第1章 不穏な空気 4 地
締め付けられるような異常な寝苦しさを感じて目を覚ます。
ゆっくりと目を開くと、視界には朝らしい柔らかな光に照らされる板敷の床と、直立する何本もの木の棒が見えた。
どこだここ?
少し首を傾け考えると、寝ぼけた頭でもやっと状況が理解できた。
木の棒はテーブルの足だ。
見慣れているはずだけど、見慣れない風景。
母さんの店の床に寝ているらしい。
ちょっといつもと見ている高さと視点が違うだけで、こんな見慣れない感じになるんだな。
身体が重い。
というか動かない。
まるで何かで拘束されてるみたいに、寝返りすら打てない。
腕すら動かない。
というか、頭痛い。
なんだこれ?
気持ち悪い。
なんで母さんの店の床で寝ているんだろう?
昨日は……師匠に無理やり飲み屋に連れて行かれて酒を飲まされたんだった。
途中までは覚えてる……ような気がする。
はっきりしない。
麦酒を何杯か飲まされたところまでは覚えてる。それからどうなったんだっけ?
酒を飲んで記憶が無くなると聞いたことがあるけど、本当に無くなるもんだんだなぁ……。
変なことに感心していると、お湯が沸く音がしていることに気が付いた。
調理場に母さんがいるのだろう。
「……かあさん……」
母さんを呼んでみるが、喉がカラカラでかすれて小さな声しか出なかった。
「やっと起きたのかい」
聞こえるかどうか不安だったが、呆れたような声で母さんが返してくれた。
靴音が聞こえ、近付いてくるみたいだ。身体が動かず寝返りも打てないからそちらを見ることもできないけど。
「……母さん、ごめん。動けない」
なんでこんな状況になるようなものをみんな好んで飲むんだ?
麦酒も苦いだけで美味くもなかった。あのシュワシュワした炭酸の感じはちょっと楽しかったけど。
「昨日はサイラスさんにかなり飲まされたみたいだね」
頭の上から声が聞こえる。
そのままオレの前に回りしゃがみ込むと、母さんはオレの顔を覗き込んでニッコリ笑った。
「……身体うごかない。酒って、こんなになるんだ……」
まだ酔いが残っているということかな?
店で手伝いをしているときに酔って立ち上がれなくなったり、物を取り落としたりしてる客を良く見るけど、ここまで身体が動かなくなるものだとは思わなかった。
頭痛い。
「あんた、酔いつぶれてサイラスさんに抱えられて帰ってきたんだよ。
それでね、サイラスさんもかなり酔ってたたみたいで、ごちゃごちゃとよく分からないことを言った後で店の床で寝始めてね。
お客さんたちが寝室まで運ぼうとしたんだけど、誰も動かせなくてね。起きる気配もないしそのまま店で寝ててもらうことにしたんだよ」
ああ、師匠は重いもんな。並の人間じゃ運べないだろう。オレももし師匠が寝ていたらそのまま放置する選択しかできない。
「……ごめん……」
師匠の失態も含めて恥ずかしさから謝ることしかできない。
「サイラスさんがウルフギャングのことをガッチリつかんでるから、あんたも寝室まで運べなくて」
「え?」
まさか、この身体が動かないのって。
「……母さん、オレ、師匠に捕まってる?」
「さすが騎士団長さんだね、腕の力もすごいね。お客さんたちが何とかしようとしてくれたんだけどね、どうにもならなかったよ。……ああ、『元』騎士団長さんか」
視界に師匠の姿はない。ということは後ろからオレを捕まえているんだろう。
酒のせいで『まるで何かで拘束されてるみたいに』身体が動かないのだと思ったら、本当に拘束されてたのかよ!
頭痛い。気持ち悪い。
「……きもちわるい……」
「待って!ぜったいに吐くんじゃないよ!」
オレの小さな呟きに母さんがあわてだす。
「いや、そうじゃなくて」
師匠に抱きしめられているだろう今の状況が気持ち悪くて呟いただけなんだが、勘違いしたらしく母さんは飛ぶようにどこかに消えて行った。
一瞬の間が空き。
バンと、何かがぶつかる音がする。
その途端、締め付けられている苦しさが楽になった。師匠の腕が緩んだ?
「……ん」
背後で小さなうめき声が聞こえる。
オレは身体が動くことを確認すると、転がるようにその場を抜け出す。
身を起こし、今までいた場所に目を向けると小山のような男が目に入る。
もちろん、師匠だ。
今ならこの筋肉ゴーレムを退治できるな。やるか?
師匠の傍らには母さんがホウキを振りかぶるように持って立っていた。
「さっさと便所で吐いてきな!」
「大丈夫だから」
ホウキで師匠の頭を叩いたのか。
師匠は目さえ開けずに頭をポリポリと掻くと、また寝てしまったらしい。
腕を何かを抱きしめる様に少しの間モゾモゾ動かしていた。
横向けに寝る師匠の腕の間にオレがいたのか。
オレは痛む頭を押さえながらゆっくりと立ち上がり、近くの椅子に座るとテーブルに突っ伏した。
「水、欲しい……」
「ああ。吐きたくなったら便所に行くんだよ?」
そう言いながら、母さんは厨房の方に行った。
本当に記憶がないな。
昨日の記憶を探ってみるが、まったく覚えていない。
母さんの話では酔いつぶれて帰ってきたらしいので、母さんの前で失態を晒しているということはないだろう。いや、まあ、酔いつぶれた姿自体が失態だけど。
飲み屋の方では……今は考えたくない。
師匠の行きつけの店らしいけど、オレの知り合いではないからとりあえず考えないことにする。
「はい。ぬるめの白湯だよ。すするように何杯か飲むと良いよ。水よりスッキリするから」
母さんがそういって、テーブルに白湯の入った湯呑とヤカンを置いてオレの前に座る。
「それ飲んだらもうちょっと寝とくと良いよ。アレじゃ寝苦しかったろ?」
アレというのは最悪の肉布団のことだな。
確かにまだ頭も痛いし身体もだるい。
白湯を飲むと、口の中の気持ち悪さは少し無くなった。胃のあたりから身体全体が暖かくなる感じがする。
「店の準備を手伝うよ」
「何言ってんだ。まともに動けないだろ?寝たらいいよ」
「昨日も、手伝えなかったから」
「気にすることじゃないよ。アレがお祝いしてくれたんだろ。
大恩ある人の誘いを断るなんて不義理に育てた覚えはないしね」
大恩ある人をアレ呼ばわりはいいのか?
まあ、大恩があるのはオレであって、母さんじゃないけどな。むしろ母さんは日々迷惑かけられている方だともう。
「とりあえず、一勝おめでとうね」
にっこりと、オレが好きな優しい表情で母さんは笑ってくれた。
「まったく、うちの子にはビックリせられてばかりだよ。
いつの間にか騎士団見習いの練習に混ざるようになったかと思ったら、あの公爵夫人様直々の指導を受けてさ。公爵令嬢様とも仲良くなってくるし。
それで驚いてたら今度は人昇精霊のパートナーになるとか言い出すし」
母さんは小さくため息をついたが、その口調は楽しそうだ。
オレは静かに白湯をすする。
「そしたら、今度は騎士団長さんが引退して付きっきりで鍛えるとか言い出すしねぇ。
挙句の果てに本当に大会に出場して一勝だもんね。驚かせられてばかりだよ」
「ごめん」
あらためて言われると心配かけるようなことばっかりしてるよな、オレ。
オレがそうなるように動いたわけじゃなく偶然の積み重なりなんだけどな。
「母さんも楽しませてもらってるからね。若いときのお父さんをみてるみたいでさ。
だからさ、お前はお前の好きなようにやればいいさ。楽しそうな内は母さんも止めないよ。
昨日もいいもの見せてもらったからね」
いいもの?
母さんはちょっと意地悪な表情でオレを見ていた。
酔って失態でも演じたんだろうか?でも酔いつぶれてたんだよな?
「楽しそうにニヤけた顔で寝てたんだよ。お前の笑顔なんて滅多に見れないからね。
客たちも大騒ぎでお前の笑顔を肴に酒を飲んでたよ」
意地悪い感じで笑いながら母さんは言い、言い終わってからオレの反応を見る様に笑みを強めた。
「いいことあったんだろ?
ま、何があったかはだいたい分かるけどね。
本当に、私はお前が楽しめているならいいんだよ」
母さんは立ち上がるとオレの頭にポンと手を置く。
「さて、私は仕込みの続きをしてるから、本当にちょっと寝た方がいいよ。
スッキリしたら風呂に入って酒の臭いを抜いて、ついでにアレも片付けてくれると嬉しいかな」
「ありがとう、母さん」
オレは白湯を飲みながら厨房に行く母さんを見送り、床に転がるアレを見つめた。
オレが一眠りしてる間に目覚めてくれないかな?
師匠は殺気には敏感だから殺す気で向かって行ったら目を覚ますだろうけど、やるなら本気で殺らないとオレが殺されかねないしなぁ。
とりあえず、母さんの言葉に甘えて一眠りしてから、鍛錬をして、風呂に入ってから考えるか。
いくらなんでもそれくらいの時間があれば目を覚ますだろう。
オレは痛む頭とだるい身体をのっそりと動かして部屋へと向かった。
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