5-後
さて、相談は終わりだ。ここに折角朝子が居るのだからもっと違う話しもしたい。
朝子のカップにお茶を注ぎ足しながら今更気になった事をなんとなく聞いてみた。
「そういえば今回はどういうお話なんですか?俺修羅場の時にしか手伝わないから今回のはまだ見てないんです」
小助はまだ十一歳だが、実はこっそりとーーといっても楽太郎の漫画に関わる人で知らない人は居ないのだがーー楽太郎の漫画を手伝っている。
勿論手伝うと言ってもプロの仕事に小学生が手を出すわけにはいかないので、消しゴムをかけたり写植を貼ったり、夜食を作ったりドリンクを用意したり等、誰にでも出来る事しかしていないのだが。
「あー、今回ね。プロットに行き詰まったのが信じられないくらい不気味な話しになったよ」
「それもこれも槇二さんの御陰です。いつもありがとうございます」
「いえいえこちらこそ。旦那が相当物申した様で」
がははと笑う朝子は、実は担当編集者槇二の妻なのだ。しかも結婚してからまだ二年未満の新婚ホヤホヤ夫婦。実はこの二人を引き合わせたのが楽太郎なのだが、当の本人は「ちょっと失敗だったかな」と後悔している。
というのも槇二は東京、朝子は岩手と結婚翌日から早速遠距離を決め、新婚旅行もしないまま仕事に没頭している。ただ小助から見るとたまに電話で話す槇二が朝子の事を、そして朝子が槇二の事を楽しそうに、幸せそうに話してくるので何も心配はしていない。寧ろ遠距離でも切れない二人の絆が羨ましかったりする。
「一応父さんからは幽霊ものだって聞きましたけど」
「そうなんだけど、今回のはある意味特殊かな。サイレントだし、ラクタロさんがこれまで描いてきた漫画の中でもかなり珍しい方だと思う」
「珍しい……」
「例えばね、居るの。そこに」
朝子が勉強机の下を指差す。勿論例え話なので居る筈はないのだが、思わず振り返って確認してしまった。
「表向きは悪い事をして数年間刑務所に入ってた男が、出所してから罪を償い続けて最期は幸せな顔をしながら息を引き取るって話し」
「確かに珍しいですね。父さんの漫画の主人公、大抵は発狂するか死んじゃうかのどっちかなのに」
「まぁだからこそ今回のが不気味に見えるんだろうね」
「成る程、ギャップですね」
「うん。って早速結論から言っちゃうと、その霊は主人公が若い頃に虐待して殺してしまった娘の霊なのよ。んで、主人公が出所してからは幽霊らしく毎日着いて回るんだけど、その方法が、ちょっと」
「ちょっと?」
「霊は主人公本人には決して憑かず、必ず狭い所からジッと主人公だけを見てるの。しかも日に日に成長するもんだから段々苦しそうになってきて、しまいには体の骨があちこち折れちゃったりするんだけど、それでも止めない。常に体を無理矢理折り曲げてそこに居るの」
こんな感じ、と言って朝子は自分の体を小さく折り畳んで首を曲げる。少し顔が苦しそうなのは体が固いのと、トマトの食べ過ぎである。
「もし何かを落として机の下にいるその子と目が合ったら、ビックリする所の話しじゃないですね」
「だよねだよね。流石のあたしも失神するかも。でも、主人公は決して気付かない」
「目の前にいるのに?」
「そう。サイゴまで」
「サイゴって、“最期”ですか? 人生の」
「寿命をきっちり満了して老衰した主人公の棺桶の中に最期は一緒に入る。無惨な姿のままで。いやーあれは怖いね。死んだ後どんな仕打ちが待っていることやら」
「そう考えると怖いですね」
「とか言ってあんまり怖くないんでしょ。朝子さんは騙せないぞ」
酷く残念そうに言う朝子の顔を見て少し申し訳なくなった。
確かにホラー作品に携わっている者としてはここは怖がって欲しい所だろう。小助だって楽太郎の漫画を読んだ人が「つまんねー」と言おうものなら非常にショックを受ける。
だが、小助はその人達の気持ちが正直分からなくもない。
「すみません、ホラー作家の息子なのにオカルトに興味なくて」
「本当だよー。嘘でも良いから怖がってくれないとラクタロさん悔しがるよ」
「お話は面白いと思うんですけど、産まれてからずっと見てきたせいですかね。ビックリ要素も残酷なのも平気なんです」
「あっちゃー環境のせいかー。でもさ、だったら小助はどうやったらびっくりするの?」
「うーん……」
驚く様な事。例えば最近だと夢に土曜日遊ぼうと言われた時は動揺するぐらい驚いた。でも朝子が求めるのは恐怖体験での話し。ホラー映画もお化け屋敷も楽しいと思えるが怖いとは思わない小助は果たして本物の幽霊を見たらどうなるのだろうか。きっとーーーーー
「とりあえず、オバケ関連でビックリする事はないですね」
人間とは弱い生き物である。
いくら決意して学校に行っても、丁度良く通学路で会ってしまった夢を前にすると足が竦んだ。
「……」
「……」
「……おはよう、ございます」
「おはよう」
「……」
「……」
「……先週は、ごめんなさ……」
「電話でも思ったけどさ、小松君何に対して謝ってんの」
「……えっ」
夢はむっつりと唇を尖らせながら前だけを向いて歩く。
「先々週は菅原君のせいで延期になったし、先週はインフルエンザで延期。どうせ延期させた事で謝ってんでしょうけど、それってどうなの? 本当に小松君だけが悪かったの?」
「……それは」
「延期になったのは嫌だったよ。だってすっごく楽しみにしてたんだもん。でも一回目はともかく二回目で一番悪かったのはあたしじゃん」
え? と小助の目が点になる。
「具合悪いの我慢させて小松君引っ張って、なのに途中『早くしろ』って急かして。もしこれであのままリボン鬼ごっこ始めてたら、あたしとんだ悪者になるところだった」
更に眉間に皺を寄せた夢だが、しばらくすると「あっ」と声を出して小助を睨んだ。
思わず仰け反ると夢が鼻を鳴らす。
「やっぱり小松君が一番悪い。具合悪かったなら早目に言ってよ。あたしを悪者にしたかったなら話しは別だけど」
「そっそんな事しないよ」
「なら本当に止めて。馬鹿」
「……ごめん」
「そもそもインフルエンザだって風邪と同じでちゃんと予防しなかったのが悪いんだから、これからは気をつけてよね! 席も隣りなんだし」
「……はい。……あの、さ」
「何」
「もしかして一回目が延期になった時、凄く怒ってたのって……」
「漸く気付いたの? なら言わせないで。また腹が立ってくるから」
「分かった」
一回目の事を思い出す。幹也に捨てられた白いリボンを、あの日小助は二度も諦めた。そして最後は探してくれている皆に対して「仕様がないよ」と言ってしまったのだ。だから夢は怒った。大切な親友との約束を破ったから。小助は京香に「大切にする」とはっきり明言したのに。
怒られている立場だったが、やはり夢は凄いと思い直した。もし夢の前に京香や友美、そして勝に会っていたなら延期させてしまった事だけを謝っただろう。本当に悪いのは体調の悪さを我慢した事や、リボンを諦めた事なのに。
「着いたら直ぐ、八重樫さん達にも謝るよ」
「そうして。特にキョウちゃんが一番小松君の事心配してたんだから」
「うん」
「あとコレ」
「ん?」
ズイッとこちらも見ずに差し出された握りこぶしの下に手を差し出すと、そこにポトンと赤いリボンが落ちた。
「あっ」
「まさか忘れてなかったでしょうねぇ」
「勿論忘れてないよ。無くしたかもって気にしてたんだ。ありがとう」
「お礼より先ず無くさない事を優先して」
「うん」
小助は手の中のリボンを指先で弄る。よく見れば赤いリボンには濃いシミがついていて、これは恐らく小助の鼻血だろうと直ぐに合点がいった。あとで綺麗にしようと決めて手提げ鞄の中に入れる。
そのまま黙々と歩いて下駄箱に着くと、夢は自分の場所ではなく男子の所で足を止めた。そして開いている下駄箱を見て溜息を吐く。
「……今日もお休みだ」
「どうしたの?」
「……勝君が」
「勝がどうしたの?」
「先週の火曜日からずっとお休みしてるの」
「…………勝が?」
小助も下駄箱を覗く。“千田勝”と書かれた下駄箱には上履きしか入っていない。いつもなら小助や夢よりも早く学校に来て遊んでいるのに。
ーー小学校六年間、中学校三年間、高校三年間、大学四年間。全部皆勤賞狙うから絶対に風邪移すなよーー
と、土日に遊んだ時に言っていた言葉が思い起こされる。
「インフルエンザじゃなくて?」
もしかしたら同時期に菌を貰ったのかもしれない。だが夢は首を振って靴を脱ぐ。
「腹痛だって」
「腹痛って……」
「可笑しいよね、勝君がそんな事で休むわけないのに」
「……うん。俺もそう思う」
腹痛だろうとなんだろうと、勝なら這ってでも学校に来る筈だ。
何か嫌な予感がするなと思いながら教室に行けば、京香と友美が小助に駆け寄ってきた。二人にもリボン隠れ鬼を台無しにしてしまった事、体調不良を言い出せなかった事、そして白いリボンを諦めてしまった事を謝ると「そんな事よりもう大丈夫!?」と凄く心配してくれた。勿論大丈夫だと返す小助の隣りを夢はツンとした態度で通り過ぎ、鞄を置くとまた戻って来る。
「あっそうか、ユウ今日日直だっけ。一緒に行こうか?」
「いいよ。キョウちゃんは小松君とお話ししてて」
「えっいや、その、あたしは別に……」
「あれ、佐々木さん今日日直?」
「うん」
長く休んでいたからだろう。早速ボケてしまった。
「なら俺もだよね。俺が日誌取りに行くよ」
「いらない。てか休んでる間にボケたんじゃない?」
「ボケって……」
人から言われると辛い。
酷い、と言いたげな目で見れば肩を竦め、黒板横の小さな掲示板に向かった。そして常時貼ってある座席表を指す。
「女子のここ、一個空いてるでしょ。だからあたしと小松君が日直になるのはもうないよ。寧ろこれまでどうやって日直が一緒だったのかが不思議」
「不思議って……」
小助はその座席表を見る。
夢に指されたそこは確かに空欄だった。いや、よく見ればそこだけではない。中途半端に全部で六つの席が空欄になっている。
「勝の後も空欄だ」
「何突然。早く休みボケ治してよ」
と言われても小助は妙にもやもやとする頭を捻る事しか出来ない。
ーー何でここ、空欄なんだろうーー
HR前、休憩時間、放課後。小助は真っ先にこの席に向かった。ほとんどはこの席の横で立っていただけだけど、朝は少しだけ座って、勝と話しをして、そして席を立って、登校してきた持ち主に返した。
「しっかりして。ここ、元から誰もいないじゃん」
はて、小助は一体誰に席を返していたのだろう。




