その18
「…知らない。それがばあちゃんの秘密なの?」
石段を2人でゆっくり降りながら、ネオは答えた。
「そうだねぇ。知らずにあれをくれたお前が、あたしは少し怖い。…昨日はね、光の神ジュシュ様がお生まれになった日なのさ」
床の下は、大人が3、4人入れる位の地下蔵になっていた。瓶詰めの果物などが、木箱に入れられている。
「光の神様?神様はモーベロン様だけじゃないの?神父様はモーベロン様しか居ないって」
「ネオ、この国はね… 100年前、いろんな民族を飲み込んで出来上がった。沢山の言葉を、伝統を、営みを吐き出して捨て去った上に成り立ってるのさ。時の流れと共に、それも忘れようとしている」
ボンジュは1つの木箱から取りだしたものを、ネオの手に乗せた。洋燈で照らすと、黄金に輝く繭だった。
「あたしは消え去ったオヤ族の血を引く者。光の神様はオヤ族の偉い神様さ。もう誰にも伝える事無く、絶えるんだと思っていた」
目を少し細めたボンジュの顔に陰が差す。時折見せる、諦めと後悔が混ざった、悲しそうな笑顔。
「このリボンの刺繍はあたしのベールを見たんだろう?あの刺繍はオヤ族の言葉が紡がれているんだ。模様の一つ一つに意味がある。…もう何と読むのか、どんな意味なのか、あたしも分からない。お前がくれた、この模様以外」
ボンジュがエプロンのポケットからリボンを取り出す。端が少し焦げたようになっているが、ネオが昨日、ボンジュにあげたものだ。
「何て読むの?」
「ジュシュ。光の神様の御名さ。あたしの名前も一部、ジュシュ様から頂いているんだよ。意味は“闇を払う光”」
「“闇を払う光”…」
「あたしが嫁ぐときに刺したベールの刺繍… この黄金繭で紡いだ糸で仕上げてあるんだ。でも黄金糸はもう作れない。繭の取れる場所をあたしは知らない」
「ここにある繭じゃ作れないの?」
「糸を紡ぐ時はね、繭を煮てほぐすんだけどね、この黄金繭は煮たら色が消えてしまうんだよ… どうにかしてできないか試してみたが、上手くいかなくてね… ここにある繭がなくなると特別な糸を蘇らせることはできなくなってしまう…」
手に乗せられた繭は親指ほどの大きさしかない。取り出した箱の中にも二つかみ位の量があるだけだ。
「他の民族もだがね、昔は不思議な力を持つ者が、集落を束ねていたんだそうだ。病や怪我、悪しきモノから民を守ってね。オヤ族は守人の儀式や結婚式なんかの特別な時に黄金糸を使っていたんだ。」
手のひらのリボンをゆっくりと握りしめるボンジュ。その手は微かに震えているようだった。
「針仕事は女の役目。オヤ族は刺繍の模様に言葉を隠して、オーキー国の目を逃れて少しでも残そうとしたんだ。嫁いだ先で少しでも残そうと… でも、あたしには息子しか生まれなかったし、嫁に来てくれたマニエは仕事を辞めんし… お前も男の子だしね… オヤ族の事どころか、針仕事でさえあたしは残せないと思ってた」
ネオはボンジュが「お前が…女の子だったらねえ…」と呟いた意味と憂いに満ちた瞳の理由を理解した。
「このリボンのお陰で、あたしは怪我することなく森から帰ってこれた。昨日は驚いたがね。何も知らないお前が、特別な日に気付いていたことも、あたしの針仕事を見て覚えていたことも、この模様を選んだことも。今日はもっと驚いた。古の守人の様に、不思議な力を宿らせた事に。だから、欲が出ちまった。とっくに諦めたつもりだったのにね」
ネオの頬にボンジュが触れる。
「異文化は異端…知られれば罰を受ける。母から祖先の事を受け継ぐと、あたしは自分で選んだ。自分の起源を知り、尊ぶ自由を奪われたくなかった。この国の、この時代に、滅びた昔の民族のことなんて、お前の枷にしかならない。それでも…あたし達の言葉を…オヤ族の記憶を、受け継いでもらえないかい?ネオなら…失われた言葉の意味と忘れられた技を見いだせるかもしれない」
ネオは心の奥で、何かが動いたのを感じた。詰まった小石が弾けて、堰き止められていた水が一気に流れていくように、体に熱がまわった。もやもやと頭の中で滞っていた漠然とした疑問の答えが、今解けたのだ。
ばあちゃんの刺繍に…針仕事に惹かれたのは、僕にもオヤ族の血が流れているからかもしれない。だったら僕は―――… 知りたい気持ちを止めたくない。
好きなモノ、信じるモノは自分で決めたい。
暗い地下蔵の中、自らの運命が、光の向こうに見えた気がした。




