第五十一話「安息の地」
サムタヴネリ封印・結界術の書を借りてから数日後の深夜。
俺はいつも通り鸞子を寝かしつけたあと、グェムリッド宮殿を一人で探索している。
今日は誰も添い寝はしてくれていない。
絶好の探索日和である。
グェムリッド宮殿には遊ばせてる部屋なんていくらでもある。
これはティンバラスール城の他の宮殿や建造物においても共通していることだ。
五階。
使われていない手狭な書斎が数えきれないほど存在するフロア。
階段から東にある一番遠く大きい部屋を選んだ。
「ゴホッ、さすがにほこりが……」
何年も換気してないような古臭くカビっぽい空気。
広さ二〇畳ほどの長方形のワンルームに、暖炉とバスルームが併設されている。
目に付くのはカーテンに閉ざされた窓、ベッド、事務机、古書がまばらに入った木棚に、何も入ってない大小さまざまな木箱。
バスルームには古びたバスタブと洗面所、腰掛便器が置いてあり上下水道の設備もしっかり整っていた。
換気用と思われる極々小さな窓もある。
ただ、その全てがほこりに塗れていた。
おそらく地位の高い人間に与えられた書斎だったのだろう。
「さっそく、試してみようかね」
ランタンとアイテムの入った小袋を机に置いてカーテンを引き、窓を開けた。
新鮮な夜風がビュウと部屋になだれ込む。
空には無数の星々と、雲間に大きさの違う三日月が二つみえる。
「んーっ!」
体を伸ばして深呼吸。
『隠者の部屋』
対象の認識と干渉を阻害する魔術である。
まずはじめに部屋の中心にチョークで魔法陣を描く。
目的に合わせた陣の形成と、使用者の意志が一致することが肝要だ。
「『我 隠棲を好む者』」
呟くと、床に描かれた魔法陣が赤黒く光を帯び始める。
「……次は呪符っと」
羊皮紙の呪符。
内容は古スヴァルガ文字とサムダムネリの独自文字で組み合わせた魔術用語だ。
壁、天井、魔法陣を含めた床とバスルーム。
四方余すところなく一メートル間隔に張り付けて行く。
「窓や扉は縁の上下左右に貼っとけばいいんだっけか」
張り終った。
「『我 隠棲を好む者
属性は水 土 金
求むるは安寧 人の目を避けよ』」
ゆっくりと丁寧に古スヴァルガ語で呪文を詠唱する。
赤黒い魔法陣が瞬きを失い、床へ吸いこまれるようにして消えた。
「……、」
何も起きない。
いや、もう発動しているのか。
試しに魔法を使ってみる。
もし『隠者の部屋』が発動していなければ、クケイがいち早く気付いて駆けつけるであろう。
駆けつけてこなければ成功した証左。
駆けつけてくれば新しい魔法の修練に失敗したと言い訳すればいい。
「明かりを」
指先から光の粒が天井向かって浮かぶ。
部屋の全容がほとんど把握できる、まるで昼間の様な光度である。
「うおっまぶしっ! もうちょっと光度下げた方がいいな。というか、うっひゃあ……汚ぇなぁ」
喘息持ちにはつらい汚さだが、幸い持病のトリガーはそこではない。
風よで部屋を中心に突風を巻き起こし、埃を一斉に窓から外へ放出させる。
明かりをと同様Lv2に定義されている魔法で、意のままに操る程度には熟練している。
その後もあらゆる方法で整理整頓。
殺菌や消毒をしたがクケイは来なかった。
どうやら『隠者の部屋』は正常に発動しているようだ。
次来るときは拭き掃除しよう。
衣服を脱いで裸になり、水魔法で掃除したばかりのバスタブへ。
取り急ぎ体のほこりを洗い落とすことにした。
寝間着と下着は各種魔法で汚れを吹き飛ばす。
Lv2の水球を応用。
頭上には水の塊が浮き、粒がシャワーのように絶え間なく滴っている。
水温は少し熱く感じるくらいに調整。
シャワーを浴びている間、普段考えることのないいろんなことが頭の中を廻った。
なぜ自分はこの世界に転生したのか。
虚弱体質や性別が変わる体質は治るのか。
考えたって答えが出ないことは理解している。
けど考えずには居られないのは、やはり久しぶりに一人でシャワーを浴びられたからなんだろう。
次に世話をしてくれている人たちのことを思う。
好き嫌いで苦手な人はもちろんいる。
しかし、今自分の身の回りに居る人はみんな自分にとっていい人たちばかりだ。
「前の世界でわりかしぼっちしてきた反動なのかね……」
日本に居た頃の俺は決してよい人生を送っているとはいえなかった。
よいことといえば終わり際一人の親友を得たことか。
やっと人生楽しいかなと思うようになれたのに、二十九歳にしてあっさり逝った。
後悔はないが、弟や親友のことが少しだけ気になる。
「くっ、ぐすっ、ひっ……」
この世界に生まれて初めて素直に泣いた。
サグラや鸞子に弄られて泣かされるとかそんなんではなく、泣いた。
湯の塊がバシャリと頭に落ちる。
そのままバスタブにへたり込んで泣き続ける。
年甲斐もなく子供みたいな泣き方。
見た目はどうあがいても子供であるのは間違いない。
「なんで、こんなっ、莫迦みてぇ、へへっ、やっぱこの体に、引っ張られてるんかな?」
排水溝に栓をして、手癖で湯を張った。
風邪を引くわけにはいかない。
夕泉龍鯉の風邪は長引くのだ。
五分程温もって、やっと涙が収まった。
「ふぃー、よく泣いた!」
久しぶりにがっつり泣いたら一定の悩みがふっとんだ。
俺は今まで、借り物かもしれないこの体に対して一定の配慮をしてきた。
一定の配慮というある種のリミッターを今から少しずつでも外していこう。
どう転んでもなるようにしかならんのだ。
この体は貧弱で性別だってコロコロ替わる。
しかし魔法や武術の才能は豊かで、記憶力はいいし前世の知識だってある。
やろうと思えば好き放題できる。
異世界転生は生前から望んでいたことだ。
せっかく転生したのだ。
もっと気ままに新しい人生を送りたい。
そのためには、いくつかクリアすべき課題がある。
まず定期的にみえる破滅的結末について。
傾向からしてある種の強制力が働いているのかもしれない。
これまでみた未来視は、総じて初見殺しに近いものばかりだ。
やたら破滅の運命へと導く強制力。
これに敵対するかのように破滅的結末を回避させ、別の運命へと導こうとする何かがいるのだ。
未来視を信用しきるのはよくないが、みせてくれる以上は避けるしかない。
当面は今まで通りでいいだろう。
ただでさえ人の目を引く名家の三男。
家臣もやたら双子を売り出してくれてるようだし……。
目立ち過ぎないくらいが行動も制限されなくてちょうどいい。
つぎはユーゼン家の跡継ぎの問題。
有力なのは次男のタカイスか三男の俺だろう。
これに関しては成り行きに任せるほかない。
長男レイスはアンガー南部で従士団を率いて日々頑張っている。
評判は相変わらずかなり悪い。
次男タカイスは現時点では安牌。
お互い信頼もしている。
唯一の懸念は血統の問題で騒がれることくらいだ。
四男以下の弟たちは未知数。
ナイノミヤ王領に引っ張られてる仁恤は、本人と話してみないことにはわからない。
姉妹たちは在学中か卒業後に嫁ぐ可能性が高い。
家柄からいえば、本人たちにその気があるのなら時期を失することはまずない。
留学中の長女ラヴァナからほぼ音沙汰がないのは気がかり。
マーグラをウチの城へ迎えてから一度も会っていない。
つぎに王子サグラと鸞子について。
誰も口には出さないが、たぶん二人はこのまま一緒になるんだと思う。
お似合いの美男美女カップル。
俺にできることは応援して、邪魔するやつが居たら排除するだけだ。
タカイス曰く、サグラは俺のことも狙っているとか言っていたけどさすがにそれはない、と思う。
思いたい。
怖くてサグラの不可視の体は覗けん。
皇位継承云々は実情を把握していないので保留。
ヒミカやサグラからお願いされれば断れるかわからんが、できれば関わりたくない。
やはり、あらかた問題が片付いたら気ままに生きよう。
書物や新聞でみる限り、この世界ウルガトは魅力に溢れている。
人里離れれば魔物や竜が跋扈していて、ダンジョンらしきものもある。
成り行き次第だが、少しくらいは外の世界を歩いてみたい。
ソロプレイでもいいけどクケイはついてきてくれたりするかな。
身勝手だとはわかっているが、正直いうと一緒に居たい。
いつか玉砕覚悟で気持ちを話してみよう。
「あっつい……」
一息つき、バスタブの淵に腰を掛け、自分の体をよく見つめる。
本日の性別は女の子である。
ここは安息の地。
人の目を心配しなくていいのだ。
***クケイ視点***
最近、龍鯉が深夜に部屋を抜け出している。
毎日ではない。
鸞子が寝静まってから、午前一時から四時位の間、部屋を空けることがあるのだ。
以前夜中に一度だけ、異質なリョーリの魔力を感じたことがある。
ほんの一瞬だけだったので、寝ぼけて魔力を高めたのだろうと気にも留めなかった。
その日からだった。
内力や魔力を探っても見つけられない。
クケイは気になっていたが、訊きだせずにいた。
秘密の特訓でもしているのか、それとも自分や鸞子にも言えない悩みがあるのか。
いずれにせよ気になってしょうがなかった。
クケイはリョーリが抜け出す日には必ず後をつけた。
決まって五階東側の突き当りで気配が消える。
手当たり次第全ての部屋を探しても見つけられなかった。
リョーリは自分の知らない魔法を会得したのだろうか。
そういえば最近、難しい古書を読み漁って勉強している姿をよく見る。
もしかして魔道に堕ちてしまったのか。
有能な魔術師は、その有能さゆえ完成度の高い魔術に魅入られ己を見失ってしまうことがままある。
リョーリに限ってそんなはずはないと、クケイは首を振った。
彼は一体何をしているのだろう。
悪い事ならこの体を犠牲にしてでも引き戻して、そうでなければ見守ってあげたい。
クケイは心に固く誓った。
ある日の深夜一時。
クケイは五階東側の突き当りで途方にくれていた。
メイド服のスカートを丁寧に尻に曳いてちょこんと三角座りしている。
尾行を始めて十数回目なのに、一向にリョーリを見つけられない。
「リョウ様にお会いしたい」
溜息のあとジワリと涙をためて、ぽつんと呟いた。
明日になれば、いや、明日にならなくても、リョーリが自室に戻りさえすれば会える。
だけど会えないと思うとなぜか恋しい。
「はっ!?」
クケイは驚いた。
ただの突き当りでしかなかった壁に、突然扉が現れたのだ。
全く認識できなかった。
この感覚は何度か経験したことがある。
師匠やヒミカのやるソレと似ているのだ。
おそらく高度な魔術の類。
なにゆえ自分の前に現れたのかはわからない。
だがクケイにその扉を開けないという選択肢はなかった。
気配を完全に殺し、その上にLv3の隠形魔法の隠れよを発動する。
主に奇襲で目標を殺す時に使う本気コンボ。
クケイの隠れよは、視認できなくなるほど完成度が高い。
ブービートラップは?
鍵が掛かっているかも?
いや、リョーリは知識があっても城内にブービートラップは仕掛けない。
鍵は掛かっているはずがない。
そんな気がした。
ドアノブに手を掛ける。
音を発てずに扉を開け、閉めた。
リョーリは確かにそこにいた。
迷彩のおかげで気づかれはしない。
だがしかし、クケイにとって思いもよらない事をしていた。
午前四時過ぎにリョーリは部屋から出て自室に戻った。
一人部屋に残されたクケイは、思い返して悶えた。
恋い慕うご主人様が普段みせることのない一部始終。
今日の出来事とあの光景は一生忘れないだろう。
きっとリョーリはこの部屋で、日々の鬱憤を発散しているのだ。
自分だけの秘密にしておこう。
心や記憶を覗かれないように、心を閉ざす術に磨きをかけよう。
そう、部屋を見つける前とは違った誓いを立てた。
クケイはその後何度もリョーリを尾行し、昼間にも根気強く探し回った。
けれども話しかけたり泣いたり何をしたって、再び例の部屋を見つけることはできなかった。




