第三十六話「城下散策」
ティンバラスール城旧本殿。
スヴァルガ第三皇子、アイザール王サグラのおわす宮殿である。
「リョウよ」
「なんでしょう」
「はぁ……」
サグラはソファで、わざとらしく嘆息した。
沈んだ表情をしても美少年は美少年である。
鸞子はその彼に体を預けて、どうしたらいいかわからなそうに、とりあえず甘えている。
俺はというと、いつものごとく地に正座。
理由はわかっている。
長男レイスと元側室マーグラの処遇にかまけている間、サグラとの城下散策の約束を忘れてほっぽりだしていたからだ。
その間約一ヶ月ほど。
「……以前、子との戯れの約束を果たすために、大切な家畜を殺したという話をしてくれたな」
「よく覚えておいでで」
曾子殺彘。
韓非子に記述されている君主の心得の一つ。
曾子は、儒教の始祖である孔子の弟子で、兵家で有名な呉起の師。
曾子という人は妻が子と交わした空約束を果たすために、貧していたのにもかかわらず豚を捌いた。
子供は父母の言動をみて育つ。
親に騙されれば、当然子供は親を信じなくなる。
韓非は、子供との約束で散財することは無駄ではなく、君主の持つべき重要な心得だとしている。
その場しのぎの約束はするべきでなく、約束したならしっかり果たしてこそ信用されますよ、という故事だ。
「戯れの約束も明主なら果たすと教えてくれた」
「ええ、はい……」
側に居る侍従宦官どもからの視線が痛い。
俺があからさまに申し訳なさそうなオーラを出していると、サグラは相好を崩した。
「……愛いやつめ。もう、騒動はだいぶ落ち着いたのであろう?」
「ええ、一段落つきました」
「老練な貴族たちとやりあったと聞く。そなたがどう活躍したのか詳しく知りたい」
「そんな大したことはしてませんが、仔細をお話ししましょう」
説明しているうちに王子の機嫌はよくなっていった。
「では明後日などどうか」
「お母様の占いではティンバラは終日快晴ですって」
鸞子もお茶会や勉強会をのぞけば、基本的にティンバラスールで勉強と修練漬けの毎日だ。
ここ最近は、日々の修練と並行して精神感応習得に励み、スヴァルガの情勢や議会の資料を漁っていたので、あまり構ってやれなかった。
たまにサグラやマーグラたちが遊んでくれていたとはいえ、ストレスは間違いなく溜まっている。
約束は果たさないといけないし、付き合ってやろう。
城下散策。
いつも通りなら適当にぶらぶらして買い物し、城や文化財があれば社会見学して終了。
すぐ終わる。
***
ティンバラ東区の歓楽街。
ユディタ城を中心に城下町の形態をとる東区の歓楽街にて散策することとなった。
雑踏。
気を付けないと数秒に一回は通行人と肩が当たる位に混雑していた。
角や獣耳がついていたり、明らか爬虫類然とした亜人もちらほら見掛けられる。
領民だけでなく、領外の人も癒しを求めてやってきているのだ。
アンガーで一番人口密度の濃い場所といえよう。
俺はというと、いとも簡単に鸞子とはぐれ、サグラと二人っきりになってしまった。
あの子は珍しいものをみつけると、すぐに駆け出してしまうのだ。
まぁ、クケイが側についてるから問題はあるまい。
誰もいないのをいいことに、サグラが抱っこしたり肩車してきたりする。
さほど嫌悪感が湧かないのは、彼が美少年ゆえか、本日の我が性別が女の子ゆえか。
タコスっぽい料理を売る屋台に立ち寄った時のこと。
「……殿下、たかが昼食で銀貨1枚はやり過ぎです」
「そうか? リョウはよく知っておるな」
スヴァルガに一般流通している貨幣はスヴァルガ金貨、銀貨、銅貨、屑銅である。
秤量貨幣だとか貴族が独自に発行しているものもあるが基本はこれだ。
金貨1枚=銀貨20枚
銀貨1枚=銅貨200枚
銅貨1枚=屑銅10枚
裕福な平民一人の年間生活費が金貨10枚。
ティンバラスール城の十五歳以上の侍女の最低年俸は金貨3枚。
相場と合わせて日本円的な感覚で表すなら、金貨1枚で40万円、銀貨1枚で2万円、銅貨1枚100円、屑銅1枚10円くらい。
ちなみにクケイは月に銀貨3枚のお小遣い制らしい。
年齢にしては高く、働きからいえば安い。
十五歳未満の侍女のなかでは一番貰ってるので、よくお菓子を振舞ったりしてるようだ。
サグラは二人前銅貨10枚の料理に銀貨1枚、つまりは1000円の品に2万円を支払った。
将来、皇帝かそのままアイザール王をやるのかは知らんが、金銭感覚を把握する気がないのはいかん。
パンがなければ云々、みたいな軽率な発言をしないように帰ったら教え込んでやろう。
昼食はそのタコスに似た料理とレモネードをいただく。
「お、なぜそなたのは泡が湧いておるのだ?」
「炭酸へ変化させてみました」
「余にもやってくれ!」
レモネードといえば炭酸。
魔力への感覚的な理解が進むにつれて、こういったことも徐々にできるようになってきた。
いつかコーラとかも再現できるようになりたい。
「くっぷ、これは爽快、喉に効くな。エールのそれとは比べものにならん」
「ここらで飲まれてるのは総じて微炭酸ですからね。くっぷ」
食べ終わると、手を洗うため側溝へ。
「こちらにお手を」
「こうか」
食指と中指からチョロチョロと加減した水を流す。
「これまた器用だな。しかも温い。なんという魔法だ?」
「Lv1の水流です」
「ほう? まさかその魔法とは思わなんだ。余も一応やれるがそなたのように勢いは殺せぬし、水温の調節もできぬ」
「もうよろしいですか」
「うん、次はそなたの番だが、それで己の手を洗うのは難しかろう」
ハンカチで手を拭きながらワクワクしている。
仕方ないな。
両掌を前に出し、その上にゴム鞠程の水球を作る。
「これはLv2の水球か、見事に小さめに制御されている」
ゆっくりと重力を感じさせないよう降し、水球を維持したまま球中で手を揉む。
サグラは感嘆の吐息を洩らし、近くにいた屋台の客からも、もの珍しさからか声上がった。
ばしゃん、と水球を側溝に落とす。
「殿下、行きましょう」
人が集まりそうなのを察知して、サグラの袖を引いて屋台から足早に去った。
人波を縫って進み、どれくらいか息が切れない程度に小走りして大通りを抜ける。
いつの間にか薄暗い路地に入り込んでいた。
建物と建物の間、石畳で舗装された道は所々割れて、紙くずが風に吹かれている。
こういう場所は長居せず早々に立ち去るが吉だろう。
さもなくば――――
「今回のは上玉でしたね」
「へっへっへ、お頭も喜ぶだろう」
往々にして関わらない方がいい揉め事に巻き込まれるものだ。
明らかに風体の悪い男が五人、堂々と路地に闖入してきたので、さっと壁に寄って道を空ける。
先頭を歩くトカゲ面の小柄な男が突然近づいてきた。
「可愛いねェ僕ちゃんたちィ。道に迷ったのかなァ?」
目を合わさない……ようにしたいのに、サグラは不愉快そうに睨み返していた。
袖を引くと、しぶしぶ首を下げる。
このトカゲ面はわざと問題を起こしにきている。
仕方ない、それとなく見逃してもらおう。
「ええ、道に迷ったんです。お邪魔してすみません」
「……そうかァ気をつけるんだぞ」
「よしとけって。仕事増やしてる暇があったら早く親父んとこいかねぇと……え? どうしたんだよお前」
「いやァ、可愛かったから近くで見たかっただけなんだよ。さっさといこうぜェ」
「……、」
黒布を頭に巻いている男が怪訝な顔をしている。
見た目はチンピラなのに、なかなかの内功を秘めていた。
どこかの流派の上伝くらいか。
俺の精神感応に気付いてはないが、違和感を感じて警戒していた。
男五人は俺たちをスルーして肩で風を切って路地を歩いていく。
一番後ろの大柄の男が麻袋を背負っていた。
「なんだと思う」
「人攫いですかね」
サグラの顔が強張った。
「……いったん人を寄越してからにしましょう」
「今人を寄越せば気付かれよう」
「僕らだけで追うのは危険すぎます。下策中の下策です」
「それでは見失ってしまう! 走り抜けた所為で護衛も撒いてしまった。ここを出てネイを呼んでこい。近くに配置した兵が居るはずだ」
「殿下お一人にはできません」
「んん? 本当は一人になるのが怖いのであろう。先程もチンピラ風情にガクガクっと震えて可愛らしく余の袖を引いておった癖に!」
「はぁっ!? 別に怖くなんかない。ていうか今にも殿下がぶん殴りそうだったから」
「安心しろ、もしもの時は余が守護ってやる」
「ほお」
口論しているうちにも男たちは遠く離れていく。
鼻でよく息をして、数秒考えて結論をだした。
「わかりました。アジトを見つけるまでです。危なくなる前に逃げますからね」
「わかっている」
……多分わかってないな。
サグラは空気を読むときと読まないときの差が激しい。
読むときは文句のつけようのない王子様だが、自分の中で引けない部分に関しては、辺り構わず突っ走りまくる。
暴走開始からどう上手く立ち回っていくかが肝要なのだ。
「ここに印を残しておきましょう」
「印?」
「魔力の残滓をここに置いておくんです」
目を瞑り自然体のまま体内の魔力を高めた。
右手から『光弾』、
左手から『小魔の闇』を発動する。
本来は属性変化させた魔力の塊を目標に放ちダメージを与える破壊魔法だが、今回は掌で発動するだけに止めていた。
この二つの魔法は場に魔力が残りやすい。
「右手は白く左手は黒い、その魔法一体どう――」
「城に帰ってから説明します」
「ううむ、詠唱せんからわからぬわ」
内力を奮わせて居場所を知らせるのは賊にも腕のいい武芸者がいるかもしれないので下策。
魔力を読みとることは容易ではない。
ほとんどの使い手は不可視の体を意識しないので、一般人と同じく五感に訴えるものでない限り知覚できない。
きっと近くにいるクケイは兵を手配してすっ飛んでくるはずである。
移動しても定期的に魔力を高めて痕を残せば辿り着く。
魔法を体内に取り込み、魔力を落ち着かせて深呼吸。
「行きましょう」
気配を最大限消して、人攫いの跡を追い始めた。




