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選挙は終わった。

が、それはかなり今後の見通しを難しくした。


どの勢力も、単独では過半数に届かない。旧・与党は、大きく議席を減らしながらも固定票のおかげでかろうじて最大の会派を保っていた。


野党は相変わらずばらばらに割れている。そして、その拮抗した盤面のちょうど真ん中に五十七議席の「灯」が座っている。


誰と誰が組むのか、組まないのか。

キャスティングボードを握っているのが誰かは明らかだ。

けれど、追い詰められた者は、時に思いもよらない一手を打ってくる。


****

旧・与党が動いた。

彼らが掲げたのは

「挙国一致」

という言葉だった。


「未曾有の国難を前に与党も野党もない。すべての党が手を取り合い、一致団結して復興にあたるべきだ」


旧・与党の総裁は、神妙な顔でそう訴えた。


そして、最大野党へと大連立――※二つの大きな政党が手を組んで一つの巨大な政権を作ること――を呼びかけたのだ。


一見、それは美しい呼びかけだった。この傷ついた国のために党派を越えて力を合わせる。

反対しにくい大義だった。

世論の一部も「今は、それもやむを得ないのでは」と傾きかけた。


けれど、私はその裏に隠されたものがどうしても許せなかった。


****

その夜私は「灯」の主だった議員に集まってもらった。


「……これは選挙をなかったことにする一手です」私は言った。


「大きな党どうしが、こっそり手を組んで私たちの一票を無力にする。……それは国民に、こう告げるのと同じです。『あなたたちが考えて投じたあの一票にはなんの意味もなかった』と。……これほど民意を馬鹿にした話は、ありません」

大河内先生が、静かに頷いた。


「それに」と、桐生さんが、付け足した。

「巨大な与党にまともな反対勢力がいなくなれば。誰もその暴走に待ったをかけられません。……そして、あの人たちの復興はいつも上から大きくでした。豪快な公共事業の陰で、いつも目の前の一人がこぼれ落ちてきた」


大連立とは、要するに、選挙で厳しい審判を受けた古い政治が、誰にも責められない安全な場所で、またあの古いやり方の復興をやり直すための隠れ蓑だった。


「阻止しましょう」


私が言うと、権藤はにやりと笑った。

「言われるまでもないわ」


そこからは理想と現実の見事な二人三脚だった。


私は表で声を上げた。


「国民の皆さんが、下した審判を政治家が勝手になかったことにしていいはずがありません。互いに相手の目も見ず手を握り合うことが団結ではない。堂々と議論し間違いを正し合いながらそれでも前へ進む。……それこそが、皆さんが私たちに託したことのはずです。」


私はあの、美しい大義の仮面の下を白日の下に引き出した。

「あなたの一票を無駄にはさせません」と。


そして権藤は裏で楔を打ち込んだ。

「大連立なんぞ成るものか」鼻で笑った。

「歴史を見ろ・・・与党に飲み込まれた野党がどういう末路を辿ったか。名前を利用され、中途半端な妥協の末に野党は分解して終わりだ。2,3の大臣の椅子と引き換えでは割に合わん」


そして権藤は四十年の伝手を駆使した。

最大野党の中の改革派――本当は、あの沈みかけた古い与党の下に飲み込まれることを屈辱に思っている若手たち。

彼らにそっと囁いて回った。

「あんな泥船の二番手に収まってどうする。……お前たちの志を活かせる場所はほかにあるだろう」と。私たちの「灯」を指し示しながら。


野党の方は大揉めに揉めた。執行部は大連立に色気を示したが、末端の議員達は反発した。


そうしてその争いを横目で見ている内に、世間の目は「復興を口実にした、古い政党どうしの密室の談合」という目に変わってきた。

その上で椅子をめぐる両党首の腹の探り合いが最後のとどめを刺した。


挙国一致の大連立はあっけなく崩れ落ちた。

国民が託した私たちの一票の重みは守られた。


****


結果として、旧与党は単独で立つことになった。

「灯」は首班指名で私の名前を書いた。

決選投票では棄権し、結局与党の総裁が、決選投票で首相に指名された。


そして、ここから「灯」の本当の戦いが始まった。


私たちはキャスティングボートを握っている。

私たちが賛成に回らなければ与党とて、法案一つ通せない。

逆に、私たちが旗を振れば動く数がある。

そのてこを私たちは遠慮なく使った。


一丁目一番地は、復興だった。

それも、上からのではない。

一人ひとりの暮らしを、建て直す復興だ。


桐生さんが、次々と法案を書いた。

権藤が、その一本一本をどの会派の誰をどう口説けば通るかを盤面を睨んで差配する。

私が、表で世論に訴える。


なかでも忘れられない法案があった。

それを、私に持ちかけてきたのは沢井さんだった。


被災者生活再建支援金。

家を失った人が、暮らしを立て直すために、国から受け取れるお金だ。

その上限は、いまの法律では三百万円。

……けれど、三百万円で、いったい、どれだけの家が建つだろう。柱の、何本か。屋根の半分。それが精一杯だった。その上限を、暮らしを本当に建て直せる額まで大幅に引き上げる。

それがその法案の中身だった。


「これは困っている人を助けます」

沢井さんはそう言って、それから少しだけ含みのある目をした。

「……でも先生。実はこの法案の値打ちは、それだけじゃないんです。被災した一人ひとりの手に、直接まとまったお金が渡り、それは家を建てるために必ず使用される。その渡ったお金がこれから何をするか。それが肝なんです。……その話は、またいずれ」


私はそのときはその言葉の、本当の意味を掴みきれてはいなかった。ただ、財務省を飛び出した、この経済の男の目が、いつになく遠くを見ていたことだけは覚えている。


****

抵抗はあった。財源がない。前例がない。交通インフラの復旧が先だ。

……巨大な公共事業には、いくらでも金をつけたがる人々が、なぜか一人ひとりの手に渡る金には渋い顔をした。


けれど、この法案に、正面から反対するのは、あの災害を生き延びた国民の前で、あまりに分が悪かった。権藤の数の差配と私の世論への訴えが、噛み合った。


この法案は可決された。



むろん、すべてがうまくいったわけではない。


私たちは次々と議員立法を放った。

壊れたなりわいを建て直す支援。二重ローン――※流された家の古い借金を抱えたまま新しい家のためにまた借金をしなければならないあのむごい仕組み――を断ち切る法案。


通ったものもあった。

けれど潰されたものも多かった。

とりわけ、古い利権の根に触れる法案は、目に見えない力で握り潰された。

銀行が渋り、業界が抵抗し、いつのまにか審議の俎上にすら載らずに消えていく。


悔しさに唇を噛む私に権藤は言った。

「……欲張るな。十出して、三つ通れば上出来よ。全部を通そうとする奴は、結局何一つ通せん。……一つずつだ。一つずつ楔を打っていけ。古い岩もいつかは割れる」


****

その夜、仙台の事務所の窓から、私は、街の灯りを見ていた。

この街は、幸いにもあの災いを免れていた。

だからこそ、灰に沈んだ東京に代わってこうして国の心臓を預かっている。

整然と灯る無傷の街並み。それは皮肉なほど穏やかだった。


けれど、私の心はこの窓のはるか向こうにあった。灰をかぶった東京。津波にさらわれた静岡や和歌山の海辺の町々。いまも瓦礫と寒さの中にいる無数の人々。


私たちが通した、あの一本の法案で。

あの遠い土地の誰かがほんの少し早く、我が家を取り戻せるかもしれない。

……この、傷ついた国から見れば、あまりに小さな一歩だった。

けれどたしかに一歩だった。

上からではなく。一人の暮らしの高さから。


復興の次には経済が。そして、その先には、外交が、待っている。越えねばならない山は、まだ、いくつもそびえていた。

そして、私の頭の隅には、あの、沢井さんの、遠くを見る目が、静かに、引っかかっていた。――渡ったお金が、これから、何をするか。それが、肝なんです。


長い夜はまだ明けきってはいない。

けれど、私たちはもう、その夜をただ耐えるだけの存在ではなくなっていた。


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