第1章 霧が晴れたら見えるもの 5 地
「コロ……」
やけに遠くでセシリーの声がする。
気持ちがいい。水に浮いているような気分だ。
浮遊感があるこの状況って……ああ、おれは夢を見てるんだろう。
また、夢の中にセシリーが出て来たのか。
「コロ……」
セシリーは必死にオレに呼びかけてくる。段々、声は近づいて来ている気がする。
いつもの夢だな。いつも飛び起きると、そこには誰もいないんだ。それならこの声を聴いていた方が楽しい。
「コロッ!」
「ぐっ……」
痛ッ!!!
顔に激痛が走り、首がもげるんじゃないかと思えるほどの衝撃を感じた。
オレは咄嗟に顔を手で押さえ身体を丸めようとしたが、身体の上に何かが乗っているのを感じた。
ゆっくり目を開く。
そこにセシリーがいた。
握りこぶしを掲げて、オレを見つめている。
「……神々直伝のツッコミ拳よ。治癒の魔法を纏った拳だから痛いけどダメージはないでしょ?」
なんだよ、その意味の分からない武術は……。
コイツ、昔よりさらに暴力的になったんじゃないか?
「状況わかる?」
セシリーが聞いてくる。
その、質問の前にオレの上に馬乗りになったままなのをどうにかして欲しい。
「セシリーがいる」
「そうね」
「オレに馬乗りになってる」
「そうね」
「……降りて欲しい……」
バゴッと、オレはまた殴られた。
何なんだろう、この状況は?
オレは試合をしていたはずだ。
試合をして、相手が逃げ出して……なんだっけ?とりあえず、目の前には。
「セシリーがいる」
バゴッと、またオレの顔が見事な音を立てた。
「いいかげん、目を覚まして。状況を把握して」
と、言われたけど、本当に意味が分からない。
オレは記憶を探ったが、まだ記憶がぼやけている。
「ごめん。わからない」
素直に言うと、呆れたような顔でセシリーはやっとオレの上から降りてくれた。
最初から素直に言っておけばよかった。
確かに痛いだけでケガも何もしてないけど、馬乗りで殴られ続けるのは心にくるものがある。
公爵夫人の血を受け継いでいるおかげか、コイツの拳は無駄に重いんだよな。
「貴方の試合相手は逃げた。そして赤竜がでた。わかった?」
上半身を起こして頭を振ると、周囲は赤い世界だった。何かオレの周囲に赤い壁がある。
いや違うか。これは結界だな。
透明な結界の向こうが赤い霧のようなもので真っ赤に染まってその色が見えているんだろう。
ドラゴン?
そうだ、オレは試合の途中で真っ赤なドラゴンを見た。
その後で記憶が途切れている。気を失ったのか?
あれこそ夢じゃなかったのか?
じゃあ、そのドラゴンは?
「相変わらず寝起きが悪いわね。
とりあえず、優勝おめでとう!」
セシリーは先ほどまでオレを殴っていたとは思えないほど優しい微笑みを浮かべた。
「は?」
オレはその言葉に混乱する。
優勝?そんな実感は全くない。そもそもまだ試合の途中じゃないのか?
でも、確かに試合中に対戦相手のアマデウスが逃げ出していたから、オレが勝ったことになるのか?
しかし、なんで逃げ出したのだろう?ドラゴンが出たから?
そもそも、あのドラゴンはどこから出てきたんだろう?
混乱しているオレを見ながら、セシリーはまだ微笑んでいる。
これは……あえて情報を与えずにオレが混乱しているのを見て楽しんでるな。
昔よくやられた。
「……それで、オレはどうすればいい?」
こういう時はあれこれ考えずに、素直に聞くのが一番だ。
混乱してれば混乱しているだけ、コイツを楽しませるだけだ。
できるだけ落ち着いているフリをしてみたが、内心はまだ混乱している。
セシリーは大きく深呼吸すると、急に真面目な顔になった。そしてオレに手を差し出し、立ち上がらせる。
なぜかオレは足が少しフラついたが、3回殴られたこととは関係ない、と思いたい。そのはずだ。
「ウルフギャング・コロ様。貴方は強者たちとの戦いを勝ち抜き、見事優勝されました。
どうか、この身をお受け取りください」
静かに、美しい仕草でセシリーは頭を下げた。
そしてオレの目を真っ直ぐに見て、言葉を続ける。
「最後は相手が勝手に逃走して、しかも気絶してたけどね」
悪戯っぽい笑みだった。
あれだけ必死になって修業して、必死に試合を勝ち残って行って、なのに最後は訳も分からず相手が逃げて自分は気絶してるとか、本当に締まらないな……。
オレは恥ずかしくなって目を逸らし、頭を掻く。
「サイラスみたい……」
そう言われて、師匠の恥ずかしいときに頭を掻く癖が自分にうつっていることに気が付いた。ダメだ、師匠と長く一緒に居すぎたか。
「それで、私を受け取っていただけますか?」
セシリーは目を逸らしているオレの頭を両手で掴み、無理やり目を合わせてくる。
オレは少し抵抗したが、あきらめて返事を返した。
「はい」
きっと、オレの顔は赤くなってるに違いない。
顔が熱い。いや、身体全体が熱い。
セシリーはオレの言葉を聞くと、オレの頭から手を離し……オレに抱きついてきた。
温かい。そして、柔らかい。
「約束を守ってくれてありがとう」
耳元でセシリーの声がする。こそばゆい。
オレに優勝の実感は今でもない。
しかし、今、やっとセシリーとの約束が守れた実感は訪れた。優勝なんてオレにとっては約束のための経過でしかなかった。
オレもできるだけ優しく、セシリーを抱きかかえる。
「オレも、その、信じてくれて、ありがとう」
それだけ言うのがやっとだった。いい言葉なんて浮かばない。
「ねぇコロ。これから私が言う言葉を復唱してくれる?」
「ああ」
何を言うのか分からないけど、今のオレには肯定の言葉しかない。
「人昇精霊・セシリーに問う」
「人昇精霊・セシリーに問う」
「あなたは契約者、ウルフギャング・コロが病める時も、健やかなる時も、その力の全てを持って」
「あなたは契約者、ウルフギャング・コロが病める時も、健やかなる時も、その力の全てを持って」
「生涯、支え合うことを誓いますか?」
「生涯、支え合うことを誓いますか?」
ああ、これって。
「誓います」
セシリーの言葉がオレの耳で響く。
最後の言葉だけは、オレは復唱しない。
この言葉が何なのか理解したからだ。人昇精霊について書かれた古い文献で読んだことがあった。
「契約者ウルフギャング・コロに問う。
あなたは人昇精霊・セシリーが病める時も、健やかなる時も、その力の全てを持って、生涯、支え合うことを誓いますか?」
オレを抱きしめている力が、言い切ると同時に強くなる。
オレは息が詰まりそうになるのを耐えて、大きく息を吸ってから言う。
「誓います」
よかった。噛まずに言えた。
これは誓いの言葉だ。
お互いの誓いによって、俺たちはパートナーになった。
オレは誓いの言葉をちゃんと言い切れたことに安心して、あらためて抱きしめているセシリーの身体の温かさを感じる余裕が出たが、ふと、この後に何をするか思い出した。
いや、それは、いいのか?本当にするのか?
オレの知識は人昇精霊について書かれた古い文献の知識だ。
実際は、しないのかもしれない。しないのか?していいのか?オレから?
オレはまた少し混乱する。
そのとき、不意にオレを抱きしめていたセシリーの腕が緩み。
俺たちはキスをした。
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