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魔の森の氾濫



屋敷が騒がしくなった。

使用人が屋敷のなかでも武装するようになり、何人か門兵が追加された。


リューネに事情を聞いてみると、魔物の氾濫がおきる兆候が予見されたらしい。


氾濫。スタンピードとも呼ばれる。


主にダンジョン都市でよく使われる言葉だ。

ダンジョンは、定期的に魔物を狩っておかなければ、魔素が蓄積して濁り、限界に達すると魔物を生み出す量が爆発的に増え、ダンジョン外へと魔物が溢れ出してしまう。

という仮説になっているらしい。

本で読んだ知識だ。


ここブロンベルク領は、王都寄りの東北部に位置しているが、『魔の森』という国指定の超危険地域に接している。


この森には常に大量の澱んだ魔素が満ちており、一般的な魔物は生息すらできない。

ここにいるのは、最低でもD級の魔物。中心部にはS級の魔物まで複数存在するらしい。


それに加え、魔の森の向こう側は帝国の領土となっている。森自体が天然の要塞となってはいるが、万一にも攻め入らないとは限らない。


よってその脅威に立ち向かう為に、歴史上代々、うちのような武家が領地を拝命しているらしい。


そして、魔の森の恐ろしいところは、ダンジョンでもないのに定期的に氾濫が起きる事である。

記録上、3年に1度は起きている。


それ故に天然の巨大ダンジョンと捉えられている。

しかしこの森の場合、仮に高レベルの人間が魔物を定期的に狩ったところで意味がない。

澱んでいる魔素の総量が桁違いなのだから。


しかも、氾濫を早期に発見する手立ては今のところ存在しない。

氾濫直前まで、森の状態に見た限り異変は発見出来ないようだ。


実際に森を調査する人間が魔物の少なさ、静けさを察知し、例年の経験を元に判別するので、直前まではどうやっても兆候を知りえないのである。

どんなに人材を投与して運に助けられても、最大で4日前が限界との事だ。


その為毎回準備の整わない状況で対処に当たるので、常に大量の死者が出るらしい。


今回は比較的早期に発見出来たらしいが、それでも予想は3日後。

普通の対策では大抵が1日前になるらしいので、十分早いだろう。

今から時間の許す限り軍備を整えて砦に向かうのだろう。


「パパは〜?」


「そうですね、公爵様も出陣なさいます。心配ですね。

でも大丈夫ですよ!マグナス様は『戦鬼』って呼ばれてまして、とぉ〜ってもお強いですから!」


リューネはアルフの頭を撫でる。

言葉に反して彼女のほうが不安そうな顔をしている。いや、悲壮か。

どうしてだろう。


アルフ的には魔物を見に行きたい気持ちもあるが、幼児である以上流石にそんな事は言えない。

そうでなくとも絶対に敵わない存在にわざわざ会いに行くつもりもないが。


おそらく一番大変なのは、父である公爵である。なんでも例年の防衛戦では最前線で本人も戦いながら舵取りをするらしい。


アルフは父の受難に冥福を祈った。死んでいないが。





「集合地点での警戒体制に穴がありすぎだ!もっとバランスよく配置しろ!

C地点は弓兵に任せても効果範囲が狭い。槍兵隊に入れ替えて投げ槍を渡せ!あと兵糧は極端に減らすな!最低3日は持つようにしろ!」


「B地点から槍兵がいなくなれば前衛が不足してしまいます!弓兵は砦に守備兵力に回し、守備隊を代替として回してもよろしいでしょうか」


「それでいい!それと備蓄がキツいが、魔法兵にはマジックポーションをあと2本ずつ渡さないと心許ないな。

で、冒険者がこの位置では彼らの動きが読めなくなる上、現場の状況次第では巻き込まれる。訂正して改善案持って来い!」


公爵家本館。


その執務室では、様々な役職の人間が入出を繰り返していた。


その奥の机で息も継がず指示を飛ばすのは、アトラス王国公爵家当主、マグナス・ブロンベルク。


普段の寡黙な彼は一変し、鬼神の如き威圧感を放つ。部屋の中は戦場のような空気に満ちていた。

周囲の人間も怯えながらも、その顔は覚悟が決まっており、マグナスに対して書類の裁可をもらい、伝達や報告、打ち合わせに動く。


たった3日。その短すぎる期間にどれだけ戦力を集め、戦略を練るかでいかに当日に起こる悲劇を減らせるかが決まるのだ。


皆守りたい家族や仲間がいる。

決死の思いで事前準備に臨んでいた。


ある程度構想がまとまり、人が出払うと小休止に着くマグナス。

しかし彼の頭の中では、さらなる軍略を模索し続けていた。


彼にとって、妻や子ども達だけでなく、領民すべてが守るべき対象だ。

無理と知りながらも、一人の犠牲すら見過ごすわけにはいかない。


前当主が病死し、まだ若かったマグナスが当主を引き継いでから早8年。

既に彼は2度のスタンピードを経験していた。


一度目は散々だった。

当時から頭角を現していたマグナスは勇んで魔物の討伐に向かったが、防衛軍の脆いところを突かれて砦の崩壊を招いた。


最終的には侵入した魔物を撃退出来たものの、近隣の村4箇所が避難も間に合わずに潰されてしまった。


二度目には、予兆の発見が間に合わなかった。

氾濫を予見した当日に攻めて来られたのである。

前回の反省点を洗い出し、砦の再建と防衛戦略を予め見直していた事が功を奏したが、それでも到底戦力が足りずに、兵士の大半が戦死してしまった。


一般人に死者が出なかった為、一応は成功と見做され、王からも多大に評価されたが。

マグナスの心中は複雑であった。


今までのような被害を生み出さない為に、砦の修繕、武器や防具の募集、兵士の補充や訓練。確実に氾濫の予兆を見出すため頻繁に冒険者ギルドへ依頼。


この心血を注いだ彼の熱意と姿勢に民は心酔し、公爵家と領民との関係性は限りなく改善された。


しかしその裏で、これだけの準備を整える為にその対策費用は膨大なものとなっていた。

国から防衛費が多めに支給されているとはいえ、到底予算では賄い切れない。


彼はその不足分を第一夫人であるマリアナの本家に借りる事で補っていた。



モンベリアル伯爵家。

元商人の成り上がりの貴族で、金に汚い。

一部の産業を独占しており、領民の中でも貧富の差が激しい。

後ろ暗い人間も屋敷に出入りしているらしく、黒い噂は耐えない。


マグナスが何故そんな貴族の令嬢と結婚したかというと、政略結婚のようなものである。


彼の領地は元々防衛に注視しがちで、領地経営が上手くいかない。

防衛の為に資金がへり、資金を賄う為に防衛予算に手を付けるという悪循環だ。


国に打診しようにも既に多額の防衛費で国政を圧迫している事を承知しているので、甘える事は出来ない。

そういった状況なので彼が当主になる以前から、領政は赤字続きであった。


マグナスが結婚相手を探す際に資金の潤沢の家を選ぶのは半ば必然であった。


そんな中、モンベリアル伯爵領で行われた神託の儀により、『光の御子』が誕生した。


御子。

それはある特別なユニークスキルを持つ人間を指す。


女神から格別の寵愛を受け取った人とされ、国によっては神の代弁者の如き扱いを受ける。

戦時中であれば勇者や英雄の側近として尽力し、歴史上人族の要として数多く活躍している。


その御子がなんと伯爵の娘、マリアナであった。

国に久しく現れなかった光の御子の再来に世間は歓喜した。


しかし今の時代は幸いではあるが戦時中ではない。国境での諍い程度だ。

最も危険で戦力を投入すべき場所は、自然と『魔の森』となる。


その流れで、魔の森に接するブロンベルク公爵領へと、マリアナは嫁ぐ事になったのだ。


ブロンベルク家としても、経済力のあるモンベリアル伯爵家との婚約は渡りに船であった。

黒い噂に難色を示したものの、光の御子という防衛力を得る事を考えれば気にもならなかった。


モンベリアル伯爵家のほうも格式の高い公爵家と繋がりが出来る事はこの上ないメリットであり、その上相手は『戦鬼』と名高い、マグナスである。

戦時であれば英雄筆頭候補とされる彼が相手であれば不足がある筈がなかった。


こうしてお互いの家が利益を見出し、結婚と相成ったのである。


しかし、それからすぐに、公爵家に悲劇が起きる。


当主が体調を崩したと思ったら、不治の病にかかっていたのだ。

1年も持たず、当主は病死した。





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