地下 50 階、格上の捕食者たち【1】赤い鼓動
ズル……ガチャッ、ガチャ……
音は、もうすぐそこまで来ていた。
回廊の先は緩やかに右へと湾曲していて、その曲がり角の向こうは見通せない。
見えないからこそ、音だけが、嫌というほど鮮明に鼓膜を叩いた。
濡れた何かが床を這う、粘ついた音。
その合間に混じる、金属と金属が擦れ合う硬い響き。
生き物の音と、機械の音。
本来なら決して重なるはずのない二つが、一つのリズムで近づいてくる。
「……アレン」
ルカが小さく名前を呼んだ。
声は震えていない。けれど、杖を握る指の関節は、さっきよりもさらに白くなっていた。
「分かってる。……俺の後ろにいろ」
アレンは鉄パイプを両手で握り直し、半歩だけ前に出た。
掌の汗で、錆びた金属がぬるりと滑る。
壁を走る結晶の光が、赤く、ゆっくりと脈打っている。
ドクン。
ドクン。
その間隔が、少しずつ、短くなっていく。
ドクン
ドクン、ドクン――
曲がり角の先で、赤い光がひときわ強く弾けた。
その光に炙り出されるように、ぬるりと、「それ」が姿を現した。
「なっ……んだ、あれ……」
ルカの喉が、ひくりと引きつった。
回廊の幅いっぱいを塞ぐほどの、半透明の塊だった。
小山ほどもある巨体が、ぶよぶよと波打ちながら、床の上を這ってくる。
濁った流体の内部には、鋭く尖った黒鉄の刃や、欠けた歯車、ねじ曲がった金属の骨組みが、無数に取り込まれていた。
身体が波打つたびに、それらが中で擦れ合い、ガチャガチャと耳障りな音を立てる。
――さっきから聞こえていた足音の正体は、これだったのだ。
そして、その巨体の中央。
血のように赤く発光する、人の頭ほどもある結晶体が浮かんでいた。
ドクン。
結晶が、脈打つ。
ドクン。
壁の光が、それに合わせて明滅する。
アレンの背筋が凍りついた。
遺跡の光が、あの化け物の鼓動と、完全に同じ周期で脈打っている。
まるで、この回廊そのものが、あれの身体の一部であるかのように。
『対象を視認。識別名称を仮登録――【コア・スライム:武装変異種】』
脳内に、イヴの声が落ちた。
『体内に遺跡由来の機械部品を多数確認』
『周辺の残骸を捕食し、自己の武装として取り込んだものと推測』
『中央の赤色結晶体――【コア】を中枢と判断します』
「あの赤いのが、弱点ってことか」
『肯定。ただし』
イヴの声が、一拍だけ途切れた。
『照合データなし。本個体は、遺跡の記録に存在しない自律進化体です。先ほどの「算出不能」は、このためと判断。……再計測を実行』
ほんの数秒の沈黙。
それが、アレンにはひどく長く感じられた。
『マスター・アレンとの戦力差――推定不能』
『……警告。生身での正面衝突は、100%死に至ります』
測れない、のではない。
測る意味がないほど、離れている。
膝が、勝手に笑っていた。
つい今しがたルカと交わした覚悟が、目の前の現実に、みしみしと音を立てて軋んでいく。
その時だった。
懐にしまった六角形のデバイスが、ほんの一瞬――
コアの鼓動に応えるように、熱を帯びた。
(……なんだ?)
確かめる暇はなかった。
スライムの動きが、ぴたりと止まる。
ガチャガチャという音が消え、静寂が落ちる。
赤いコアが、ゆっくりと、こちらを向いた――ように見えた。
目も、顔もないはずなのに。
見られている。
――獲物として。
『……跳躍予兆、検知』
コアがギラリと輝いた瞬間、スライムは巨体に似合わぬ爆発的な跳躍で宙へと舞い上がった。
天井すれすれまで飛び上がった半透明の影が、赤い光を遮り、二人の頭上に覆いかぶさる。
取り込まれた無数の刃が、牙のように真下を向いてぎらついていた。
「アレンッ! ――『集え、熱き火種よ、我が呼び声に応えて燃え盛れ(ファイア・アロー)』!」
背後で、ルカが杖を掲げて叫んだ。
目尻に涙を滲ませながら、それでも、その足は一歩も退いていなかった。
三つの小さな火の玉が、落ちてくる肉体へと着弾する。
ジュウッ――!
流体の表面が泡立ち、巨体が空中で身をよじるように、僅かに右へとブレた。
「ルカッ!」
アレンはルカの腕を掴み、左へと身を投げ出した。
二人がもつれ合うように床を転がった、その直後――
ズドォォォォォンッ!!
さっきまで二人が立っていた場所に、スライムが叩きつけられた。
結晶の床が蜘蛛の巣状にひび割れる。
弾け飛んだスライムの液体が、アレンの頬に、腕に、容赦なく雨のように降り注ぎ、皮膚や服を溶かしていく。
「ぐっ……!」
ルカを胸の下に庇ったまま、アレンは歯を食いしばった。
酸の雨がやむ。
顔を上げる。
ひび割れた床の中央で、スライムがぶるりと身を震わせていた。
ルカの炎で焦げたはずの表面が、ぶくぶくと泡立ちながら――
見る間に、元の滑らかな形へと戻っていく。
「……効いて、ない……?」
ルカの呟きが、赤い回廊に虚しく落ちた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
地下50階での最初の対峙、いかがでしたか?
今回の敵【コア・スライム:武装変異種】は、ただ強いだけの魔獣ではありません。
絶望的な状況の中で、二人がどう立ち向かうのかを描きたくて、この回を書きました。
そして、戦いの裏で静かに起きていた、いくつかの「異変」にもお気づきでしょうか。
コアの鼓動と同じ周期で脈打つ、遺跡の光。
アレンの懐で熱を帯びた、六角形のデバイス。
この遺跡には、まだ誰も知らない何かが眠っています。
次回、二人の運命は――。
錆びた牙は、あのコアに届くのか。
ぜひ、続きも見届けてください。
お手数ですが、☆での率直な評価をいただけると、今後の執筆の参考になります。どうぞよろしくお願いいたします。




