命
灰がようやく東京から消えた。
地震と噴火から約1年がめぐっていた。1か月近く降り続いた灰は、東京の首都機能を完全に麻痺させた。
人も物も東へ西へと動けなくなり、政治の中枢は、やむなく仙台へ移された。
臨時の遷都である。
誰もが「一時のことだ」と言い聞かせながら、その一時がいつまで続くのか、本当は誰にも分からなかった。
それが、ようやく終わろうとしていた。
道路の灰がかき出され、新幹線が本数を戻し、止まっていた工場にまた灯がともる。
そうして少しずつ、国会も省庁も東京へ帰ってきた。復興の槌音は鳴りやまない。
それでもこの国は、どうにかもとの身体を取り戻しつつあった。
私も東京へ帰った。
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久しぶりに開けた玄関はうっすらと埃をかぶっていた。
その夜曜一朗が帰ってきた。
彼も病院に詰めきりだった。灰が人の肺を痛め、心を病む人が増え、医者の手はいくらあっても足りなかった。
二人とも同じ国のそれぞれの持ち場で休みなく働いていた。顔を合わせるのも、ずいぶん久しぶりだった。
「おかえり」
彼はそれだけ言った。
私は返事の代わりに、彼の胸に額を押しつけた。理由は自分でもうまく言えない。ただ、そうしたかった。
彼の身体は、記憶していたとおりに温かかった。
議員としての私は、いつも背筋を伸ばしていなければならなかった。
カメラの前でも、委員会でも、避難所でも。強くあらねば、守れないものがあった。けれどこの家の、この人の前でだけは、その背筋をゆるめてよかった。
久しぶりに私は、誰かに甘えるということを思い出していた。
みっともないほど甘えた。強くあろうとするたびに、心のどこかがすり減っていたのだと思う。彼の腕の中でだけ、私はその重荷を下ろすことができた。
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数日後、私たちは匡義の納骨を済ませた。
あの人は、家の畳の上で静かに息を引き取った。地震で家が揺れても柱の一本も倒れはしなかった。まるで最後まで主を守り抜くように、あの家は持ちこたえ匡義は安らかに逝った。
けれど、あの混乱のさなかである。
骨を墓に納めるという当たり前のことさえ、私たちには長らくできずにいた。遺骨は聡子のもとで、静かにその日を待っていた。
寺の墓前で、聡子は白い箱をそっと胸に抱いた。
「お待たせして、ごめんなさいね」
夫を呼ぶ、いつもの口調だった。
納骨を終えた帰り道、聡子は私に一冊の古い手帳を差し出した。
「あの人がね、あなたに渡してほしいと」
表紙は擦り切れ、角が丸くなっていた。
若い頃の匡義が使っていたものだという。開くと、几帳面な字が隙間なく並んでいた。陳情の記録、勉強会の日付、そして時おり走り書きのような言葉。
そのうちの一行に、私の目は吸い寄せられた。
「政治の値打ちは、いちばん弱い者を人として扱えるかで決まる」
私は、しばらく動けなかった。
それは、私がいつかカメラの前で口にした言葉とほぼ同義だ。
私はこの手帳を一度も読んだことがない。教わったわけでもない。
それなのに、四十年も前に、あの人は同じ場所に立っていた。
匡義は、かつて理想を掲げ権藤らと対立した。
そして、日本を動かすために現実といくつも妥協した。
理想は消えていなかった。いつか継ぐ者が現れるのを、この手帳の中で静かに待っていたのだ。
私は墓前で泣かなかった。
泣く代わりに心の中で誓った。
これは私一人の理想ではない。
匡義から受け取った灯だ。
オリンピックの聖火が走者から走者へ渡されるように、私はこの火を受け取った。
ならば、次の走者へ渡すまで決して消してはならない。
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東京での暮らしと国会が、動き出した。
復興の予算をめぐる攻防が続く一方で、この国は、先送りにしてきた古い宿題とも向き合わねばならなかった。
その筆頭が、少子化である。
ちょうどその頃、国が前の年の人口の統計を公表した。数字は、国会を、静かにざわつかせた。
一年間に生まれた子どもの数が、初めて七十万人を割り込んだ。六十八万人あまり。統計を取り始めて以来の最少である。一人の女性が生涯に産む子どもの数の平均――※合計特殊出生率という――も、一・一五まで下がった。これも、過去最低だった。
子育て世帯への給付を増やせ。いや財源がない。若者の賃金が上がらなければ何をしても無駄だ。議論は、いつものように数字と財源のあいだを、ぐるぐると回っていた。
私は、桐生さんとこの問題を調べ始めた。
私の委員会は外務だ。少子化は畑が違うが、それでも学ばずにはいられなかった。
調べるほどに、見えてきたのはいつもと同じ構図だった。
「産みたくない人が増えた、という話ではないんです」と、桐生さんは資料をめくりながら言った。
「産みたいのに、産めない。そういう人が、増えている。……問題の根は、いつもと同じところにあります」
彼の指が、一つの調査を、指した。
結婚した夫婦が「本当はこれくらい欲しい」と願う子どもの数はいまも二人を超えている。けれど現実に持つ数はそれを下回る。その差を生んでいるのは、多くの場合お金だった。教育にあまりに費用がかかる。将来が見通せない。
「望みと現実のあいだに溝がある」と、私はつぶやいた。
「はい」桐生さんが頷いた。
「その溝に、いちばん弱い人から順に、落ちていくんです」
それは、あの下請けの町工場の話と、在留資格の話と同じ形をしていた。
制度は席を用意する。けれどいちばん切実な人がその席に着けない。
私は、政府が数字ばかりを見ていることに、珍しくいらだっていた。
出生率を上げよ、と人は言う。
まるで女の身体を人口を増やすための道具のように。
そうではない。
一人の人間が安心して誰かを産み、育てられるか。守るべきはその一点のはずだ。
見るべきは「数」ではない。その裏の人だ。
いつのまにか私は、また同じ物差しを握りしめていた。
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異変に気づいたのは、その調べ物に、根を詰めていた頃だった。
はじめは疲れのせいだと思った。朝、胸の奥がむかつき、匂いにやけに敏感になる。
国会が本格的に動き出し、私はまた走っていたから身体が悲鳴をあげているのだ、と。
けれど、日を追うごとに、それは疲れとは違う何かになっていった。
私は毎日、少子化の資料に埋もれ、「産みたいのに産めない人」のことばかり、考えていた。それなのに自分の身体の中で起きていることには、まるで、気づかずにいた。
...とんでもない鈍感さだった。
まさかと思った。
そのまさかを、私は長いあいだ、自分に許してこなかった。
私の身体がどういう来し方をたどって、いまの私になったのか。それを思えばその「まさか」は考えてはいけないもので、望むことさえしてこなかったのだ。
曜一朗に、おそるおそる打ち明けた。
彼は、めずらしく言葉を失った。それから私を、夫としてではなく、一人の医者の顔で、病院へ連れていった。彼がそれだけ慎重になっていることが、私にも分かった。
検査の結果を告げられたとき、私はその意味を、すぐにはのみこめなかった。
宿っていた。
小さな命が、たしかに、私の身体の中に。
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診察室を出てから、曜一朗はしばらく廊下の椅子に座りこんでいた。
「……信じられない」
両手で顔を覆い、そうつぶやいた。医者として、研究者として、それがどれほどあり得ないことか。彼にはきっと私よりも分かっていた。
けれど顔を上げた彼の目は、濡れていた。
医者の目ではなかった。父になろうとしている、一人の男の目だった。
「産みたい」
気づけば私はそう口にしていた。理屈ではなかった。ただそう思った。体のことも、自分の立場のことも、この瞬間は抜け落ちていた。
毎日、望みと現実の溝に落ちていく人のことを、考えていた。その私の身体に、いま一つの命が宿っている。
これを手放すことは、私にはできなかった。
しかし、頭の片隅で別の声も鳴りはじめていた。
私は、「灯」を背負う代表で、議員だ。
国会はいよいよ大きな局面に入ろうとしている。この身体で、私はその職責を果たせるのか。産むことと職責は両立するのか。
世間はそれをどう見るのか。
その問いはあまりに重く、あまりに大きかった。
まだ、誰も知らない。桐生も、権藤も、この国の誰一人。
けれど私の中で、その小さな灯は、もう静かに燃えはじめていた。
匡義から継いだ火のすぐ隣で。
消してはならない火が、もう一つ、灯っていた。




