七の月・積雲月
七の月・積雲月に暦が変わるのと合わせたように、それからのネオの日々は変わった。
家の用事の合間に針仕事を教えてもらう。丸く盛り上がる『二重玉』、糸始末をしっかり縫い留めるための『留め返し綴り』、繋がった鎖のような『鎖引き』、一度縫った糸に針をかける『針重ね』…縫い方一つ一つに呼び名があって、ネオがボンジュに渡したあの拙い刺繍は、短く真っ直ぐに糸を縫う『直線刺し』なるもので綴ったものだと知った。きっと色々な縫い方を知っていたら、もっと綺麗に仕上がっただろう。
学ぶのは刺繍の技術だけでは無い。繭を作る虫達に糸の紡ぎ方、染料に使う様々な素材のこと、染料を仕込む方法。どの草花でどんな色を出せるか、呼び名、生えている場所。ネオの知らないことばかりだった。
他人から見たら何が変わったか分からないだろうが、ネオには大きな変化だった。変わらなく繰り返す日常の色が濃くなったようだった。これまで見ていたはずの草木も、もっともっと輝いて見えた。
欠けていた何かが埋まっていくような、不思議な充足感があった。
「えへへ…」
ある日、糸染めをしている最中に、ネオが前触れもなく笑った。
「どうしたんだい」
「明日が楽しみで待ち遠しいの。次は何を教えてもらえるんだろって」
ネオは嬉しかった。聞けば教えてもらえることが、やりたかったことができることが嬉しかった。
ボンジュはこれまで、家族の誰にも自分の仕事の話を一切しなかった。手伝うよと言っても、しなくていいと返された。見て覚えたほんの少しの事を、ボンジュの返事を聞かずにやって、それでも足りないと感じていた。それが今は違う。ボンジュから知識と技術を伝えられる度、心が満ちていく。
「ノズオウが翡翠色になって、サワビが…」
「そうだ、この歌も教えてなかったね。あたしが小さい頃、染め物の草を覚える為に母から習った糸染め童歌さ」
ボンジュは一息吸って小さな声で歌い出す。
「プラナは紫 宵の空 ソーダマは藍 凪いだ海原
ノズオウは翡翠 川の潺 サワビ若草 丘に吹く風
クシナダ薄桃 春の朝靄 カラマメ山吹 月明り ヒバナは茜 落ちゆく夕陽
染まれ染まれや白い糸 縫いて綴らば加護あらん」
「プラナは紫 宵の空… ねえ、海原って何?」
「そうか、ネオは海を見たことがないね。海ってのはね、広ぉい水が満ちている場所さ。原っぱみたいに広いから、海原と言うんだ。風がなくても寄せて引いて動いているんだよ。海の近くの村では、塩を作っているそうだ」
「塩を?どうやって?」
「水の中に塩が含まれているんだよ。海水を汲んできて、乾かすのさ」
「川の水は塩が入っていないのに、どうして海には塩が入っているの?」
ボンジュはオヤ族に伝わる海の乙女の物語を聞かせた。




