第五十話「我慢の限界」
グェムリッド宮殿の寝室。
俺はベッドの中で考えていた。
最近クケイの様子がおかしい。
明らかにおかしいわけではなく、ほんの少しだけ身体的接触が増えた気がする。
組手の時だって、風呂の時だって、鸞子の要望で添い寝してくれる時だって。
日常の中から、ほんの少しだけ信号を送ってくるのだ。
ただでさえ衆人環視のもと、欲望の発散に苦労しているというのに。
最近は爆発的スタイルのマーグラやミルドまで加わって、リビドーが溢れだして童貞ゆえの勘違いを起こしてしまいそうだった。
「はあっ……」
「どうしたの」
背中越しに鸞子が心配そうな声色で問いかけてくる。
「なんでもありません。姉上もいい歳なんですからお一人で眠られては」
「やだ」
即答。
「ぐぬぬ」
いい歳と言ってもお互い九歳であるので、まだまだ姉弟一緒に寝るのは許容範囲であろう。
俺の中身が二十九歳プラスαなのを除けば。
結構前からお願いしていることなのに、鸞子はなかなか了承してくれない。
話をクケイに戻そう。
彼女は現在十二歳である。
最近ではメイド服の上から女の子らしさを感じるほどに成長している。
武術の腕は達人の域にあって、適度に肉付きもいい。
平べったい時から知っているこの身からしてみれば、実に感慨深く悩ましい。
風呂で背中を流してくれる時、一時期は湯あみ用のワンピースだったのに最近はまた裸に戻った。
心境の変化だろう。
気になるが、精神感応で覗きみるのはいろんな意味でいかん。
それに彼女はそういう超能力に敏感ですぐにバレてしまおう。
ちなみにマーグラやミルドは遠慮しない。
特にマーグラは、当番の日は臆面もなくあらゆる角度から攻めてくる。
さすがちょっと前までバリバリ政治闘争していただけあって、細かな駆け引きが上手い。
風呂は一緒に入らないと決めていたのに、肉体が女の子の日は入るようになり、結局ずるずるとみんなで入る機会が増えていった。
ミルドは鸞子とセットなので俺に拒否権はない。
あんな刺激的なものを毎日見せられれば当然いろいろ溜まる。
それはどこで発散すればよいのだろうか。
一つ、寝室。
数少ない一人で寝る時には、行為に及べる。
鸞子がそこに居る時はできるはずがない。
寝たふりされて行為を見られていたら悶絶モノだし、たとえするにしても彼女が近くにいると背徳感から二の足を踏んでしまう。
一つ、トイレ。
ティンバラスール城のトイレは基本的に水洗式である。
しかしながらトイレにすら使用人が付いてくるので、下手すればバレる。
現状安全に行為に及べるのは一人で寝ている時だけだった。
「明日から……頑張ろうかな」
「なにを? あ、おかえりなさいクケイ」
「お待たせいたしました。ヒミカ様より今月の従士団の経過報告書をいただきました」
「……明日一番に目を通すので、赤い箱に入れといてください」
「おおせのままに」
今日は白の寝間着か。
妄想力には長けているのでネタには困らない。
心置きなく妄想に耽るための安息の地が欲しかった。
***
次の日、朝一番に報告書に目を通し、ヒミカのもとへ赴き問題点を助言。
「アンガー東部で魔物との事故発生件数が増えてます。オヴブローグ領の報告書では問題なしとされてますけど、看過できません。従士団は南部の対応で手一杯ですから、冒険者ギルドと魔術ギルドに注意を促すべきでしょう」
「わかった、懸賞金を布告させるわ。しかしなぜ東部も増え始めたのかしら」
「先日南ラルクソーン山脈の一部で火山活動がありましたよね。その影響で竜が森へ餌を探しに下山したからだと思います。もちろんこれは憶測です」
「……重臣たちは誰も言及しなかったわ」
「南方の一大事に比べると優先度は下がりますし、言及したからといって濡れ手で粟を拾えませんからね」
「いつもありがとう。関係性を調べさせてみるわ」
ラルクソーン山脈はヴァラスーナ大陸の中央部に連なる大山脈である。
この山脈は古来より竜や火山などの自然災害によって、大陸の動植物に影響を及ぼしてきた。
自然災害なので防ぎようはない。
この世界の為政者は往々にして事が大きくなるまで見て見ぬふりをするか、そも気付かない。
しかし注意喚起はできるし、事前に対策はできる。
その足でティンバラスール城の大書庫へ向かった。
初老の女性司書は羊皮紙の索引を眺めながら、
「『サムタヴネリ封印・結界術の書』上中下巻の三冊ですね。これは禁書で、古スヴァルガ語で書かれていますが」
「僕は読めるんです」
「……、」
目と目が合う。
知識と奥義の書を借りに来た時と同じ。
デジャヴである。
読めないなら借りに来ないって。
司書はメモを取ると、不機嫌そうに奥へ入っていった。
「サム、なんでしたっけ。龍鯉さまって本当にお勉強好きですよね」
エレシュは感心したように呟く。
健全な目的で借りに来たわけじゃないので何も言わない。
『サムタヴネリ封印・結界術の書』
表題通り、封印術と結界術の書かれた魔導書である。
三千年以上前に書かれた書物で、全て古スヴァルガ語で書かれており、読む人間は研究者くらいに限られる代物だ。
「うう、重い」
受付の奥から司書がヨタヨタしながら、首まで達する分厚く大きな本を三冊抱えてきた。
「エレシュ、イーニャ」
「はっ」
二人が司書に駆け寄る。
司書はよろけながら、
「すみませんね」
「って重っ」
「エレっちよりー?」
「うっさい!」
司書を助けて、受付の机にドスンと本を置いた。
「えっとですねえ。下巻の大部分がごっそりと落丁しているんですけど、よろしい?」
「別に大丈夫ですよ。用があるのは上巻だけですし。もしわからない所があったら他で照らし合わせたらいいかなとか、そういう意味で全巻頼んだだけなんです」
「ふうん、そうですか」
「これ原書じゃないですよね?」
「ないですねぇ。原書は帝都の帝立図書館に、これは唯一の複製本です。複製本でも危険性は原書と同様、油断なさらぬよう」
「わかりました」
家紋入りの懐中時計を提示して、貸出カードと禁書の同意書にサイン。
グェムリッドの自室に戻り、ベッドに座って一息ついた。
「二人ともお疲れさまでした。用は済んだので休んでいいですよ」
「そんなわけにはいきません!」
エレシュが鼻息荒く言う。
「何かあったらミルドかモロー呼ぶので」
イナンナは俺の首筋に手をやって、
「モローは庭師の会合に、ミルドはケイ姉と城主さまの所に行ってます。それに私たちがいま龍鯉さまから離れたらお説教もらっちゃいますしー」
エレシュはうんうんと頷いている。
「エレっちも龍鯉さまから離れたくないオーラむんむんですしー」
「ちがっ……!」
「違うの? 私は離れたくないけどなぁ」
そう言うとイナンナは、俺の横にしゃなりと座った。
「ちょっと!? イーニャ、断わりもなくそれは失礼よ!」
「いけません? 城主さまやケイ姉も居ないし、誰もみてないでしょー?」
「別に、いけないって、ことは」
「ねっ? ほら、エレっちも♪」
イナンナに促されるままエレシュもベッドへ座り、にじり寄って密着する。
金髪メイドのお姉さん二人に挟まれる形。
このために『サムタヴネリ封印・結界術の書』を借りたのだ!
頃合いをみて立ち上がり、机に移動した。
上巻の目次を指で追う。
『人避けの章』
あった。
人払い系の魔術だけで十四種五〇頁に及んだ。
誰にも邪魔されない場所が欲しい。
十四種の中から『隠者の部屋』という魔術を覚えることにした。
「凄い集中力ねー」
「本当、私たちの声全然聞こえてない」
欲望のために働く行動力は果てしない。
お茶と菓子を出されてもお礼すら言わず、黙々と解読に励んだ。
『隠者の部屋』
対象の空間ないし物体への、認識と干渉を阻害する魔術。
魔法陣を部屋の中央に敷いて、三十八種の古スヴァルガ文字と、大賢者サムタヴネリが考案した独自の文字十二種を組み合わせた呪符を、決められた方法で貼ることで効果を発揮する。
密室でなくても条件さえ揃えば小さな物体を認識阻害することも可能。
小さい物体くらいなら既存の魔法でもなんとかなったりするのだが、欲しいのは広範囲かつ、恒常性と恒久性である。
注意すべきは完璧じゃないという所だ。
術の完成度とさまざまな要因で暴かれやすさが変わるのだ。
術が未熟で探索者が有能であればあるほど暴かれやすくなる。
「ん……?」
気付くと二人が肩越しに本を覗き込んでいた。
「エレシュ、イーニャ?」
瞬きをしていない。
まるで魅入られているような様相。
二人の両目から魔力、全身から内力が流れ出ていて、禁書に吸われていた。
「いけない!」
二人の両目に魔法障壁を張り、点穴を突いて魔力と内力の流出を阻止する。
立ったまま動かない二人をヴァトファーシオで慎重に移動させて、ベッドに寝かせた。
肚へ気を与えて整えてやる。
エレシュとイナンナは苦しそうに、
「申し訳ありません……」
「お邪魔をしてしまうなんて」
「いいんですよ。次からは不用意に本の中身を追わないでください。読めなくても何が起こるかわからないので」
サムタヴネリ封印・結界術の書には魔力だけでなく内力を吸い取り、閲覧する者の心を乱す術式が組まれているようだ。
彼女らは魔法より武術の方が得意で、魔力の運用についてはド素人に等しい。
クケイくらい内功が深ければ問題ないのだろうが、とにかく閲覧するレベルに達していないということなのだろう。
二人は俺のベッドで小一時間ほど休憩したのちに、ごそごそと活動を再開した。
「ふう」
「お疲れさまですっ♪」
イナンナがおしぼりを持ってきてくれた。
別に脂ぎってるわけでもないのに、迷うことなく顔を拭いてしまう。
二人は復活してからは食事を運んだり、本棚にある専門書を持って来たりと雑事を献身的にやってくれていた。
「二人ともありがとうございます。いや、ほんと」
「お仕えしている以上当然です!」
と、エレシュは冷たい水をコップに注ぐ。
キリッとした表情。
ちょっと申し訳なく思っちゃう。
当人はアホな理由で術を学ぼうとしているのに、なんていい娘たちなんだろうと。
ごめんなさい、もう限界なんです……。
心の中で土下座した。
「ケイ姉とミルドも感心してましたよー」
「そっ、そう、ですか」
イナンナの一言にギクりとする。
ベッドの方に目をやると既に鸞子が寝ていた。
ミルドを抱き枕にして、彼女のたわわな乳房に顔を埋めている。
うらやましい、というより微笑ましい。
ハッとして時計を見ると、日を跨いで午前一時を回っていた。
解読を始めたのが昨日の午前七時。
実働約十八時間である。
「いや、マジで、こんな遅くまですみませんでした。もう寝ます。お二人とも疲れてるでしょうからしっかり休んでください。なんなら僕の権限使って特別休暇取ってもいいですよ」
「ケイ姉に相談してみます♪」
当の二人は全く気にしていない様子。
もっと早い段階で気付いて休ませてあげるべきだったと後悔した。
「あ、今日の当番はミルドです」
と、ニコニコ手を振りながら、メイドさんたちは部屋を後にした。
隠者の部屋の術式は完璧に理解した。
陣の形や大賢者のオリジナル文字も、古スヴァルガ文字と合成させた特殊単語も覚えた。
今後また同書から違う魔術を学ぶ時はもっと早く習得できるかもしれない。
あとは部屋とアイテムを用意するだけである。
大あくびして姉とミルドの眠るベッドに滑り込む。
「……リョーリ」
「起きてたんですか」
ミルドは鸞子に抱き着かれたまま、
「……女のときのやり方がわかんないなら教えてあげようか」
なんでわかるんだよ……。
本日の性別は女の子。
ドキドキする胸を内息と共に無理矢理整えて、
「魅力的なお誘いですが今はまだ遠慮しておきます」
「そうかい。あたしがいうといやらしく聞こえるかもしんないけど、これでもリョーリの体を心配してるんだ」
真面目な声色だった。
彼女なりに心配してくれているのだろう。
ミルドはユーゼン家の使用人としてしっかり型にはまってきている。
クケイとマーグラの指導の成果。
ただ、俺に対してだけ隙をみつけては、火の玉ストレートを投げてくるのだ。
背中合わせに何度か会話を交わしてから眠りに落ちた。
その後、上中下巻一通り目を通してから、
『サムタヴネリ封印・結界術の書』
は返却した。