話だ。それを削る下請けの構造は、産業の話。
技能者の単価は、建設の話。
原料の高騰までさかのぼれば、外交と資源の話にまで行き着く。
一つの問題が、いくつもの分野に根を伸ばしている。
「須藤さん一人ではまるで足りません」と桐生さんは言った。
「経済。税制。科学技術に、産業。農業。外交。建設。……政策の集団と呼ぶには、埋めるべき分野が、まだいくつも空いています」
私たちは、埋み火を探す旅を、続けることにした。
経済と財政には、もともと沢井さんがいた。
財務省で沢井さんと同じように主流派から外された人を探してきてくれた。
国家公務員総合職試験(旧1種)を通った人は、弁護士と同様に認定試験を受ければ秘書資格を得ることができる。
税制には、変わった経歴の人が加わった。
元は国税の調査官である。
入り組んだ税の抜け穴が、大きな金持ちをするりと通し、まっとうな庶民ばかりをきつく縛る。
その理不尽を、現場でいやというほど見てきた人だった。
「正直者が報われる税に」。
組織の中でそう言い続け、疎まれ、早くに役所を去っていた。
科学技術と産業の柱には、半分引退された有名企業の取締役の方についてもらった。
元々は博士号をもった技術者で、半導体製造の最前線に立っていた人だ。
しかし、その会社の工場は閉じ彼は職を失った。
日本のものづくりが、どこで世界に競り負けたのか。
その痛みを、机の上ではなく閉ざされた工場の門の前で味わった人だった。
農業には、若い就農者が名乗りを上げた。
彼も元々は研究者で、博士号を持っていた。
どこかで聞いたような話だが、大学の教授の方針に盾突き大学を追われ、親の田畑を継ぎ、担い手の減っていく村で歯を食いしばって土を守ってきた青年である。
食べるものを、自分の国で作るということ。
その重みを、彼は、泥のついた手で語った。
外交と安全保障は、現役の官僚であるため公にはお願いできないが、柏木さんが意見をくれる。
建設や暮らしの現場の声は、佐伯くんや鵜飼さんたちが、生きた実感として届けてくれる。
疎まれて役所を出た、元国税。工場を追われた、技術者。泥まみれの、若い百姓。雑用に埋もれていた、須藤さん。……どこかで値踏みされ、はじかれそれでも確かな力を手放さずにいた人たち。
誰もが、灰の下の、埋み火だ。
灰をそっとかき分ける。
すると、その下に、まだ赤い種火が残っている。
息を吹きかければ、また熾る。
消えたように見えて、消えていなかった火だ。
須藤さんも、そうだった。
桐生さんも、佐伯くんも、リムさんも。
この国には、灰に埋もれて、消えたふりをしている火が、まだいくらでもあるはずだ。
それを掘り起こして、また熾す。
たぶん、それが「灯」という党の仕事なのだ。




