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リボン隠れ鬼  作者: 作空うむき
12/20

6-前

 勝の家に行くのは初めてだ。

 その日の放課後、小助は勝の机の中に溜まっていたプリントを持って通い慣れたマンションの三階に来ていた。

 実はここに来る前に一度間違えて六階に行ってしまったのだがーーいつもは三つ上の階に住んでいる勝の友人と遊んでいたので、ついーーこれは小助だけの秘密だ。

「よしっ」

 初めての家を訪れる時は無条件で緊張する。小さく気合いを入れるとインターホンに指を伸ばした。

「小助くん」

「はい!」

 不意打ちに肩が跳ね腕が引っ込む。ついでに何も悪い事はしていないのにその腕を後に隠してしまい、もしかしたら自分は不意打ちが弱いのかもと僅かながらにショックを受けた。

「ごめんなさい。驚かせちゃった」

「平気。俺も驚き過ぎた」

 小助に声を掛けたのはまだ小学二年生の古川喜糸ふるかわきいと。件の六階に住む少年で勝とは本当の兄弟の様に仲が良い。小助とはまだ会って間もないが、幼い故の好奇心だろうか、それなりに懐いてもらっている。

「勝の家に遊びに来たの?」

「うん。もう帰ってるかなって思って」

 と言った喜糸だがその顔はなんだか悲しそうで、眉を下げながら服の裾をもじもじと弄っている。

 ーーもしかして今日は休んだのかな?ーー

 喜糸の少し黄色い手を見ながらそう思う。喜糸は生まれつき肝臓が悪いので割と頻繁に学校を休む。だから勝は毎朝喜糸の元へ行き、調子が良いと一緒に登校したり、悪い時には放課後お見舞いと称して寝ている喜糸の側でゲームをしたりする。

 そんな喜糸がわざわざ六階から降りてきたのだ。きっと来てくれない勝を迎えに来たのだろう。

 小助は膝を折ると喜糸の冷たい手をぎゅっと握った。

「残念だけど勝は今日具合が悪くてお休みしたんだ」

「……具合が悪いの? 本当に?」

「そうだよ。だから俺も今日は勝にプリント持ってきて……」

「本当に具合が悪いの?」

「え?」

 小助の言葉に訝しがる喜糸が唇を悔しそうに噛んだ。いつも素直で勝の冗談も直ぐに信じてしまう喜糸がどうして小助の言った事に疑問を持つのだろう。そう思った時、喜糸の目にじわっと涙が浮かんだ。

「どっどうしたの?」

 小助は慌てて片方の手を離すと背中を摩る。ゲームに負けて悔しがる喜糸は何度も見たが、こうして涙を流す姿は初めて見た。

 ーーえぇっと、こういう時って……ーー

 自分よりもずっと幼い子の面倒を見たことなんてない。だが本格的にべそをかき始めている喜糸を放ってはおけない。必死に考えて、考えて、そして思い出して繋がったままの腕を引いた。

「大丈夫だから」

 そう言って抱きしめた背中を優しく摩る。

 母が生きていた時、泣くのを必死で我慢する小助を母はよくこうして抱きしめてくれた。あの時と今の状況は全く違うけれど、なんとなくこれで正解な気がする。

 するとそう時間もかからない内に嗚咽がただのすすり泣きになって、やがて鼻をすする音だけに変わった。

 どちらからともなく体を離すと、小助は常備していたティッシュを取って喜糸の鼻を拭く。そして袋ごと渡すと喜糸は何回かに分けて鼻をかんだ。

「ごべんなざい」

「謝る事ないよ。もっとティッシュいる?」

「ううん、もう平気」

「そっか」

 携帯していた小さなゴミ袋にティッシュを入れるとそれをランドセルに仕舞う。その様子を見ていた喜糸がぽつりと言った。

「この間ね、勝くんの事……怒らせちゃって」

「怒らせちゃったの? 勝は喜糸に怒らないよ」

 ふざけて怒ったりはするが本気では怒らない。だが喜糸は首を横に振った。

「先週の火曜日、今ぐらいの時間に勝くんが家に来たんだ。その時からすっごく怒った顔してた」

「うーん……なんで怒った顔してたか聞いてみた?」

「僕恐くて聞けなかったの。でも……」

「でも?」

「家の中、かくれんぼの鬼みたいに探しまわって、それで僕の肩ぎゅって、こうしてぎゅって掴んできたの」

 喜糸がぎゅっと掴んできた肩が痛い。だがその時の勝はもっと強い力で喜糸の肩を掴んだのかもしれない。なんだか別な人の話しを聞いているみたいだった。

「勝は喜糸の肩ぎゅってしただけ?」

「ううん。凄くおっきな声で怒鳴られた。『お前兄弟何人だ?』って」

「兄弟って……」

 そんな事、小助よりも充分知っているだろうに。

 じわっとまた涙を浮かべた喜糸だが、今度は小助が慰める前に自分の服の袖で涙を拭った。

 病気がちな喜糸だが、元来彼の気は強い。辛い病気に対して弱音を吐いた事がないのだと、あいつは男の中の男だと勝は何度も褒めていた。

 そんな勝が何故その様な事を喜糸に聞くのか。だが、何故だろう。小助も勝と同じ疑問を持ってしまった。

「喜糸って他に兄弟いたっけ?」

「いないよ。僕一人っ子だから」

「そう、だよね……一人っ子、だよね」

 喜糸は一人っ子。それは小助も知っているし、本人もそう言っている。

 だが何故口に出すとこんなにも違和感が芽生えるのだろう。

 口に手を当て悩む小助を喜糸がまた悲しそうな目で見る。小助は慌てて喜糸の頭を撫でた。

「多分その時から具合が悪かったんだよ。実は先週からずっと学校もお休みしてて」

「えっ勝くんが?」

「うん。だから喜糸の事怒って朝迎えに行かなかったんじゃないんだよ」

「…………そう、なんだ」

 まだ納得しない喜糸に無理矢理笑顔を作ってみせる。絶対に笑顔が歪んでいるのは分かっているが、これ以上はどうにも出来ない。普段から愛想笑いすらしないからきっと表情筋が死んでいるのだ。今度から笑う努力をしてみようと思う。

「勝ね、インフルエンザなんだ」

「えっ」

「実は俺も先週一杯お休みしてて、もしかしたら同時期に菌貰っちゃったのかもしれないね」

「……」

「勝は俺の少し後に病気になっちゃったから、今日もまだインフルエンザの菌が勝の体の中に居るのかも。喜糸に移っちゃったら大変だから、勝に会うのはまた今度でも良いかな?」

「……インフルエンザ」

 喜糸が心配げな目で勝の家のドアを見上げた。そして何度か迷った仕草をした後、漸く納得して小助を見た。

「帰ります」

「うん。また遊んでくれる?」

 また遊ぼう、ではなくそう聞く。すると喜糸はぽかんと口を開けた後、にこりと笑った。

「うん」

 小走りで駆けて行く喜糸の小さな背中を見てから、小助は今度こそ迷わずインターホンを鳴らした。三回目のコールで漸く勝が出る。

「…………なに」

「こんにちは。プリント持ってきたんだ」

「………郵便受けに入れといて」

「後話しもしたい。玄関でも良いから入れてくれない?」

「……俺は何も話したくない。いいからもう……」

「喜糸ってさ、本当に一人っ子だったっけ」

 ブチン、とインターホンが切れた。

 やばい怒らせたかと思っているとドアの奥から物を倒す音と壁にだろうか、激突する音が聞こえ、小助は本能的に数歩身を引いた。そして鍵が壊れるのではないかと思う程の強引さで外されると、勢い良くドアが開いた。

 風圧で小助の前髪が揺れる。

「小助助けて!」

 叫んだ勝が靴も履かずに飛び出すと小助の肩を掴んだ。思った以上の力に、思わずその手を払いのけたくなる。だが、小助は耐えた。

「誰も、信じてくれなくて!」

「うん」

「こんなに、はっきりしてんのに!」

「うん」

「でも、俺も思い出せなくて……」

 勝の後の席。きっとその事を言っているんだと思った。

 今にも泣きそうな勝が縋る様に小助を見た。その痩せこけた頬が僅かに影を作っている。

「助けてくれよ小助! 俺……俺もいつか、いや、今すぐアイツみたいに消えるかもしれない! 俺、俺……死にたくない……死にたくねぇよ!!」

 勝は遂に泣いた。先程の喜糸よりもわんわん泣いて、膝を折って小助の腹に顔を押し付けた。その時の小助はただ、しゃくりあげる肩に手を置く事しか出来なかった。

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