第1章 不穏な空気 1 地
日没をかなり過ぎてから、やっと解放された。
1日で20試合以上が行われ、その中の数試合は双方重傷を負ったりで引き分けとなり、明後日に引き分けた者たちで再組み合わせを行って試合をやり直すらしい。
死亡は1名。残念ながら即死だったようだ。
オレの次の試合は3日後。
組み合わせは今日の時点でもう決まっているらしいが、対戦相手は分からない。
タグには記録されているそうだが、保護がかかっていて読み取ることは不可能だそうだ。
無理やり読み取った場合は記録が残るためその時点で失格になると言っていた。
もっともオレにはタグの情報を読み取る手段なんてものはないから、その注意すら無意味なんだけどな。
一部の魔法師か、専用の魔道具が無いと保護がかかっていなくても読み取れないそうだからな。
ただの金属の板なのにかなり高性能だな。
オレは自分のタグを見つめつつ通路を外へと進んでいく。
表面には何の変化もないのにな。どうやってそんな情報を記録しているんだろう?
聞いた話によるとタグが作られている金属は神々のみが扱える金属で、どんな高熱でも溶かせず傷つけることも不可能らしい。
名付けの儀式の時に空中から突然現れるらしく、どこから来るのかさえ分からないそうだ。
定説では神々の世界からやって来るらしい。
紛失したり盗まれてもいつの間にか持ち主の手に戻っているらしく、魂から作られて魂と繋がっているなどとまことしやかに言われている。
関係者の通用門を抜けると薄ぼんやりと明るい。
一番明るいのは正門から伸びる街道の方かな?出店が出ていたようなので祭の日のように煌々と魔法の灯りが点されているのだろう。
他の参加者も食事や酒を求めてかそちらの方に歩いていくのが見える。
今日は母さんの店も忙しいだろう。早く帰ってやらないと。
「よう!」
そんなことを考えていると、声がかかった。
声の方を見ると、路肩の石に腰掛けている巨大な熊の魔獣のような男がいた。
無精ヒゲが生える口元を歪めて、ニヤニヤと笑っている。
その声の主を知らなければ、怯えて動けなくなるか、剣を抜いていただろう。
「公爵令嬢に会ったみてーだな」
のっそりと立ち上がると、オレに近づいていきなりオレのシッポを握ってくる。
いてーじゃねーか。勝手にさわんな。
文句を言いたいがグッと我慢する。
「お疲れ様です、師匠」
「お、フワフワになってるじゃねーか。仲がいいこったな」
「待っていてくださったんですか?」
「お前のゲン担ぎも今日で終わりか?でもそれヤバくないか?まだ達成してないだろ?」
「あの」
「大事な戦いの前に女にうつつを抜かして腐抜けてダメになるやつはよくいるんだよな。おめーもう終わりだな。約束とやらも果たせなくなるぞ?残念だな」
「いや」
「可哀想になー。嬢ちゃんも泣くだろうなー。まったく残念だ。苦しかった修行の日々も全て無駄だな!とっとと負けて美味い飯を作る料理人になりやがれ!」
人の話を聞けや、この筋肉ゴーレム!それからシッポさわんな!
ガハハハと豪快に笑いながらシッポを掴んで離さない師匠の手を無理やり振り払い、なんとか距離を取った。
師匠はなおも笑いながら、オレの頭をグシャグシャと撫でてきた。
ただ撫でられているだけなのに鬼人みたいなデッカくてタコだらけの硬い手で撫でられると痛い。
何度も手の皮が剥けて分厚くなった、長く修業をした歴戦の騎士の手だ。
「あのよー。おまえ最初パニくってたろ?」
師匠はグシャグシャと撫でる手は止めない。
撫でられているせいでオレは見上げることができず、その手の主の表情は見れなかった。
口調は軽いが、怒ってるだろうか?
「はい」
意を決して短く返事を返す。
その一言以外言えなかった。
試合の最初は会場の雰囲気にのまれてしまって相手の攻撃を避けるしかできなかった。
殺されることも考慮した戦いでそれは致命的だ。自覚はしてる。
いや、自覚してないのかもしれない。原因はそれだけじゃないはずだ。
「途中で立ち直ったみたいだけどよ。
それで本気で『殺気』を向けてくる戦士相手の戦いはどうだったよ?」
口を開こうとしてオレは口ごもる。
そう、雰囲気にのまれただけじゃい。
今、口にしようとして気が付いた。
怖かった……。
オレはそう言いかけた。
オレは対戦相手を怖がっていたんだろう。
「本気のやつは、怖かっただろ?」
口ごもるオレの気持ちを読み取ったかのように師匠は言葉をつづけた。
「何度も言ってたじゃねーか、怖いぞって。やっと本当に理解できたろ?
今日戦ったやつはお前よりだいぶ格下だ。それでも怖かったろ?オレがクドクドと言ってた意味が分かったろ」
撫でる手を止めると、師匠はポンと掌でオレの頭を軽く叩く。
そしてオレの傍から離れると、また路肩の石に座った。
真剣な目でオレを見つめる。
オレはたまらず目を逸らしてしまう。
街のチンピラともめてそいつらが殺そう向かってくることなどは今までもあった。
この街は治安が良い方だが、そういう連中はどこにでもいる。
師匠に連れられて、魔獣の住む森に狩りに行ったこともある。
師匠に背中を押されたと思ったら次の瞬間には魔獣の真ん前で、泣いて漏らしながら魔獣を退治したなんてこともある。
死を覚悟しながら恐怖で動かない重い身体を無理やり動かし魔獣の攻撃を避けた瞬間に、ニヤニヤ笑って見ている師匠が見えて絶望したもんだ。
あの時の師匠の顔はオレの頭に焼き付いていて忘れたくても忘れられない。
あれより怖い事なんてもう無いと思っていた。
しかし、今日の恐怖は違っていた。
『訓練を積んだ戦士』が『本気の殺気』を向けてくる。
その意味を今日初めて理解した。
『恐怖の質』が違っていた。
「運が良かったな」
ニッと白い歯をむき出して師匠が笑う。
「初体験の相手がアレで良かったな。いい初体験の相手だったわ。素直な剣筋だったから予測もしやすかったろ?初体験はスタンダードな相手に限るよな。
魔女みたいな相手だったらおまえ、確実に殺されてたぞ。殺されなくても心をポッキリ折られて自信を無くして別の女で慰めようとしても勃起たなくてトラウマがどんどん酷くなってしまいにゃ朝すら元気が無くなって数年後になんとか自信を取り戻してもやっぱり女を全面的に信じることができなくなって一生独身で……って、オレは何の話をしてるんだ?」
何の話って、オレに聞かれても知るわけがない。
師匠が言う魔女というのは魔法体系外の不思議な術を使うやつらのことじゃない。
現公爵夫人のことだ。
師匠とは昔色々あったらしく、師匠は公爵夫人のことを陰で魔女と呼んでいる。
公爵夫人との昔話をするときの師匠はいつも最後には暗い目をしているので、何があったのか聞くに聞けない。
それに聞いたらオレも暗黒面に落ちる気がする……。
「まあ、あの、その、なんだ。
おまえは気負い過ぎなんだよ。でっかい目的があるのは分かるが、もうちょっと気を抜けや。
気負い過ぎてると相手の影響を受けやすくなってパニくりやすくなる。
『隠し玉』のこともあるからな。おまえはまだまだ初体験を乗り越えなきゃならねーんだぞ。
冗談言いながら事を成せるくらいになれ。ちゅうかよ、お前の場合はそれ以前にもうちょっとでも話せって話だがな!この無口小僧」
「……ハイ」
何かを吹っ切るようにガハハと笑う師匠を見ながら、オレは頭を下げた。
最後はグダグダになったが、師匠が伝えてくれようとしたことは理解できた。
「じゃあ、飯でも食いに行くか!
おまえもやっと成人したしな!酒も飲ましてやるぞ!」
立ち上がったと思ったら、師匠はオレの背中を思いっきり叩く。痛い。
「いや、オレは……帰ります」
さっさと帰って母さんの店の手伝いをしてやりたい。
「女は公爵令嬢様……いや今は精霊様か。とにかく嬢ちゃんに殺されるからな、成人したからといって連れて行ってやれねーが、酒は浴びるように飲ませてやっぞ!
とりあず一勝した祝いだ!どうせ次の試合は数日後だろ?二日酔いになるまで飲ましてやる!」
「いえ、帰ります」
「成人したんだからな、二日酔いぐらいは経験しとけ!これからおまえがどんな仕事に就くつもりか知らねーが、どこいったって古参に飲まされるぞ!
オレは優しいからな、吐いたらそれ以上飲まさずに終わらせてやる!これも経験だ!初体験しとけ!オレに初体験をささげろ!!」
だから人の話を聞けや……。
クククと面白い冗談を言ったとばかりに笑う師匠を見ながら、オレはどうやって抜け出そうか考える。
途中で裏路地に入って逃げるのは不可能かな?師匠の身のこなしと直感はオレより遥かにいい。
気を抜いていたとしても間合いに入った状態から逃げるのは不可能だろう。
オレの背中をドンと押して歩くのを促す師匠に、オレはあきらめの溜息を吐いた。
「あのよ……」
ふと、師匠の声が硬くなる。
「魔女の娘は魔女だぞ。気を付けろ……」
師匠の暗黒面にオレまで巻き込もうとしないで欲しい……。
読んでいただきありがとうございます。
熊の魔獣は『クマモン』というザンネン神々命名の名称にしようと思いましたが、外見イメージが変な方向で固定されそうなのでやめました。
クマのモンスター = クマモン のザンネン命名にしたかった……。




