4歳 デュリス山脈
「じゃあ、行ってくるよ」
「うん…。はやくかえってきてぇ…?」
クリスの頭を撫でながら挨拶を済ませる。
これから俺は鍛錬に向かうのだ。
ただし、いつもと違って少しばかり遠出だが。
「行ってらっしゃい、アル様!」
「うん、クリスの事を頼むね」
リューネがニコニコと手を振って来る。
一時期は「私は世話係なんだから付いていかないとダメなんですぅ!」と駄々を捏ねて非常に厄介だったのだが、最近は何か心境の変化でもあったのか、こうして簡単に見送ってくれる。
まるで夫の帰りを待つ良妻の様な…あれ、なんかおかしくなかったか?
アスレチックを完成させて二ヶ月後。
クリスも3歳になり、少しずつだが落ち着きを持ち始めた。
結局アスレチックを作っても俺と一緒に遊びたがるので、自分の時間を取れる量はそう変わらなかったりする。
無駄な事をした気もするが、俺としても計画を練るのは楽しかったし、現場が出来上がる光景にワクワクした。
職人達との交流も含めて充実していたし、元々解決したかった使用人達の魔法被害はグンと減ったのだから、まあ良しとしよう。
それに、彼女が多少なりとも外に出て自立心を養った事で、今ではこうして頼めば半日以上一人で外出する事も出来るのだ。
後で埋め合わせを求められるとはいえ、これは大きな進歩である。
因みに、このアスレチック事業は父上に委任して推し進めて貰っているが、今はまだ話題を広めている段階。
ある程度噂が浸透したら興味を持った商人や貴族達を招き、うちのモデルケースを体験してもらう予定だそうだ。
ならば今はアスレチック場を俺とクリスしか使っていないかというと、そんな事はなく大熱狂だ。
客を招待するまでの期間は試験的に使用人や職人達にも解放し、彼らの子供が自由に使ってくれている。
その子達に遊んだ感想を聞く事で生の声をアピール出来るし、今後の改善点にも繋がるのだ。
一番遊んでいるのはうちの愚兄フリードだったりするが。
彼は子供達を巻き込みガキ大将を気取っている。
他の子に迷惑をかけないで欲しいが、彼らも平民を無下にせず導こうとするフリードを尊敬しているようなので、たぶん大丈夫だろう。
クリスはだいぶ人見知りだった。
他の子が近くにいると吃驚して俺の背に隠れる。
しかし最近では一部の大人しい女の子と仲良くなれたようだ。
今日もその子達と遊んだりするのかな?
*
今から向かう場所は、いつもの鍛錬場所ではない。
別館、ひいては公爵家全体の安全領域から出た先の「外」だ。
気配を消して敷地を駆け抜ける。
東側の分厚く高い塀が近づいたと同時に、『気配察知』で周囲に人がいないのを確認し、『ボード』を発動。
空中を階段を登るようにして自由に駆け上がる。
『跳躍』の効果もあり、『ボード』を蹴ったのはたったの5歩。
一旦、塀の上に着地してその先を見渡す。
そこには、見渡す限りの山々が広がっていた。
『デュリス山脈』
ブロンベルク公爵家の所有地を守るように東側に広がっており、その先は『魔の森』の奥まで続いている。
神代より存在する山と伝えられており、そこには多種多様の生物が生息している。
珍しく貴重な素材も豊富に採れるが、当然その場所には魔物も生息する。
山の浅い場所であれば鍛えた人間に限り行き来する事が出来るらしいが、その各山の頂上に近づくほど住まう魔物が強力になっていくと言われている。
頂上付近の魔物は、魔の森の中心部の魔物に匹敵、またはそれ以上の強さだという。
伝記によれば神獣やドラゴンが住まうという話もあった。
そんな奥地に近づく訳はないが、俺の目的はこの山脈の浅瀬で活動する事だ。
塀から再び『ボード』で駆け下り、ゆっくり草原へと着地する。
一番近い山の麓までは、20kmくらいか?
見当をつけて、一気に走り出す。
今まで鍛錬だけは十分にしてきたが、まだ一度も実践的な戦闘経験を積んでいない。
少し怖いが、そろそろ魔物との戦闘を体験しようと決意したのだ。
ここ以外の場所となると、近場の草原で少ない魔物を探すしかない。
というのも、なんといっても北には『魔の森』、西面には『ワイマング渓谷』があるからだ。
『魔の森』の危険性は、一度行ったから体感している。
当時は1才児でも楽勝でいけるな、と思っていたがそう甘くはなかった。
あそこの魔物、特に最後に鑑定した「マンティコア」はステータスがとんでもなく高かった。
一人で正面から戦えば、万全の状態でも確実に勝てるとはいえない。
それに『鎖』が万能じゃないというのも、そのとき初めて知った。
魔の森では面白いように弱体化が通用したが、あれはどうも魔物が戦闘中で俺が気付かれていなかったという理由が大きいようだ。
帰りに魔力が切れたときに何度か魔物に遭遇してしまったが、その際使った『鎖』の効果はあまり発揮しなかった。
多少は効いたようので、魔物が動揺しているうちになんとか逃げ切る事は出来たが。
ステータスを見た限り、そのときは1割程度だがデバフがかかっていたらしい。
その結果を受けて、相手に自分を認知される、もしくは敵対の意志を向けられている状況では、能力が著しく通りづらくなる傾向があるのだと考察した。
リューネに対してはよく分からない効き方をしていたので、もしかして「味方」と認識されていると効果が変わるのか?とまた考える事が増えたものだが…。
いずれにしても、あの時は本当に運がよかっただけなのだ。
この固有スキルに頼らなければ済まない状況に陥れば、予想外の事態に対処出来なくなってしまう。
人族としてならともかく、今の俺は魔物の世界ではまだ弱輩。
保険が効かない場所で戦えるなんて考えはしない。
そして『ワイマング渓谷』は、別の意味で危険な地域だ。
こちらの『デュリス山脈』と似たように山と渓谷で西面を覆っているのだが、この場所は生半可な生物が生き残れる環境ではない。
自然災害が物凄いらしいのだ!
昔からの火山地帯であるらしく、今もそこらでマグマが吹き荒れているそうだ。
逆に渓谷の方では温度が氷点下まで下がっており、にも関わらず流れが激しい為にその河は凍りついていないという。
乱発的に雷が乱れ落ちる事もあるらしく、人間では探索出来ないと匙を投げられた。
世界でも最大級に未知とされる地域である。
仮に俺が行けたとしても、弱い魔物が生息していないというのだから向かう価値がないだろう。
以上の理由から、まだまだ肉体が未発達の俺が行けるのは辛うじてこの『デュリス山脈』だけ、という事だ。
そろそろ麓に着く。
『鎖』を外せば一瞬で着いたのだが、あくまで鍛錬の一環として来ているので戦闘中だろうが外すつもりはない。
いざという時、命の危険があった時だけにしようと思う。
到着し、ちょうど川の下流付近だったので、水を手で掬って啜る。
冷たくて美味しい。腹を下す心配もなさそうだ。
一応迷わないように川沿いをゆっくりと登っていく。
気配を消し、油断せずに感知を働かせる。
『隠蔽』『気配察知』『魔力感知』!
余力を残すならこの3つの同時発動が限界だ。
重ねがけは結構キツい。
途中、知らない植物やキノコがそこら中にあるので採取したい欲求が芽生えたが今日の目的と異なるので断念した。
バッグも最低限しか用意していないしね。
*
歩く事15分。
早くも魔物が感知に引っかかった。
息を潜め、木の影に隠れて敵の様子を伺う。
そこには一匹の魔物が鼻を鳴らせながら歩いていた。
頭部が犬のようで、どこか人間に近い顔立ち。どちらかというと醜い部類に入る。
口を閉じていれば人によっては可愛いと感じるのかも知れないが、舌を出した先に見える牙が凶悪さを際立たせる。
身長は人族の少年程度と小柄だが、俺よりはずっと高い。
全身が薄い茶色の体毛に覆われており、やや前傾に向きながらも二本足で歩いていた。
また服装は腰布しか身につけておらず、錆びた剣だけを構えている。
特に威圧感は感じない。俺はすぐに鑑定した。
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名前 -
種族 コボルト
性別 男
職業 ソード
年齢:0歳
LV:1 3
HP: 191
MP: 18
筋力:56
魔力:13
耐久:39
敏捷:75
器用:62
運:12
【ユニークスキル】
【スキル】
咆哮Lv1 剣術Lv2
【称号】
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成る程、やっぱりこれがコボルトね。
弱いな。
制限した俺の能力値と比べると負けているが、魔力やスキルで圧倒している。
警戒する点が見当たらないな。
強いていえば仲間を呼ばれないように注意しないと。
こちらに気付いてもなさそうだし、後ろから瞬殺でもいいんだが…。
初めて命を奪う魔物だし、思うところもある。礼儀というわけでもないが、正面から戦おうか。
「ふぅ…」
息を落ち着けて、気配を元に戻す。
短剣を抜き、木の前面へと姿を見せた。
ガサッ
「ギャオゥゥ!?」
「やあ初めまして、コボルト君。…一応聞くけど、言葉通じたりしないよね?実は魔物は善良なんてパターンもあるかと…うおっ!」
「ギャァァアン!!」
コボルトは完全にこちらを見下しているのか、警戒もなく突如切り掛かって来た。
獲物に食いついた目でこちらを睨んでいる。
ステータス通りの速さだったが、剣技があまりにも拙い。
たまにリチャードの相手をしている俺には余裕で避けられる。
「やっぱり通じないよね、よかった。…じゃあここからは殺し合いだ。お前と違って食う為じゃない、恨みもない。俺の目的の為に命を奪い取らせてもらうよ」
「ギャオオゥゥッ!!」
シュバッ!
たった一歩。
俺は最小限の動きで剣を振り抜き、コボルトの後ろで少しだけ浮かび上がった状態から着地した。
振り向くと既にコボルトの頭部が胴体から崩れ落ち、血飛沫を上げた。
剣が動いていなかった事から、反応する間もなかったようだ。
『跳躍』スキルによる水平移動。
踏み込みが難しく完全な水平はまだ出来そうにないが、地道な特訓により浮上を最低限にまで抑えられるようになった。
この僅かな浮上は、逆に今の体には相性が良い。
今のように自分の腕が届かないような大きい敵に対しても、剣を首まで楽々と届かせる事が出来るのだ。
「呆気なかったな…。これが初めて命を奪った感覚か」
もしかしたら、堪えて吐くのではないかと覚悟していたが、動揺はまるでなかった。
おそらく『精神耐性』スキルがあるからタフになっているのだろうが、今感じている感覚は生来のものだと思う。
楽しい訳でもない。悲しいとも違う。
虚しい、というのが正しいだろうか。
ああ、いつか俺もこうなるのかな。もっとマシな死に方がしたいな。
そこには、諦念があった。
いずれは死ぬ。そして、生きる苦しみから解放される。
そう、生きるとはそれだけで苦しいものだ。
生まれ変わったところで結局、根底にはそうした考えで埋められている。
体が変わって、精神まで幼稚になったと思ったが。
それが俺の本質なのだろう。
苦しむ事が当たり前で、だからこそ折角解放出来るようになった『鎖』を再び縛り直してまで、苦痛を享受しているのかも知れない。
苦しんでいないと不安なのだ。
今の楽しい毎日に、自分が溶けてしまいそうで。
こうして「死」を見つめた事で、早めに自分の事を知れてよかった。
それでも俺は、今の人生を気に入っている。
今の生活を捨てたくない。
己の根源からして苦しみから逃れられなくとも、いつか死ぬまでに出来るだけ好きに生きて、楽しみたいんだ。
「とりあえず、苦しみから解放されたコボルト君。君への追悼を送るよ」
左腕を死体へと向け、魔法を発動する。
コボルトの死骸は突如現れた青白い炎に、一瞬にして焼却され。
その跡には僅かな炭と、小さな魔石のみが残されていた。




