雪
みぞれは、いつしか本格的な雪に変わっていた。
仙台の展示ホールの大きなガラス越しに、私は降りしきる雪を見ていた。
国際センターの周りの、街路樹も、屋根も、白く覆われていく。
灰の東京とは違う、清らかな白。
けれど、その白さの下でも、この国の傷はまだ少しも癒えてはいなかった。
復興は、遅々として進まなかった。
避難所の暮らしは月をまたいでいる。
仮設住宅は、まるで足りない。
西日本の太平洋岸は、いまだ瓦礫の下だ。
行方のわからない人の数は、まだ確定すらしていなかった。
この傷ついた国が総力を挙げて取り組むべきことは、あまりに多くあまりに切実だった。
・・・だから、その動きを知ったとき、私は正直我が耳を疑った。
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政権の一部が、憲法に緊急事態条項を書き加える改正案をこのどさくさの中で一気に進めようとしていた。
※大災害や有事の際に、内閣へ強い権限を集める仕組み。
桐生さんが、条文を読み込んで静かに言った。
「……これは、復興のための道具ではありません。内閣が、国会を通さずに法律と同じ命令を出せる。人の権利を縛れる。選挙さえ遠ざけられる……この非常時を盾にして通そうとしているんです」
私はその日、議場を見渡した。
コートを着たまま白い息を吐いて座る同僚たち。
菊と喪章の載った、いくつもの空席。
画面の向こうで避難所の毛布にくるまって回線の途切れと闘いながら審議に参加している議員。
……皆が自分の傷を抱えたまま、それでも目の前の一人を救うために必死で頭をひねっている。
その同じ議場で。
国の、いちばん重い法を・・・人々が凍え、飢え亡骸も弔えずにいるまさにその隙に書き換えようとする者がいる。
私は、静かな怒りが腹の底からこみ上げてくるのを感じた。
――いまやるべきことが、他にいくらでもあるでしょう。
大体、憲法を改正するためには国民投票が必要だ。それができる頃には、今回の緊急事態条項がまさに想定する自体は過ぎ去っている。
なぜよりによってこの瓦礫の上でそれを急ぐのか。
この混乱に紛れて、というそのやり方そのものが、私にはどうしても許せなかった。
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大河内先生が私に裏事情を解説した。
「今回の大災害で、政府が十分に動けていないという批判は高まっている。その批判の矛先を権限が与えられていないからだ、という方向に捻じ曲げたいのと、憲法の他の改正・・・憲法9条の改正や、皇室の尊重、GHQに押し付けられたと思っている憲法そのものの再制定につなげる布石として、初めての憲法改正を実施するという一石二鳥の手だと、あの人たちは考えているわ」
と言いながら、先生は目を伏せた。
「ただ・・・あの会議の中にも、心からこの国を憂えている人が大勢いる。その人たちは皇室を敬い、古いかたちを慕っている……その多くは、こんな火事場泥棒のようなやり方を、内心では苦々しく思っているはず」
そのとおりだ。私が闘う相手はあの人たちの信念ではない。
この、どさくさに乗じるという手口だ。
そして――そのことは与党の内側にも、静かな亀裂を生み始めていた。
権藤から短い連絡があった。
「……党が割れかけておる。若い連中や穏健な連中が、このやり方にはついていけんとな。面白くなってきた」。その声には、獲物を待つ猟師のような低い響きがあった。
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この戦いで、私の前には大きな壁があった。
肝心のこの国の多くの人々が皇国会議という名前すら知らないのだ。
緊急事態条項という言葉に、疲れ果てた人々は、国が素早く動けるということへの期待感すら浮かんでいる。
国内の大きな報道もなぜか、このいちばん奥にある団体のことに深く踏み込もうとはしなかった。
だから、私が単純に反対を叫んでもその声は押しつぶされるしかない。
そこは思案のしどころだった。
私は、あの外務省時代の上司の言葉を思い出していた。
柏木課長がいつか私に授けてくれた、たった一つの武器を。
「お前にできるのは声だ。世界が振り向く声だ」
内側で、届かないのなら。一度、外へ出せばいい。
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呼びかけに応じたのは、アメリカCNNのドキュメンタリー取材班だった。
G7の一角である、この国が未曾有の大災害に見舞われ、その混乱のさなかに、政府が憲法を書き換えようとしている。しかも、その裏には国民の多くも知らない、一つのナショナリズムの団体がいる――それは、世界の目から見ても、じゅうぶんに、報じる価値のある物語だった。
そして、世界に顔を知られた私という存在がその物語の入口になった。
私は取材を受けた。
仙台の雪の降るあの展示ホールで。
避難所で。
桐生さんや大河内先生もカメラの前で事実を語った。
私は一つの条件をお願いした。
「皇国会議を悪魔のように描かないでください。……彼らの言い分も、そのまま映してください。私は、彼らを貶めたいのではない。ただ、日本の人々に見えていないものを見えるようにしたいだけなのです」
CNNのディレクターは頷いた。
ドキュメンタリーは、皇国会議の信奉者たちの真摯な肉声もそのまま映した。この国を愛すればこそという年配の人の涙ながらの言葉も。その一方で、急進派がこの災害に乗じて緊急事態条項を押し通そうとするその動きも淡々と映し出した。
ただ全部を見せるだけでよい。
義父がいつか私に教えてくれた、その通りに伝えた。
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番組は、まず海の向こうで放送された。
アメリカで。
ヨーロッパで。
世界のいくつもの国で。
反響は大きかった。
「災害に乗じた、憲法改正」
「日本を静かに動かす知られざる勢力」
海外の名だたる報道機関がこぞってそれを後追いした。
そして――潮は逆流を始めた。
これほど、世界で報じられているものを国内の報道がいつまでも黙っていられるはずがなかった。
「海外で話題」というその一点が氷に最初のひびを入れた。
テレビが、新聞が、ネットが、堰を切ったように報じ始めた。
そうして、ようやく。
この国の多くの人々が、初めてその名を、その正体をはっきりと目にした。
皇国会議。
自分たちの、投じた一票のその先で何が起きようとしていたのかを。
一度見てしまえばもう見なかったことにはできない。
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むろん逆風もあった。
中国や韓国、ロシアと言った国は日本へのバッシングのため実態よりも大きく、あたかもネオナチのような団体が政府を牛耳っているのだ、と主張した。
だから、急進派の側は私を口汚く罵った。
「外国に嘘を伝えた」
「反日だ」
「売国奴だ」と。
けれど、その罵りはかえって彼らの旗色を悪くした。
結果として中国等に口実を与えたことは間違いないが、私は嘘は一つも言っていない。
彼ら自身の言い分すらそのまま世界に映して見せたのだ。
「見られては困る」というのなら。
それは見せた私ではなく、見られて困るようなことをしてきた彼ら自身の問題だ。
多くの国民が、そう感じ始めていた。
内閣の支持率は坂を転げ落ちるように急落した。
緊急事態条項の改正案は袋叩きに遭い引っ込められた。
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人が、私のところへ集まり始めた。
避難所で、共に汗を流した、名もない人々だけではなかった。
今度は議員たちだった。
それも与党の若手。野党の若手。
党派を越えて。
この、混乱に乗じるやり方に、我慢の限界を迎えていた者たち。
目の前の、被災した一人のために本当は働きたいのに古い政治のしがらみに縛られていた者たち。
彼らは一人、また一人と間に合わせの私の事務所兼会館を訪ねてくるようになった。
まだ党でも会派でもなかった。
ただ、雪の降る借り物のホールの隅に灯った小さな火。
その、頼りない光の周りに、凍えた手をかざすように、人が集まってくる。
私は胸の奥の、義父の灯をそっと確かめた。
柏木課長の言葉は、正しかった。私の武器は声。
世界を振り向かせその視線をこの国自身に返す声だった。
そしてその逆流した潮の、いちばん深いところで。
更なる激流を起こす動きが始まっていた。




