白磁の小瓶02
そもそもセロがルフェールを部屋の外に呼ぶということ自体今までなかった。それにルフェールが応じることも意外と言えば意外である。ベルはルフェールが部屋から外に出ている姿を片手で数えるほどしか見たことがなかった。てっきりルフェールは外界に興味がなく、人と関わることを嫌い、閉じこもっているものとばかり思っていた。
「……そうですか。楽しそうで、何よりです」
ぽろっと零すとルフェールは視線を落とし、少しの間固まった。よく見ていないと分からない変化だった。
「……そうか、私は楽しいのか」
ぼそり、声が落ちる。ベルは首を傾げたが、せっかくなので話を続けることにした。
「楽しそう、と言えば。ガーウィンさんから様々な作法を教えてもらっているそうですね。この間セロさんが楽しそうに言っていました。なかなか面白い、と」
「面白くなんかないよ」
ルフェールの返事は早かった。
「ウィン、すぐに怒るんだ。……ティーナみたいに。怒鳴りはしないけれど、すぐ眉間にしわが寄って説教する。私は悪いことを一つもしていないのに。セロはそれを見て笑っているんだよ」
しゅんとした様子だった。これもまた珍しい。
「例えばどういう時に怒られるのですか?」
興味が湧いて聞いてみると、ルフェールは少しだけ考える素振りを見せてから口を開いた。
「……もしティーナがお風呂に入ろうとしていたらどうするかと聞かれたから、一緒に入ると答えたら怒られた」
「なっ! それはそうでしょう!?」
思わず声が大きくなってしまった。ルフェールは何でもないことのように言ったが、ベルには女性と入浴を共にするなど考えられないことだった。
「そうなのかい? 何が悪いのか私には分からないよ」
「他人の嫌がることをするのはだめですよ。無防備な姿を晒すのは誰だって嫌がります。さすがのティーナも嫌がりますよ」
「そうか。人というものは私が思っているより繊細なんだね。ティーナが怒っていたのは彼女が繊細だからか……」
「いえ。彼女は繊細とは違うような気がしますが……。怒っていた、とは、何かあったのですか?」
「彼女が入っているお風呂に入ったら怒られた」
「な!?」
「どうして怒るのかよく分からなかったけれど、ベルのおかげで分かった気がするよ。彼女は私が思っているより繊細なんだ」
ベルは開いた口が塞がらなかった。
相手が繊細どうこうという話ではない。そんなに親しくもない異性が裸でいるところに自分も裸で入って行くなど考えられない。しかもルフェールはそんなことをしておいて全く悪びれる様子もないのだ。
あまりにも相手への配慮が足りない。いや、あまりにも他人に無関心なのかもしれなかった。とにかくこのままでは男性としても人としてもまずい。ガ―ウィンがルフェールに作法を教えるということを聞いたときはどうしてそんなことを、と驚いたのだが、確かに必要だとベルは納得した。作法以前の問題な気もするが。
「ガ―ウィンさんが説教するのも分かります……」
ため息交じりに呟いた。
するとルフェールの赤い目がベルを見て、そのまま横に滑った。扉を見ているらしい。ベルもルフェールの視線に誘われるようにして扉を振り返った。
コンコン
「レリアンです!」
バンッ
「!」
ルフェールが答える前に扉が乱暴に開いた。
立っているのはレリアンではなかった。あの、ララというティーナの従者であった。ここまで走って来たのか髪を乱し、肩で息をしている。
ララは息も整えず、何の断りもなく部屋に入って来た。
「おい! 無礼だぞ!」
指摘したが聞こえていないのか、ララはベルには見向きもせずに真っ直ぐルフェールのところまできた。ルフェールが赤い瞳をララに這わせる。ベルは訝しげな顔をした。
一瞬、うるっと緑色の目が震えたかと思うと、ララは勢いよく頭を下げた。
「どうか、どうかティーナ様をお救いください。お願いです。ティーナ様が死んでしまったら、私も死ぬ他ありません。お願いです。ティーナ様をお救いください」
深く頭を下げて懇願するララ。声が震えている。鼻をすする音もする。ベルは彼女の足元にぱたぱたと涙が落ちていることに気がついた。ララが泣いている理由が分からず、ベルは片眉を上げた。
「ルフェール様……」
部屋の外ではレリアンが今にも泣きそうな顔をしていた。いつも笑っているのに珍しい、とベルは思った。
「……ティーナをここへ。レリアンはあれを持ってきて」
「ありがとうございます!」
「かしこまりました!」
ルフェールが答えるとララはすぐさま顔を上げて走って部屋を出ていった。開けっ放しの扉を閉めることなく、レリアンがその後を追いかけていく。
ベルは二人を見送った後、頭の中にいくつも疑問符を浮かべた。一体何だったのだろう。ベルには分からない。しかしルフェールは分かっているらしい。
ルフェールはおもむろに立ち上がると、大きなベッドの隣に置いてあるランプに火を入れた。部屋がもう一つ明るくなる。どうしてそんなことをするのかは分からない。
「……何だったんでしょうか」
「人は、繊細だということだよ」
ルフェールは視線を下げたままぼそりと呟いた。先ほどの話の続きなのだろうか。意味が分からず首を傾げると、ルフェールは「今に分かるよ」とだけ答えて口を閉じてしまった。そう言われてしまっては返す言葉がなく、ベルも口を閉じた。
それからいくらもしないうちに誰かが部屋の中に駆け込んできた。
黒髪の大男、ジョックスである。ジョックスは両腕に小さな白いものを抱えていた。
ジョックスが抱えているものが分からなかったので、ベルはソファを回り込んで立ち位置を変えた。そうして驚いた。ジョックスの抱えていたものはティーナだった。あまりにも小さくて動かないのでただの布かと思っていた。
「今すぐどうにかしろ!」
ジョックスはガラスがビィンと音を立てるくらいの怒号を響かせた。眉を吊り上げ、今にも人を殺しそうな目をしてルフェールを睨みつけている。あまりの気迫に、自分に向けられたものでもないのにベルの身体が震えた。
「ベッドへ」
対するルフェールはいつもと変わらない様子だった。表情を変えず、淡々とした声色で誘導する。
ジョックスは何も言わず、ルフェールに従ってティーナをベッドに寝かせた。
ティーナは変わり果てた姿になっていた。
荒い息。額に滲んだ汗で髪がくっついていて、顔は青白く、身体はぐったりと脱力している。生きているはずなのに、ほとんど動いているところがない。
「……ティーナ?」
ぞっとした。これがあの、先ほどまで元気に人をからかって笑っていたティーナなのかとベルは目を疑った。それから訳が分からなくて動揺した。




