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共闘

 蜘蛛脚と聖剣が並んでいた。


 第七層「忘却の泉」の手前、崩れかけた石柱の列の間に、ゼノとガルドが立っていた。言葉はなかった。視線だけが同じ方向を向いている。上層から降りてくる白金の光。セファの聖術が、迷宮の霧を祓いながら進軍の道を拑いていく。


 ゼノの蜘蛛脚四本が壁に食い込み、天井近くから下方を見据えていた。制御を離れた二本が時折痙攣するが、残る二本で体勢を保っている。甲殻化した右手が壁に押し当てられ、構築糸が石の中に流れ込んでいく。


 ガルドは石柱の影に立ち、聖剣の柄を握っていた。白銀の鎧はもう輝いていない。泥と苔と擦り傷に覆われた鎧は、騎士というよりも脱走兵の装いだった。


 白金の光が霧を割った。


 忘却の泉を満たす乳白色の霧——通常なら精神を侵食し、踏み入れた者から記憶を奪う防壁。それが、白金の波紋に触れた端から蒸発していく。霧の向こうに、白い鎧の列が見えた。


 二十を超える騎士。その先頭に、銀髪の老紳士が立っている。聖職者の白金の衣が冷たい輝きを纏い、慈悲深い笑みが霧の残滓の中に浮かんでいる。


 セファ・ローレンティス。


 その両手から放たれる祈りの光が、迷宮の精神防壁を紙のように破っている。忘却の泉が一個人の聖術で無効化されるなど、本来あり得ない。ガルドの喉が鳴った。あの人の力を、自分は見誤っていた。


 ゼノが壁から手を離した。


 構築糸が走った。石柱の列の間に拘束糸の網が張り巡らされ、床が軋み始める。壁が動いた。通路の幅が半分に狭まり、天井が下がった。同時に、左右の壁面から切断糸が蜘蛛の巣状に展開された。触れれば鎧ごと切り裂く、目に見えない死線の網。


 先頭の騎士が足を止めた。感知糸の振動がゼノの指先に伝わる。二人、三人と止まっていく。壁が閉じてくる圧迫感に、隊列が崩れかけた。


 だが白金の光が壁を滑った。


 セファの手が前に伸ばされると、構築糸で組み替えた壁の継ぎ目に白金の光が浸透し、糸の構造を読み解いていく。壁が緩んだ。継ぎ目から砂が零れ、閉じかけた通路が押し戻された。切断糸が聖術の光に触れ、張力を失って床に落ちた。


 ゼノの掠れた息が漏れた。


「——退け」


 声は騎士団に向けられたものではなかった。独り言だった。あるいは、迷宮への命令だった。床が裂けた。先頭の騎士三人の足元が崩れ、一層下の空洞に落ちかけた。鎧がぶつかり合う音と悲鳴が反響した。だが落下は浅い。骨は折れない。ゼノの罠は深さを計算してある。


 ガルドはそれを見ていた。


 落ちた騎士たちは怪我をしていない。切断糸は足を止めるために張られ、殺すためではなかった。床の崩落も、致命傷にならない深さに制御されている。壁の圧縮も、潰すのではなく通路を塞いでいるだけだ。


 殺していない。


 この迷宮の主は——かつての仲間を、殺していない。


「前線を抑える」


 ガルドが聖剣を抜いた。


 白刃が光苔の青白い光と白金の聖術を同時に受けて、二色に煌めいた。ガルドは石柱の陰から飛び出し、崩落で混乱した隊列の前に立ちはだかった。


「退け! ティリア嬢は渡さない!」


 声が迷宮に反響した。かつての部下が、かつての上官が、かつて共に訓練した仲間たちが、ガルドを見上げた。白銀の鎧。同じ鎧。同じ紋章。胸当てに刻まれた聖典教団の聖印が、ガルドの鎧にもある。亀裂が入ってはいるが、まだ消えてはいない。


「ヴェルナー隊長……」


 若い騎士の声が震えた。信じられないという顔だった。ガルドは剣を構えた。刃を仲間に向けた。胃が絞られるような痛みが腹の底にあった。だが剣先は揺れなかった。


 正義を貫くための裏切り。それ以外に名前をつけようがなかった。


 騎士が二人、剣を抜いて前に出た。ガルドの剣が弧を描き、一人目の剣を弾き上げた。二人目の突きを半身で躱し、肩当てに柄頭を叩き込んだ。鎧越しに鈍い衝撃が伝わり、騎士がよろめいた。致命傷ではない。行動不能にするだけの一撃。


 その背後で、ゼノが動いた。


 蜘蛛脚が天井を蹴り、ガルドの頭上を飛び越えた。着地と同時に、拘束糸が扇状に射出された。突破を試みた三人の騎士の足が糸に絡め取られ、石の床に縫い止められた。ゼノは着地の反動で膝をつき、すぐに蜘蛛脚で壁を掴んで身体を持ち上げた。


 一言も発しなかった。


 ガルドも振り返らなかった。


 だが二人の動きに無駄がなかった。ゼノが糸で動きを止め、ガルドが剣で押し返す。蜘蛛の巣と聖剣。闇と光。根本的に異なる二つの力が、「退ける」という一点で噛み合っている。


 糸が空間を切る風切り音。聖剣の刃が鎧を打つ金属音。二つの音が重なり、迷宮の壁を震わせた。


 セファの声が響いた。


「ガルド」


 穏やかだった。戦場にそぐわない、慈しみすら感じさせる声だった。霧の向こうから、白金の光を纏った銀髪の老紳士が歩いてくる。足元の罠を踏むことなく、崩落した床を迂回することもなく、聖術の光が道を拓いていく。


「残念です。あなたは良い騎士でした」


 ガルドの剣を握る手に力が入った。奥歯を噛んだ。良い騎士。そう言われ続けてきた。セファの言葉を信じ、教団の正義を疑わなかった。良い騎士だったからこそ——ティリアを回収する尖兵にされた。


「セファ様。俺が間違っていたなら、正してくれ。だがティリア嬢を道具にすることが正しいなら——俺は正しくなくていい!」


 ゼノの蜘蛛脚が跳ねた。暴走ではなかった。構築糸が天井と壁に同時に走り、通路全体が組み変わり始めた。轟音が足元を揺さぶった。壁が左右に動き、天井から石塊が落下し、騎士団とセファの間に新たな障壁が立ち上がった。


 だが石壁の向こうから、白金の光が滲んだ。


 聖術が壁に浸透し、構築糸の編み目を解きほぐしていく。壁が内側から崩れた。砂礫が散り、白金の奔流が通路を満たした。ゼノの身体が軋んだ。迷宮の一部である彼にとって、壁が壊されることは自分の身体が壊されることに等しい。蜘蛛脚が痙攣し、膝が折れかけた。


 ガルドがゼノの前に立った。


 聖剣を構えた。白金の光を正面から受けた。鎧が光に包まれ、騎士の姿が白く燃え上がるように見えた。かつて仕えた聖術の光を、今度は盾にして立っている。


 セファの歩みは止まらなかった。


 崩れた壁を越え、拘束された騎士たちの脇を通り、糸も罠も聖術で無効化しながら、穏やかに、確実に、深層へ降りてくる。


 ゼノが壁に手を当てた。構築糸を流し込み、新しい障壁を生成する。セファが壊す。ゼノが塞ぐ。セファが拓く。追いかけっこだった。壁が生まれては崩れ、崩れては生まれる。迷宮全体が呼吸するように脈動し、石の軋む音が絶え間なく響いた。


 だがガルドには見えていた。ゼノの障壁が——退がっている。一つ壊されるごとに、次の壁が少しだけ後方に生成される。防衛線が下がっている。時間を稼いでいるが、止められてはいない。


 セファが第八層の入口に足をかけた。


 石段を一段降りた。白金の光が新しい空間に流れ込み、壁の光苔を塗り替えていく。青白い光が冷たい輝きに呑まれる。


 穏やかな微笑のまま、セファは言った。


「お久しぶりですね、ノクス」


 その名が迷宮に反響した時、ゼノの蜘蛛脚が四本とも跳ねた。


お読みいただきありがとうございます。


次回「ルカの決意」


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