その12
「ただいまー。うわっいい匂い」
パイが焼き上がった頃合いにネオが帰ってきた。
「おかえり。先に汚れ落としといで。お湯、沸かしといたから」
「…それくらいするのに」
井戸の水を体が洗えるくらい汲むのはボンジュには重労働だろうに、とネオは思った。
「今日はご飯の前にあたしが入りたかったから。ほら、直に食べられるよ」
手拭いを渡され、ネオは台所の隅に木と干し草を組んで無理矢理設えた脱衣場に押しやられた。
盥に張った湯に手拭いを浸し、体を拭く。椀で湯を掬い、盥の上で髪を流して終わり。堅く絞った手拭いで髪を拭き、清潔な夜着に袖を通すと昼間の熱が取れすっきりした。
台所に戻ると、既に夕餉の支度が調っていた。こんがりと焼き上がったポロッポ鳥のパイ包み。木をくり抜いて作られた杯にはナツブドウの果汁が注がれ、オボラの花の白が食卓を飾る。ネオが席に着くのを見計らって、ボンジュはパイを切り分けてくれた。湯気がふんわり立つパイを口に入れると、サクサクの生地から旨味が溶けた肉汁があふれ出す。
「っん〜!」
飲み込んで直ぐに、ナツブドウの果汁をゆっくり流し込むと、ポロッポ鳥の油と爽やかな甘みが喉を抜けていく。五感が満たされて自然と頬が緩んでくる。
「ん!」
杯を傾け過ぎたのか、受けきれなかった果汁が口の端からつうっと流れた。慌てて指で拭おうとしたが、雫が落ち、襟ぐり辺りに赤茶色の染みを作った。
「ばあちゃん、ごめん。ナツブドウ付いちゃった」
「ああ、また今度染め直すから。後で水で叩いときな」
ボンジュはナツブドウのお酒を飲みながら言った。
ネオは食べ終わると二人の器を下げて、ボンジュの元へ歩み寄る。
ボンジュは花を眺めながら、まだお酒を飲み、穏やかな顔をしていた。
「あのさ、ばあちゃんこれ」
「ん…なんだい?」
ネオはポケットから出したものを、ボンジュに握らせた。
「ばあちゃんにあげる!僕が作ったんだけど…
そのエプロン、紐がよれてるから、これ使ってくれたらいいかなって思って。
じゃあ、疲れたからもう寝るね、おやすみ!」
ボンジュの反応を見るのは何だか気恥ずかしく、ネオはボンジュの顔も見ずに屋根裏の寝床へ飛んで行った。
「変な子ねえ」
どうしたんだろうと思いながら視線を自分の手の中に移し、思わず息を飲んだ。
ネオから手渡された物。それは白い木綿のリボンだった。白い生地に、黄色系のグラデ―ションのかかった刺繍が施されている。一番濃い色は淡黄色。ネオと初めて一緒に染めたものだ。
美しい色使いも、いつ覚えたか分からない刺繍の刺し方も、この日に渡してきたことも、どれも信じられなかったが、何よりボンジュを驚かせたのはその模様だった。それはボンジュにとって、一等特別なもの。
「ジュシュ様…」
ボンジュはただ呆然として、長い間立ち上がることが出来なかった。




