6-後
近隣住民がなんだなんだと顔を出し始めたので慌てて勝を押し込み家の中に入ると、その強烈な臭いは突然小助に襲いかかった。
先ず鼻についたのは生ゴミの匂い。そして部屋から溢れる荷物の山。喜糸の家と同じ構造の筈なのに別世界の様に感じた。
とりあえずツンとした匂いがする勝を風呂に押し込めるとリビングに向かう。そしてゴミを掻き分けベランダの窓を開けるも、そのベランダにさえ壊れた椅子やフライパン等がうず高く積まれていた。
だが当初の目的は換気なのでそちらは気にせず目に見える窓を全て開け放つと今度は台所を覗く。
「……………」
言葉も出ない。巨大なゴミ袋の中には大量の生ゴミ、つまりコンビニの弁当が押し込められていて、周りには小蠅が集っていた。
小助は一度ベランダに戻って深呼吸をすると、意を決して台所に向かった。とりあえず開けられたままのゴミ袋の口を縛るともわっと小蠅が飛び出してきたが、これは妖精なんだと訳の分からない妄想をして耐える。まだ使えそうなゴミ袋も縛ると、今度は許可もなく冷蔵庫を開けた。
ーー……やっぱりーー
そこにはいくつかの調味料と、そして二つのコンビニ弁当が入っている。恐らく勝の昼食と夕食なのだろう。全国的に見ても珍しく学校給食がない小助の学校で、勝はいつも菓子パンかコンビに弁当を食べていた。それを他の生徒達は羨ましがっていたが、勝本人はどう思っていたのだろう。
小助は二つある内の一つ、親子丼を出すと他にもいくつかの材料を用意した。
一度リビングに戻ってそこで作業をする。
見るからに勝はこの一週間まともに食事をとっていない。スポーツ少年の様な健康的な体はげっそりと痩せ衰え、日に焼けた肌も少し薄く感じた。台所のゴミ袋にも手つかず、もしくは数口しか手がつけられていない弁当があった事から、つまりそういう事なのだろう。
電子レンジが使える事を確認して親子丼を入れると丁度勝がリビングに入って来た。少し剛毛な髪がぺしゃんと潰れていると一瞬誰か分からない。
「………悪い、汚いだろ」
「そうだね」
はっきりと言えば勝は面食らった様に仰け反った。
「だって嘘ついても仕様がないでしょ」
「いや、それにしたって普通はそんなはっきりと言わないから」
「分かった。次からは善処するね」
「……難しい言葉使うな」
どうやら大泣きし、ついでに風呂にも入ったので少しは落ち着いたらしい。だからといってまだ元気がある様には見えないが口調や態度は勝そのものだ。
すると丁度電子レンジの音が鳴る。袖を伸ばして器を持つとふわりと良い香りがした。
「勝っていっつもどこで食べてるの? リビング?」
「いや、自分の部屋だけど………つかそれ何」
「親子丼風おじや」
「おじや? 小助が食うの?」
「俺は家に帰ってから食べるよ。これは勝の」
「………腹減ってない」
「じゃあ食べよう」
じゃあ、とは。
プラスチックのスプーンを乗せてリビングから出ると、根負けした勝が自分の部屋に案内した。玄関から一番近い部屋で、中に入ると小助の部屋ぐらい何もない。ギャップの激しい家だと思った。
簡易テーブルの有無は分からないので勝手に勉強机に置くと勝がじっとおじやを見下ろす。最初は嫌そうな顔をしていたのに、鼻をすんすんと鳴らした数秒後、ぐぅっとお腹の音が鳴った。
「………」
何故意地を張る。
「美味しいよ」
「……なんで分かんだよ」
「俺が作ったから」
そう言うとまたぎょっとした目で小助を見た。そして何度か瞬きをした後、疲れた様に笑った。
「食っていい?」
「召し上がれ」
ガツガツと食べ始める勝を置いて自分の荷物を移動させる。本当は飲み物も出して上げたい所だが、先程冷蔵庫を覗いた時には何もなかった。ならば水道水かと勝の方をちらりと見れば、何故か机の上にペットボトルのジュースが乗っている。マジック? と思っていると口の周りにご飯粒を付けた勝が振り返って小助を見ると机の引き出しを開け、そこから取り出した一本の未開封ジュースを投げた。
「……良いアイディアだね」
「あんましあっち行きたくねぇし」
住んでる者ですらそうなるのか。恐ろしい家である。
しばらくして勝は大きな息を吐いた。見れば食べ終わった様でお腹を摩っている。持ってきたプリントを持って近付けば容器は綺麗に空になっていた。
「久々のご飯にしては量多かったかな?」
「いや、逆にこれより少なかったら物足りなかったと思う。ありがとな。ごちそー様でした」
「うん。ならまた喜糸と遊んであげてね。心配してそこまで来てたよ」
喜糸、と名を出すと勝は苦い顔をする。色々な感情が渦巻いて消化しきれないのだろう。
「あと勝がインフルエンザだって嘘ついちゃったからさ、後で話し合わせてね」
「は? え? 小助が嘘ついたのか?」
「そう。迫真の演技で」
「いやいや、それはないだろ」
「喜糸は信じてくれたよ」
「それはあいつがまだちっせぇから……………って、そうだよな。まだ、二年だもんな」
小さくて細い肩を掴んで怒鳴ってしまった。その時の喜糸は泣いただろうか。それとも泣くのを我慢したのだろうか。
小助は空の容器を端に寄せるとプリントとは別にして座席表を置いた。いつ見ても不思議な座席表だ。空いている席が八つ。それも統一性はなくバラバラ。だがどちらにしても多過ぎる
勝はその中の一つ、自分の後の席を指でなぞった。
ーー勝もやっぱりそこが気になるんだーー
勝の表情が見る間に暗くなる。
「喜糸に聞いたんだって? 『兄弟何人だ?』って」
「……」
「で、一人っ子だって言われたんでしょ。実は俺も一人っ子だって思ってた」
瞬間、音を起てて立ち上がった勝が小助の胸ぐらを掴んだ。だが小助は怯まない。今にも噛み付いてきそうな目をただ真っ直ぐに見返した。
「大丈夫、俺も同じだよ。納得出来なかった」
「っ……」
「頭では『喜糸は一人っ子』って知識として蓄えてるのに、違う頭では『そうだっけ?』って納得しようとしない。それがもやもやして、凄く気持ち悪い」
「…………そんなの、気持ち悪いだけじゃない」
力なくイスに座った勝は頭を抱えた。腕を上げた事で袖からちらりと見えた赤いリボンがやけに強い存在感を放つ。なんだか自分の持っているモノとはまた違うリボンの様な気がした。
「月曜日……」
「うん」
「リボン隠れ鬼、延期になって………気付いたら一人だけで教室に居た」
「……うん」
「なんか嫌な感じしたんだけどそのまま教室に居たらオノシンが来て、帰れって………んで、喜糸の所に行ったんだけど何してもつまんなくて」
「うん」
「火曜日学校に行ったら、やっぱり変だった。でも、皆普通なんだ。普通に話して、普通に遊んで、普通に授業受けて。なんか俺、すんげぇ気持ち悪くなって……」
小助もそうだった。今朝夢から「そこに元から誰もいない」と言われた時からずっと落ち着かなかった。喉まで出かかっている何かが魚の小骨の様に引っ掛かって取れない感じ。勝が言う様に、気持ち悪かった。なんだか別世界を枠越しに見ている様で。
もしかしたら勝はその何倍もの違和感を感じたのかもしれない。
「吉田にも聞いたんだ。八重樫にも。あいつらと席近いから。でも元から誰も居ないって…………そんなわけないんだ。だって俺、一番あの席に向いて話してる。体向けてる。誰もいないなんて、ありえない」
「そうだね。俺もそう思うよ」
勝と話すまでは「誰かいなかったっけ?」ぐらいの小さな疑問だったものが段々とはっきり明確になっていく。
確かに誰か居たのだ。絶対に。あの席に。
一人納得していると勝が疑う様に小助を見る。小助が勝を気遣って嘘を言っているかもと疑っているのかもしれない。
「……本当に? 本当にお前もそう思うのか?」
「うん、本当だよ」
重そうに頭を上げる勝の目をしっかり見ながら頷けば、最初は探っていた視線も次第に揺れ、顔等特に歪んでいく。そしてまたじわっと目に水の膜が張った。
「俺、どうしたら……」
勝は小助を信じた。だが小助はその気持ちを返せない。
ーー本当に、どうしたらいいんだろうーー
そもそもこれは二人が「ここに誰か居たのだ」と勝手に言っているだけで、もしかしたら二人が妄想のキャラクターを作って遊んでいた可能性もある。
考えたくはないが、あり得ない話しではない。そうでなければどうして自分達以外の人間は何も疑問を持たずに過ごせるのか。
ーーせめて……ーー
せめて何か、何か一つでも良い。消えた人物が確実にこの世界に居たという物的証拠があればーーーーー
「…………リボン」
「え?」
「勝、そのリボン」
「これ?」
袖を捲った。そこから現れた赤いリボンを見て小助は確信する。
急いで自分の荷物の元へ走ると手提げ袋から赤いリボンを取り出した。それをしっかり握って勝の側に戻る。そして押し付ける様にズイッと見せた。
「これ、皆で休みの日に買ったリボン」
「……だから、何だよ」
「白い方は無くしちゃったけど、俺は八重樫さんと交換した。勝は?」
「俺は佐々木とだけど。なぁ、だからそれがなんだって…………………あれ?」
勝が首を傾げた。
そう、小助はそこに気付いて欲しかった。
足りないのだ。一人。
「佐藤さんは誰と交換したの?」
「……」
勝は悩む。必死に頭を捻って、唸って、そしてーーーーー幽霊でも見た様な目で小助を見た。
「分からない……それにあれ、合コンだったんだろ? 佐々木がちゃっかり企画した」
やはり勝にもバレている。となれば夢からの気持ちにも気付いてるのだろうか。だが、今はその話しをしている余裕はない。
集中力が切れそうになるのをなんとか堪えて小助は頷いた。
「俺もそう思ってる。経験ないけど、合コンって男女同じ数でやるものなんでしょ?なら女子が佐々木さんと八重樫さんと佐藤さん」
「男は俺と小助と、あと……………」
思い出せない。どうやっても。小助は興奮を隠せずに身を乗り出した。
「もしかしてだけど、その時一緒に居たかもしれない人が俺達の探すべき人なのかもしれない」
「…………探すべき……」
勝はギュッと手首毎リボンを握った。額を当て、噛み締める様に震える。
「原因は分からないけど、多分その人の身に何かが起きて存在ごと消えちゃったんだ」
「……」
「推測だけど勝はその人と凄く仲が良かったんじゃないかな? それで俺にも良くしてくれたんだと思う。でないと俺と勝がこんなに苦しくなったりしないよ」
「……」
「勝はさっき自分も消えるかもって言った。でも大丈夫、勝は消えないよ。だって勝はその人を助ける為にここに居るんだから」
「……」
「だから元気出して、ちゃんとご飯食べよう。ゆっくり寝て、そして学校に行こうよ。家に居たって仕様がない。だって勝はその人の事助けなくちゃいけないんだから。だからこれまで通りの勝でいなくちゃいけないんだよ。喜糸にも心配かけさせちゃいけないんだよ」
小助は勝の肩を掴む。少し痛いぐらいが丁度良いかもしれない。その方が目が、気持ちがしっかりするだろうから。
「………小助」
「うん?」
「俺が………俺でも助けられると思うか?」
「違うでしょ、助けるんだ。なんとしてでも」
「助ける……」
「そうだよ。勝と、それと俺とでーーーーー助けよう」
一度深く俯いた勝が更に強く唸ると、急に顔を腕で乱暴に擦った。そして勢い良く上げられた顔は擦ったからか、泣きそうだったからか、真っ赤に染まっている。だがそれより印象的なのはその目。キリッと上に釣り上げられた視線が真っ直ぐ小助を射抜いた。
「協力して欲しい。俺、そいつの事見つけたい」
「うん!」
首が取れると思う程に頷いた小助を見て、勝も頷く。暫く見つめ合い、そして勝は漸く嬉しそうに笑った。まだ重石が全て取れたわけではないけれど、これで大丈夫。小助は安心した。
ーー大丈夫。先ずは、一歩ーー
何かを始める前の、一歩。スタートラインに立つ為の、一歩。それが勝を元気にさせる事なのだと、小助は頷いた。
「……………ゆるして……」
ズリ、ズリ、と足を掴まれ引きずられながらも結人は懇願した。悪い事等何一つしていないのに、何度も何度も懇願した。
「やった……みつけた、みつけた。わたし……わたしの」
だからだろうか。自分の罪に自分で気付けないから結人はこれから罰せられるのだろうか。女が嬉しそうに鼻歌を歌う。機械を通した様なしゃがれた鼻声。
ーー………もう、だめなの?ーー
この世界のどこにも、結人の希望はないのか?
「………かつ」
だが、ここではない別の世界になら居る。一番の親友。一番の理解者。こんな状況でも顔も声もしっかりと思い出せる。
「たすけ………かつ」
涙が溢れる。
ゲームの中ではいくら助けを求められても助けに行かなかった。その方が面白かったから。ゲーム以外でもそうだ。宿題も、テスト勉強も、何かで説教を受けている時も、結人は殆ど笑って見てた。
こんな自分を勝は助けに来てくれるのだろうか。今頃結人がいなくてホッとしているのではないだろうか。
ーー違うーー
勝はいつだって結人の味方をしてくれた。結人だって普段はそんなだが誰よりも勝を信頼していた。例え望まれなくても、勝の身に何かが起こったと分かればどんな劣勢でも味方になる覚悟はある。勝もそれをちゃんと分かっている。
ーー待ってる。来てくれるのを、待ってるーー
きっと、この屋敷に飛ばされなかった彼だけが結人と他の二人を救えるのだ。
「かつ………きいと……こすけ……」
だから結人は安心して目を閉じる。今直ぐにでも殺されるかもしれない。もしくは長い間殺されるのを待つ事になるかもしれない。
でも勝が助けに来てくれるから。その間希望を捨てない様に楽しかった日々を思い出す事にした。
友人達との日々、家族との日々、瞑想して、思い出して、微笑んでーーーーー意識は、消えた。




