第四十二話「安堵」
グェムリッド宮殿、寝室。
「よかった、目を覚まされたわ!」
起きてから最初に聞いたのはマーグラの安堵の声。
俺はというと、先ごろ魔力増幅の限界に挑戦して寝込んだばかりというのに、サグラとの城下散策を経て再び寝込んでいた。
今回は四日ほどぐっすりベッドの上。
案の定、起きなくてもいいイベントが起きてしまった。
今回はかなり刺激的だった。
人攫いどもと闘い、破滅的結末を全力で回避。
「本当によかった」
「ご迷惑をおかけしました」
「迷惑だなんて! 妾身は、わらわは……」
クケイによると、マーグラは交代で看病してくれて、俺の手を握っては涙を流していたという。
ちなみに俺が起きてからも、今度は嬉し涙かたびたびクケイに涙を拭いてもらっていた。
なんか側室時代に比べて幼くなってるような気がする。
衣装や化粧が薄くなった所偽とかではない。
健康的な褐色肌の張りと、そのきめ細やかさ。
間違いなく物理的に若返ってる。
今年で三十二歳らしいがどうみても二十歳前後にしかみえん。
俺とクケイから内功を学び始めたとはいえ、ここまで効果があるとは……。
政治から離れ好きなことをやり、ヒミカや他の側室とアンチエイジングに勤しんでいるのも理由としてはありえるだろう。
そのあと鸞子の安堵の笑顔を見た。
抱きつかれて揉みくちゃにされ、説教開始。
「リョウ! わかってるの!? 死んでたかもしれないのよ!?」
「ええ、わかってます。体がしんどいんです、ちょっと耳元で叫ぶのはやめてください」
何かしらあって寝込むこと自体は俺にとって平常運転だのに、鸞子もやはり心配してくれていた。
「なんで私のいない時に限って……」
本音が漏れてますよ。
小一時間ほど一方的に話し続け、大きな溜息とともに本音をぼやく。
今回の騒動においてはしんどい方が先に立ったが、正直なところ鍛えてきた技術を実戦で披露するのは少し楽しかった。
おかげで今後の課題もたくさん見えてきた。
***
鸞子をマーグラに任せて、説教から逃げるようにヒミカの居る本殿に赴いた。
「体調は?」
「おかげさまでだいぶ元気です」
「そう」
ヒミカはそっけなく返事をする。
少し前までまだ幼さが垣間見えたのに、立ち振る舞いは大人の淑女だ。
今年で二十一歳になるそう。
大人びてみえるのは、白く豪奢なドレスを着付けてるからというのもある。
重臣たちに舐められないために威圧感を与えなければならないのだ。
きっと可愛らしい服装をすればもっと少女然とするはず。
「お叱りにならないんですか」
さすがに叱られるかと思っていた。
「リョウは叱られる様なことをしたの?」
「アイザール王サグラ殿下を危険な目に遭わせて……」
俺はこの世界に生まれてあまり怒られたことがなかった。
姉はそこそこの頻度で叱られてるのに、俺はほぼ叱られていない。
さすがに今回は、心配させたことなど諸々を含めて説教される覚悟はできていた。
ゆえに鸞子をスルーして真っ先に本殿へ足を運んだのだ。
「サグラ様のやんちゃはいつものことよ。大切なのは起きたことにどう対処したか。あなたはちゃんと守り抜いて生きて帰ってきたじゃないの」
「むぐ」
ぎゅっと抱きしめられる。
低血圧が一発で改善されるくらい血圧がぎゅんと上がった気がした。
ヒミカは普段からほとんど本音の感情を表に出さず、所作は気品に溢れていて基本的に冷静沈着である。
しかしたまに、こうやって言葉が多くなったかと思うと、抱きしめたりしてくるのだ。
マーグラ同様、心根が優しい人なのは見てとれる。
落ち着いてから、寝込んでる間の出来事を話してもらった。
獄中で人攫いの頭目ジェニングズは自死していた。
最後の取り調べが終わったあと首を搔っ切り、留置場の壁に血で、
『俺は死ぬ。皆自由に生きろ』
と書き遺していたらしい。
捕えられていた被害者は、全て十大神教の重要な関係者。
人攫いの背後にはルヴァ教の原理主義者たちが絡んでいるのかもしれない。
そういえば、あの噛みついてきた美少女も、十大神がどうのと言っていた。
もっとも、幹部と下っ端たちを取り調べても証拠はでて来ず、事情を知っていそうなジェニングズは死んでいるので、真相は闇の中だ。
「あなたが城に招こうとした五人をうちに貰うことにしたわ」
「五人というと、助けてくれたガレって人と幹部たちですか」
「ええ、そうしたかったのでしょう?」
ガレジェリはともかく、あの四人組は、五つの破滅的結末を観たなかでも決して悪いやつらとは思えなかった。
中には俺を助けようとして内紛を起こす結末もあった。
人攫いという悪行にプライドを持つというのもおかしい話だが、彼らは一定のルールに従って、たまたまその仕事をしているだけなのだ。
ヒミカも彼らを気に入ってくれたようで、悪いようにはなっていなかった。
「建前はうちの家門の奴隷として。一人ずつみて、意志も尊重しているわ。ただ……」
「ただ?」
ヒミカは残念そうに、
「ガレジェリはウチの奴隷になるだけで済んだのだけど、四人は杖刑に処されてから城にくることになってるの。取調べでも拷問されてたからちょっと不安ね」
一〇〇人以上いる下っ端たちも身体刑の後、おそらく労役送りになる。
ヒミカとサグラが圧力かけまくってこの結果。
領主の子と皇帝の子に手を出せば、スヴァルガとアンガーの法に照らしあわせれば通常は死罪だ。
もちろん個々の経歴から処される人も少なからず居るだろう。
寝込んでた俺が悪い。
スヴァルガで身体刑といえば、鞭打ちや杖叩きが一般的だ。
武芸達者な彼らでも数十回も叩かれれば死ぬ可能性は大きい。
体力が万全の状態でもわからないのに、俺とサグラに斃された病み上がりに、加えて拷問されたあとに喰らうともなると死亡率もより高まろう。
刑は今日の昼過ぎに執行され、生きていればティンバラスール城に移送される運びになっている。
気になるがもう大人しく待つほかない。
「食事は済ませたの?」
「まだですけど」
朝ごはんも食べずに本殿まで赴いたので、恥ずかしながらお肚が鳴った。
「はふっ、んぐ」
「落ち着いて食べなさい」
玉葱とチーズのリゾット。
肚を空かす俺のために、味を気持ち薄めにして三人前ほど用意してくれた。
玉葱と微かなチーズの香りが鼻腔を擽り、食欲をこれでもかと煽ってくる。
「おいしいです」
「そ、そう? 最近お姉様たちと一緒に練習しているのよ」
珍しく嬉しそう。
「今度僕も作ってみましょうかね」
「リョウは料理したことないでしょう?」
「そうですね。したことないから作ってみたいです」
「サグラ様から聞いたのだけれど、はちみつと砂糖入りのレモン水に炭酸を付与させていたと。よくそんなこと思いつくわね。商人ギルドの幹部たちが聞くと喜んで食いつきそう」
「えっ!? はい、なんとなくおいしいかなと思ったので」
危ない。
お互い料理する機会に恵まれない身分だし、この世界の貴族においてはやっている方が珍しいのだ。
生前、自炊は結構していた。
まあほとんど男飯だが。
バイトを渡り歩き経験を積むうちに、自ずと作るようになっていた。
「……以前あなたが借りた禁書のことなのだけれど」
知識と奥義の書。
控えていたクケイがピクリと反応する。
共犯だからな。
「はむっ、拙かったでしょうか」
俺の頬を拭ぐってくれながら、
「何事も極めるには危険が付き物よ。今後もあなたの思うようになさい。不可視の体は奥が限りなく深いわ。わからないことや危険を感じたら遠慮なくいうのよ」
ヒミカも似たような危険を冒して最上級者になったのだろう。
俺も巡り巡って精神感応を習得するに至った。
彼女だって、誰も見ていない所で修業しているのは間違いない。
止めても無駄。
お互いわかってるから何も言わないだけだ。
しかし言葉とは裏腹に、憂いているようにみえた。
気にしていない振りをしているだけで、やはり母なのだ。
三人前をペロリと完食。
数日ぶりのまともな飯はとてもおいしく、調子に乗って食べ過ぎた。