暗闇の中の声02
扉が閉まり、うっすら入っていた橙色の光が消えた。あの小さなランプの光でさえ、ずいぶんと明るかったのだと気づかされる。
ほとんど、真っ暗闇。なけなしの月光が何かの影を照らしているように見えた。
「怪我はない?」
暗闇が問いかける。
「えぇ。手首が痛いくらいよ」
「距離を誤らなくて良かった。貴方の目の前にソファがある。座ってくれるかい?」
ティーナは手を前に出して慎重に歩を進めた。指先が何かに当たる。男の言うことを信じれば、ソファなのだろう。手探りで形を確認しながらソファらしきものを回り込み、ゆっくりと腰を下ろす。
「そう、いいね」
声は満足そうに言った。声の人物にはティーナのことが見えているのかもしれなかった。
「私は向かいに座るよ」
衣擦れの音がして、何かがティーナの目の前に座った気配がした。
「改めて自己紹介でもしようかな。私はルフェール。それ以上は言えないと言えば、貴方は分かるだろう」
「さぁどうかしら。わたくしはティーナ・レイラ・メレズディ。貴方、わたくしのことをどれだけ知っているの?」
「教えられただけ。ラルク・ヨハン・メレズディ男爵の孫で、栗色の髪と薄い茶色の目をした小柄な女性。供に黒髪の大きな男を連れている。それだけ」
「あら、意外と少ないのね」
「そうなんだよ。御陰で流石に私もどうするべきか迷っている」
ふぅ、と息を吐く音が聞こえた。暗闇で目が見えないため別の神経が敏感になっているのか、それだけでも大きな音に聞こえる。
最初に比べれば目も慣れてきたが、光が乏しすぎてぼんやりとした輪郭しか分からない。目の前に誰かが座っている。ただ、それだけしか分からなかった。
「ルフェールが決めてくれないとわたくしもどうしようもないわ」
「そうだよね。どうしようかな。貴方が自由に決めて良いと言ったら、貴方はどうする?」
ティーナはため息を吐いた。
「本当にまどろっこしいわね。それとも優柔不断の方がいいかしら? ルフェール、自分で考えて決めたことって何一つとしてないの?」
「どうだろう。私には全て与えてくれる人がいるからね。知識、金、物、人、地位や名誉に、この世の全て。私が望んでも望まなくても与えてくれるから、考えたことなんてほとんどないかもしれない」
「受け身なのね。自分から欲しいと思ったことはないの?」
「ないだろうね」
「呆れた」
再びため息を吐いた。
「ルフェール、貴方、与えられるだけではだめよ。自らも積極的に動いていかないとつまらない人生になってしまうわ。こうなってしまったのも自分から何かをしようとしないからよ。情報が少ないなら自分で調べなさい。自ら考えて行動しなさい。頼るだけでは、時の流れに身を任せるだけでは、一人になった時に何も出来なくてつまらないわよ」
すぐに返ってきていた返事が滞った。ティーナの目の前に佇んでいるであろう人物は沈黙している。衣擦れの音も呼吸音もしない。ただ、人のような輪郭が目の前にある。
「……そうか、私は今、つまらないのか」
ぼそり、と声が落ちた。
「貴方は楽しい?」
「今は楽しくないわ」
ティーナはつん、と言い返した。
「真っ暗で何も見えないなんて嫌よ。それにお茶の一杯も出ないなんて! わたくしは温かいお茶とたくさんのお菓子のあるお茶会でお話するのが好きなのよ」
「そう」
たった一言。それだけ。肯定でもなく否定でもなく、ただ受け入れた、それだけの返事だった。
ティーナは肩を落としてソファに背を預けた。
ルフェールは黙ってしまった。聞きたいことは山ほどあるが、質問ばかりしても仕方がない。目の前の人物が何かを決めるまで、ティーナは何も出来ない。
と、衣擦れの音がしてぼんやり浮かんでいた人影が揺らいだ。人影は机の上に置いてあった何かを手に取ったように見えた。
シュッ ボッ
「!」
何かをする音がしたかと思うと、橙色の小さな灯りが点った。突然のことに驚いたティーナが目を瞬かせる。目の前の人物はティーナが目を慣らしている間にマッチの火を机の上に置いてあったランプの中に入れた。
辺りがぽっと明るくなる。ティーナは目を細めた。
細い指がランプを二人の間に引き寄せる。
「……」
ティーナは目の前に座っている人物を凝視した。
灯りが橙色でも分かる。目の前の人物は、白い。
服が白ければ肌も白い。そして肌が白ければ髪も白い。ほとんど真白で、色があるのは目の赤くらいだった。
白く長いまつげが影を落としている。じっと橙色の炎を見つめていた瞳が、まつげ越しにティーナに向けられる。
「……お砂糖みたいね」
「舐めてみる?」
「いやよ不味そう」
ティーナは渋い顔をした。
「貴方なら、私の姿を見ても驚かないと思ったよ。予想はついていたのだろう?」
「まぁそうね」
ゆっくりと瞬きするティーナ。
白い男ルフェールは前かがみになっていた身体を元に戻した。
「あの人が貴方を推薦した理由が分かったよ。貴方は賢く、それでいて度胸がある。私の容姿を怖れない、貴方のような人は珍しい。キッド以来かな」
ルフェールは形の良い唇を曲げて笑った。綺麗な笑みだった。
「誰に聞いたのかは聞かないけれど、その方もルフェールもわたくしのことをそれだけ買ってくれるのは嬉しいわ。これでようやく、ちゃんとしたお話ができるのかしら?」
小首を傾げるティーナ。ルフェールはそうだね、と頷いた。
「ティーナ・メレズディ」
ゆっくりティーナの名を呼び、ルフェールは続けた。
「貴方に私を守ってもらいたい」
数拍。
「……」
ティーナは続きの言葉を待ったけれど、ルフェールが言おうとしないのでしびれを切らした。
「何から守るの? 詳しく教えてくれないと何も出来ないわ」
ルフェールは口を開いた。
「私の命を狙う、人物から」
ぽつ、ぽつ、と言葉が落ち、再び沈黙。
「……」
いつまで経っても話がまるで進まない。
「もー!」
ついにティーナは頬を膨らませて怒った。




