第1章 柔らかさの意味 3 天
「いってらっしゃい」
にこやかにお母様が言う。
「行きませんよ?」
私もそれに笑顔で返した。
魔力切れだけなら命の危険はないからね。毎回私が行く必要もない。
コロにはじっくり魔力が回復するまで苦痛に耐えてもらおう。甘えは禁物。
コロはまた俯せで亀のように丸まっている。
また吐瀉物まみれになってるだろう。
男としてあんな情けない姿を見せたくないよね?面倒だから行かないわけじゃないよ?
それに他の参加者のケガは命に関わらない限りは神殿の治癒魔法師に任せてるのに、コロの時だけ魔力切れぐらいで出て行くのは変じゃない?私の立場は一応中立なんだから。
「大丈夫よ。コロちゃんだけエコヒイキしてるなんて誰も思わないわよ」
ん?心を読まれた?
「いえ、だから行きませんって」
「もう上位4人に入ったのよ。少しはねぎらって来てあげなさいよ。
コロちゃんがいつ負けても悔いが残らないように」
『いつ負けても悔いが残らないように』……それは私が考えないようにしていたことだ。
早い段階で負けていてくれたら。そしたらキッパリとあきらめられたのに。
ここまで勝ち残ってくれたせいで……ここまで勝ち残ってくれたおかげで私はあきらめの気持ちが消えている。
希望ができてしまっていた。
これでコロが優勝できなかったら私も、そしてコロも悔いは残ってしまうだろ。
「でもコロちゃんが負けたら私が独身に戻って貴族の地位も捨てて貴方のパートナーになってあげるから安心してね」
お母様の言葉にお父様の身体がビクリと動く。そして、小さく震えだした。
ああ……お父様のためにもコロは勝ってあげて欲しい……。
「貴方のパートナーになって、冒険者になって旅をするのよ。ちょっと楽しみだわ。
サイラスとコロちゃんも連れて、パーティーを組んで旅をしましょうね。ドラゴン退治や迷宮踏破をするの。おとぎ話のようにね」
お母様の言う『おとぎ話』というのは、過去の人昇精霊とそのパートナーたちの英雄譚のことだ。
私も小さなころの寝物語として乳母に話して聞かされたし、絵本もいくつか読んだ。
私もあこがれたくらいだから、聖騎士だったお母様があこがれてなかったわけがないよね。
お父様の震えが大きくなっていく。もう、極寒の地にいるみたいだ。
顔を伏せているからわからないけど、きっと涙目に違いない。
「お母様。あまりお父様をイジメますと後が大変ですよ?」
「あら?本気よ?」
まあ、本気なんだろうけど、否定しておいてあげないとお父様が再起不能になるからね。
お母様の実力なら、大会の優勝者くらいなら真っ向から戦っても勝てるだろう。
この大会の参加者のレベルは高いけど、それは王族や貴族、それに雇われている人間を排除した上でのこと。
この国の実力上位の人たちはほとんど例外なく貴族だったり騎士団に所属したりしている。
もちろん魔法師も例外ではなくて宮廷魔法師だったり魔法師団の所属だ。
しかも簡単にやめられるような自由な地位にいる者すら少ない。
この国の個人戦闘の実力者上位100人を選び並べていったとしても、そこに入っているこの大会の参加者は片手に余るくらいだろう。
私が積極的に戦いに協力しなければ、人昇精霊の加護があってもお母様に勝てるレベルではない。
神々の決めたパートナー選定の『政治に利用されない立場』という規定は、実に絶妙なものだった。
その規定が作られた理由はたぶん『政治に人昇精霊を利用されたくない』ということよりも『元々実力と地位がある人間がさらに大きな力を持っても面白くない』というものだろうけどね。
高位の実力者が人昇精霊の加護を受けた状態だと、奪うために戦闘を仕掛けてくるなんてことも少なくなるから、面白くないとでも神々は考えたんだろう。
「えーと、ありがとうございます。でも私はコロを信じてますから」
あまりお父様をイジメると、気が付いたらサイラスあたりが私のパートナーになってた、なんてこともありえるからね。
お母様といい勝負ができるのはサイラスぐらいだし、私が完全中立の立場でいてもサイラスなら人昇精霊の加護があればお母様に勝てるだろう。
優勝者が決まって誰かが私のパートナーになった時点でサイラスが戦って私を奪い取り、私のパートナーになってしまえばお母様と言えど簡単には手を出せなくなる。
サイラスは剣士だけならこの国の二位、魔法師や魔法剣士を含めても上位10位には入る。しかも今は市井に下っていて政治に利用されるような立場でもない。
さらにお父様ならサイラスの弱みくらい握ってそうだから、ありえない話じゃない。
お母様との離婚を阻止するならお父様はそれくらい平気でやる人だ。
いや、お母様はお父様よりさらに大量のサイラスの弱みを握ってるだろうからありえないかな?
お母様は自分の望みのためなら事前にサイラスを潰しておくくらい平気でやる人だ。
「あれ?」
コロが担架で運ばれる姿を見ていると、気になるものが見えた。
あれは、たぶん、昨日のイタチの魔獣?
ちょうど円形闘技場から出るところで、コロの担架に飛び乗る小さな銀色の姿が見えた。
一瞬だけど、間違いはない。
……ひょっとして、ククルが良い仕事をしたのかな?
昨日、ククルはイタチの魔獣を解放した後、しばらく一緒に着いて行って戻ってこなかった。もしかするとコロのところにあのイタチの魔獣を誘導していたのかもしれない。
「ククル」
私は後ろに控えていた騎士団長の方に向かって声をかける。
『お呼びですか?』とでも言いたげに、アランの鎧の中から蛇の妖精が顔を出した。
「ククル、あなた何かした?」
問いかけると、ククルは目を細めて口元を緩め、大きく頷いた。
この子、どれだけ感情豊かで頭の良い妖精なんだろう?
私の気持ちを感じ取って指示以上のことを平気でやってくれてたみたい。
悪意探索が使えるから人の感情を読み取るのは得意なんだろうけど、それは感情じゃなくて思考も読み取ってるとしか思えないよね?
「お母様。気になることができたので、私、やっぱり行ってきますわ」
私がそう言うと、お母様は満面の笑みを浮かべた。
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