足場
妊娠を公表したとき、私はあえて淡々と話した。
派手な会見はしなかった。
世間はもう、私が何者かを知っている。
かつて男だったこと。
さまざまな来し方の人が集まっていること。
だからその日も、事実だけを告げた。
子どもを授かったこと。安定期に入ったこと。
出産のときだけ休みをもらい、そのあとも「灯」の代表を続けること。
「以上です」
声を張ることも、涙ぐむこともなかった。
産むというのは、静かな暮らしの営みの一つのはずだ。
私はそれをそのままの大きさで伝えたかった。
ところが、世界のほうが静かではいてくれなかった。
私の淡々とした数十秒は、その日のうちに国境を越えた。生まれたときとは違う性を生きる人間が、子を宿した。医学の常識からすれば、あってはならない出来事である。
だからこそ、世界がびっくりした。
海外の大きな放送局が、速報を流した。
「奇跡か」。そんな大仰な見出しが躍る。
学者がテレビで真剣に論じ、祝福の声と、驚愕の声、そして母体と子に対する医学や宗教上の懸念が入り混じった。
遠い国の名も知らぬ人々までが、私の腹の子について関心を抱いている。
正直、これは参った。
これは私と曜一朗と、この子のささやかな家庭の話のはずだった。それがいつのまにか世界中の大きな問いにされていた。
曜一朗は苦笑いで言った。「僕らの子は、生まれる前から、有名人だね」
遠いドイツの、エーリカの母にも届いているだろうか。
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国内でもその医学的、生物学的な議論もあったが、それ以前に私は公人で、そちらの方が議論になった。それは、極めて現実的な問題だ。
「党首が務まるのか」と、ある論説は書いた。
出産に身体の負担があるのは言うまでもない。
問題はその先だという。子育ては片手間でできるものではない。そして政治もまた、片手間で務まるほど甘くはない。その二つを同時に抱えて、本当に代表の職責を果たせるのか。どちらも中途半端になりはしないか。
その問いは、私の胸にも刺さった。反論の言葉が、すぐには出てこない。この身体で、この責任を抱えたまま母になる。そんなことが本当にできるのか。私自身、確信が持てずにいた。
家に帰り、私は曜一朗にその不安をこぼした。
彼は少し考えて言った。
「一人で全部やろうとすれば、たぶん潰れる。……でも君は、一人じゃないだろう」
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その言葉のとおりだった。
翌朝、事務所に行くと、桐生さんが私の予定表を組み替えていた。
「代表でなければできない仕事。それ以外を、こちらで引き取ります」
陳情の一次対応も、資料の下読みも、彼が回すという。
沢井さんは委員会の実務を若手で分け合う段取りをつけ、相馬さんは報道の矢面を引き受けた。
立花は「体調は私がいちばんそばで見る。無理そうなら遠慮なく休ませる」と、私の肩に手を置いた。
大河内先生は、いくつか重要ではない局面で会見やテレビ出演を引き受けてくれた。
私の負担は、驚くほど軽くなった。
両立とは、たった一人が歯を食いしばって成し遂げる離れ業ではない。
支える人がいて、仕組みがあれば、当たり前の暮らしの一部になる。
相馬さんは言った。
「『両立できるのか』と聞かれたら、こう答えます。『一人では無理だ。だから支え合う』と。それがいちばん強い答えです」
これは一つの形を示せるかもしれない、と私は思った。
『少子化対策を行う政党の党首ですら子を持てば続けられない』となってしまうと、この国のすべての職場に同じ影が落ちる。
けれど、チームが、支え合いでそれを可能にしてみせる。言葉で言い張るのではなく実際にやってみせる。その姿こそいちばん雄弁な答えになる。
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だが、これで少子化が片づくわけではない。
仕事を続けるか辞めるか。
それは、すでに家庭を持てた人の話だ。
そもそも、その手前で止まっている人がいる。
その顔が浮かんだとき、ちょうどその人が、事務所の戸を叩いた。
佐伯くんだった。かつて少年院にいた、鳶職の青年である。手弁当の頃からの仲間で、あの灰の避難所では、屋根の上で濡れ灰を掻き落とし、大勢の命を救った男だ。
いつもは軽口を叩き合う仲だが、その日はうつむいていた。
「俺、別れようと思ってるんです。付き合ってる人と」
「どうして」
「……甲斐性が、ないんですよ、俺には」
鳶の仕事は、腕はよくても実入りが安定しない。
天気が悪ければ現場は止まり、景気が傾けば真っ先に仕事が減る。
日当暮らしで、社会保険にろくに入れてもらえない現場も多い。そのうえ、と佐伯くんは声を落とした。
「俺には、少年院にいた過去がある。安定した会社に勤めようとしても、そこではじかれる。信用が、はなからないんです。……こんな俺が所帯を持って、子どもにひもじい思いをさせたら。そう思うと、俺なんかに、その資格はないよなって」
私は言葉を失った。
私はこの数日「産んでも仕事を続けられるか」で悩んでいた。けれど佐伯くんは、そのはるか手前に立っていた。家庭を持つスタートラインにすら立てず、いや、自分にはその資格がないと思い込まされている。
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その夜、私は桐生さんと沢井さんに、この話を預けた。
「根っこは、いつもと同じですよ」と沢井さんは言った。いま子どもが減っている最大の理由は、結婚する人が減っていることだ。
そしてその結婚は、驚くほど経済と結びついている。収入が低く、雇用が不安定な若者ほど、家庭を持てずにいる。将来を見通せなければ、人は誰かと生きる約束を結べない。
「佐伯くんは、その典型です」と桐生さんが続けた。
「産んだあとの給付をいくら厚くしても、彼には届かない。つまずいているのは、ずっと手前。……足場が、ないんです」
足場。鳶職の彼らしい言葉だと思った。
高い所に上がるには、まず足場が要る。それがなければ、どんな腕のいい鳶も一歩も上がれない。
家庭を築くのも同じだ。安定した仕事。見通せる暮らし。立ち直った者を色眼鏡で見ない社会。そういう足場がなければ、人は家庭という高みに上がれない。
私が両立できるのは、仲間という確かな足場があるからだ。けれど佐伯くんには、その足場がない。仕組みも、暮らしの土台さえも。
少子化は、仕事を辞めるか続けるかだけの話ではなかった。その手前で足場を奪われた、大勢の若者の話でもあったのだ。
私は決めた。この「足場」の話を、国会の真ん中に、持っていく。給付を配るだけでは届かない場所がある。それを、正面から、問うてみようと。
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その日、私は党首討論の場に立った。※各党の代表が、総理と直接、政策を論じ合う場である。
一年生議員の頃とは、立つ場所が違う。
私は「灯」の代表として、総理と正面から向き合っていた。大きくなりはじめた腹を、隠しはしなかった。世界がこの身体を見ている。
そして佐伯くんのような、名も知らぬ大勢の若者も、きっとどこかで、この討論を見ている。
総理は、少子化対策について、まず給付の話をした。子育て世帯への支援。新しく始まった、子育てを社会全体で支えるための仕組み。※二〇二六年度から、医療保険と合わせて集める「子ども・子育て支援金」が始まっている。産み育てやすい環境を整える。それが政府の答えだった。
私は、まっすぐに応じた。
「その給付を、私は否定しません。産んだあとを支える。大切なことです。……ただ、総理。それは、川の下流の話です」
私は、一人の若者の話をした。名は伏せた。けれど、生身の人がそこにいることは、はっきりと語った。
「腕のいい、若い職人がいます。好きな人がいて、所帯を持ちたい。それでも踏み切れずにいます。仕事の実入りが安定せず、将来が見通せないからです。加えて、彼には過去のつまずきがあり、それが信用の壁になっている。……彼は、結婚の、そのずっと手前で止まっている。産んだあとの給付は、彼には、一円も届きません」
議場が、静かになった。
「子どもが減る、いちばんの原因は、結婚する人が減っていることです。そして結婚は、経済と固く結びついている。収入が低く、雇用が不安定な若者ほど、家庭を持てずにいる。……だとすれば、見るべきは川の上流です。若い人の稼ぐための足場を、組み直すことです」
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私は、その足場を組む道すじを、一つずつ示した。
「第一に、賃上げの水を、末端まで通すことです」
賃金を上げよと、政府は経済界に呼びかけてきた。けれど、大企業が下請けを買い叩けば、その水は途中でせき止められ、末端の職人には届かない。
「幸い、道具はあります。二〇二三年に、国は『労務費の価格転嫁の指針』を示しました。※人件費の上昇分を、きちんと取引価格に上乗せするための、国の指針です。……これを掛け声で終わらせない。昨年改正された取適法の、報復の禁止と合わせて、実効あるものにする。声を上げた下請けが、切られない。その仕組みを、本気で回すことです」
「第二に、あの職人の彼のような、現場で働く人の足場です」
これも、始まったばかりの仕組みがある。改正された建設業法で、技能者の賃金のもとになる「標準労務費」の目安を国が定め、それを著しく下回る安値の契約を戒める。
※二〇二五年の暮れから本格的に動き出した。公共工事で国が定める労務単価も、十三年続けて引き上げられている。
「これを公共の工事だけで終わらせない。民間の現場にも広げ、社会保険への加入を当たり前にする。職人の腕が正当な値で報われる。そういう国に変えるのです」
「第三に、一度つまずいた人の足場です」
罪を償った人を、事情を承知で雇う雇い主がいる。※国が後押しする「協力雇用主」という仕組みがある。その輪を広げ立ち直った人が、家庭を持つことまであきらめずに済むようにする。
「過去を理由に足場を奪えば、その人は、二度と高い所に上がれません。人を、人として扱う。それは、やり直す人にもう一度足場を差し出すことでもあるはずです」
そして最後に、私は自分自身のことに触れた。
「私はいま、仲間に支えられて、代表を続けながら母になろうとしています。この『支え合う職場の形』を、私たちだけのものにせず、世の中の当たり前に広げたい。……給付という下流と足場という上流。子育ての支えと、暮らしの土台。この二つは車の両輪です。片方だけ回しても車はその場をぐるぐる回るだけなのです」
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総理は、すぐには認めなかった。
財源の限りがあること。
経済の賃上げは道半ばであること。
反論は、いくつも返ってきた。討論は、その日、かみ合ったとは言い切れない。
それでも、議場の空気は、少し動いた。
少子化を、給付の多い少ないだけで語る。
その物差ししか、これまで議場にはなかった。
そこへ、「足場」という別の物差しが一つ置かれた。産みやすさの前に、暮らしの見通しがある。その当たり前が、国会の真ん中で語られた。
討論のあと、傍聴していた沢井さんが静かに言った。「今日で風向きが変わるわけじゃない。……けど、地図に新しい道が一本引かれましたよ」
すぐに法が変わるわけではない。仲間の数もまだ足りない。それでも、語る向きは確かに定まった。
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後日、佐伯くんがまた顔を出した。
前より少し、背筋が伸びて見えた。
「先生。あの討論、見ましたよ。……俺のこと、話してたでしょう」
「名前は、言ってないわよ」
「分かりますって。……あれ聞いて、彼女に言われたんです。『私はあんたの稼ぎじゃなくて覚悟を見たい』って。参りますよね、まったく」
その顔は照れくさそうで、あの避難所の屋根の上で見た、まっすぐな顔と同じだった。
「足場は、私たちが組むから」と、私は言った。「あなたは、上がることだけ考えなさい」
「鳶が、足場の心配をされる日が来るとはね」
彼も笑った。灰だらけの顔で笑い合った、あの夜と同じ笑いだった。
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その夜、私はそっと、自分の腹に手を当てた。
この子が大きくなって、誰かと家庭を持ちたいと願うとき。
甲斐性がないからと、生まれが、育ちが、過去がと、そんな理由であきらめさせられる国であってほしくない。
誰もが家庭という高みへ上がれるだけの、足場のある国。それを遺したい。
私の足場は、大勢の仲間が組んでくれている。ならば次は、私が、佐伯くんたちの足場を組む番だ。まだ見ぬ、この子のためにも。




