海の乙女
昔々、広い海の中には今よりももっと多くの生き物が住んでいた。そして海の底には大きな鰭を持った人型の一族が住んでいた。足はなく、全身が鱗に覆われ、青や緑の色をしていて、自由に海の中を泳いでいた。彼等は、鰭が優雅に長く沢山あればあるほど美しいとされていた。
ある時代に、一族の中で最も美しいと言われた乙女がいた。腰から下に幾重にも重なった鰭、尾鰭はたっぷりと長く、泳ぎに合わせてゆったりと靡く。乙女が泳ぐ姿を、皆うっとりと眺めた。
しかし、乙女は自分の姿をちっとも美しいと思っていなかった。長く沢山ある鰭は邪魔でしかない。皆にうらやましがられ、褒められても、その思いは変わらなかった。
ある日、乙女は海面の近くまで泳いでいき、そこで初めて陸を歩く人間を見た。若い娘だった。
何と美しいのだろう。長く豊かな髪、白い肌、鰭はないが、色とりどりの鰭のようなものを全身に纏っている。
乙女は人間の娘が羨ましくて仕方なかった。そして思い切って娘に話しかけた。
「ねえ、その色とりどりの鰭はどうしたの?」
娘は乙女に驚いたが、答えてくれた。
「これは鰭じゃなくて服よ。数え切れないほどの種類があるの。毎日変える人もいるわ」
乙女は大層驚いた。自分達は一色しかない鰭をずっと身に付けておかなければならないのに、人間は好きに変えることができるなんて。
陸で生きることができれば。
…自分も人間と同じように、美しくなれる。
そう考えた乙女は、家族に陸で生きていきたいと話した。しかし、家族は大反対で、乙女の考えに全く賛同してくれなかった。
「なぜお前は誰よりも美しい鰭を持っているのに、その良さが分らないんだ」
家族どころか一族の誰もがそう言った。乙女は説得することを諦めた。その時、ある考えが浮かんだ。
自分が住む海の水が無くなれば、陸で生きていくしかない。そうなれば仕方なく、家族も許してくれる、と。
乙女は海の水をゆっくりゆっくりと飲み始めた。みるみる海の水は減り、魚やカニたちは大いに慌てた。乙女は陸で暮らしたい一心で海の水を飲み続けたが、半分も飲むことができなかった。これでは陸で暮らすことができない。乙女は悲しみで涙がどんどんどんどん溢れてきた。溢れた涙で海の水は元に戻り、塩っぱくなった。
今も海の水が減ったり増えたりしているのは、乙女が陸への夢を捨てきれず、水を飲んだり泣いたりしているからだと言われている。




