◇ chapter 03 夜の張り込みと、屋根裏の異変 ◇
翌週の夜、私は部室で渡された装備一式を抱えて、再び松原邸へ向かった。懐中電灯、録音機、予備の電池、温かい飲み物、そして非常食のポテトチップス。藤堂先輩が「機材のチェックは念入りに」と言いながら、私の持ち物をひとつずつ確認してくれる。黒川先輩は相変わらず大げさで、肩に掛けたカメラバッグから取り出したのは、まるで探検隊の旗のように見える巨大な懐中電灯だった。
「これがあれば幽霊も目が眩むだろう」と黒川先輩が得意げに言う。私はその懐中電灯の重さに笑いをこらえつつ、「幽霊が目を眩ませるって、どんな幽霊ですか」と突っ込んだ。黒川先輩は真剣な顔で「目が眩む幽霊もいる」と答え、藤堂先輩に軽く殴られていた。藤堂先輩のツッコミはいつも的確だ。
松原邸に着くと、澄子さんは玄関先で私たちを迎えてくれた。夜の家は昼間よりもさらに静かで、窓の向こうに見える障子の影が、まるで別世界の入口のように揺れている。澄子さんは私たちを居間に通し、簡単に手順を説明してくれた。「屋根裏は古いから、足元に気をつけてね。夜中に音がするのは十時過ぎから深夜にかけてが多いのよ」と言う。
私たちは居間の隅に陣取り、録音機をテーブルの上に置き、懐中電灯を手元に置いた。黒川先輩はカメラを構え、藤堂先輩は静かにレンズを覗き込む。私はポテトチップスの袋を開け、緊張を紛らわせるように一枚口に放り込んだ。ポテトチップスの塩気が、妙に心を落ち着かせる。
最初の一時間は、思ったよりも平穏だった。外からは時折車の音がするだけで、屋根裏からは何の音もしない。私たちはお菓子をつまみながら、くだらない話で時間を潰した。黒川先輩は「幽霊の好きな食べ物は何か」という真剣な議題を持ち出し、藤堂先輩は「幽霊は食べ物を必要としない」と冷静に否定する。私は二人のやり取りを聞きながら、笑いをこらえるのに必死だった。
だが、深夜に近づくにつれて、空気が変わってきた。風が窓の外の木々を揺らし、家の古い柱が微かに軋む。そうした日常の音が、いつの間にか私の神経を研ぎ澄ませる。時計の針が十一時を回ったころ、藤堂先輩が小さく息を呑んだ。
「聞こえますか?」と彼女が囁く。私たちは耳を澄ませた。最初は風のせいかと思ったが、確かに屋根裏の方から、規則的な「トントン」という足音が聞こえてきた。足音は軽く、子どもの靴底が畳を踏むような柔らかさがある。黒川先輩は興奮して懐中電灯を屋根裏の方へ向けたが、光は天井の隅を照らすだけで、何も見えない。
「録音、開始」と藤堂先輩が静かに言い、録音機のスイッチを入れた。私の心臓は早鐘を打ち、手のひらに汗がにじむ。足音はしばらく続き、やがて止んだ。私たちはしばらくの間、沈黙の中で呼吸を合わせた。黒川先輩が「よし、屋根裏を見に行こう」と言ったとき、私は自分の声が震えているのを感じた。
屋根裏への階段は狭く、急だった。藤堂先輩が先に上がり、黒川先輩が続き、私は最後にそっと足を踏み入れた。屋根裏は思ったよりも広く、埃っぽい空気と古い木の匂いが混じっていた。懐中電灯の光が、古い家具や箱、そして壁に掛かった写真の額を浮かび上がらせる。そこには、澄子さんが見せてくれたアルバムの写真と似た、子どもたちの笑顔が飾られていた。
私は足元に目を落とすと、古い木箱が一つ、埃をかぶって置かれているのを見つけた。人形は木製で、顔の塗装が剥げかけているが、どこか愛嬌がある。私は思わず「かわいい」と呟いてしまった。
黒川先輩が呆れたように「今、屋根裏で怖い足音を聞いた直後だぞ?」と言い、藤堂先輩が小さく噴き出した。「美咲ちゃんって、肝が据わってるのか、感覚がズレてるのか、どっちかわからないね」と彼女が言う。私は「え、どっちかって言ったら……どっちですかね」と答えてしまい、二人に同時に頭を抱えられた。
「おお、これはいい被写体だ」と黒川先輩が言って、カメラを向ける。藤堂先輩は箱の蓋をそっと開けた。
箱の中には、古い写真と、折りたたまれた紙切れが入っていた。紙切れには、子どもの落書きのような線と、鉛筆で書かれた小さな文字があった。藤堂先輩がそれを手に取り、懐中電灯の光で文字を照らすと、そこには「おかえり」と小さく書かれていた。私はその文字を見て、胸がぎゅっと締め付けられるのを感じた。
「誰か最近ここに来た形跡がある」と藤堂先輩が低く言った。箱の縁には、指で触れたような油の跡が残っていて、埃が完全には積もっていなかった。黒川先輩は「いたずらかもしれない」と言ったが、その声にはどこか不安が混じっていた。私も、誰かが最近ここを訪れたという事実に、背筋が寒くなった。
そのとき、屋根裏の奥から、ふっと子どもの笑い声が聞こえた。最初は風のせいかと思ったが、笑い声ははっきりとしていて、しかも楽しげだった。私は思わず笑い声の方向を見た。光の届かない暗がりの中で、何かが動いたような気配がした。黒川先輩が「誰だ!」と叫ぶと、笑い声はぱたりと止んだ。
私たちは急いで屋根裏を降り、居間に戻った。録音機を再生すると、先ほどの足音に混じって、確かに子どもの笑い声が録れていた。しかも、録音の最後には、誰かが小さく「おかえり」と囁く声が入っていた。私はその声を聞いて、胸の奥が熱くなるのを感じた。怖さと同時に、どうしようもない切なさが押し寄せてきた。
「これ、ただの演出じゃないか?」と黒川先輩が言ったが、藤堂先輩は首を振った。「演出なら、もっと計画的にやるはずだし、箱に残った痕跡は偶然では説明できない」と彼女は冷静に分析した。私は二人のやり取りを聞きながら、自分の中で何かが変わっていくのを感じた。単なる怪談の取材ではなく、ここには人の記憶と願いが絡み合っている。
その夜、私たちは録音と映像を持ち帰り、部室で解析することにした。帰り道、黒川先輩は「大スクープだ!」と相変わらず大げさに叫んだが、その声には以前ほどの軽さはなかった。藤堂先輩は無言で機材を抱え、私はポテトチップスの空袋をぎゅっと握りしめていた。
家に帰ると、私は布団に潜り込みながら、屋根裏で見た人形と、録音に残った「おかえり」という声を反芻した。怖いという感情の裏に、どうしようもない温かさがある。私はその夜、なかなか眠れなかった。屋根裏の小さな異変は、私の中に新しい問いを残していった――あの笑い声は誰のものなのか。誰が最近、屋根裏に触れたのか。そして、私たちの取材は、どこまで真実に迫れるのか。
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