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リボン隠れ鬼  作者: 作空うむき
10/20

5-前

 インフルエンザ。

 それが小助に診断された病名である。

 泣かせてしまった夢に対して碌に謝れない小助を不信に思った京香の勧めで保健室に行くと、そこで計った体温はなんと三十八度を越えていた。

 一度ならず二度までも。

 リボン隠れ鬼がまた小助のせいでご破算になってしまった。

 それがもう五日前の事。

「あー………学校行きたくない……」

 アシスタントの姉に介護をしてもらった御陰で今は熱もなく、怠さもなく、喉の痛みも頭痛もない。唯一長引くのはこの止まらない鼻水のみ。流石にこれを理由には学校を休めない。

 つまり魔の月曜日なのに登校しなくてはならないのだ。

 ーー……勝に会いたくないなーー

 勝はまたあの冷めた様な視線で小助を見るだろうか。

 ーー何が視線を感じた、だーー

 ゾクゾクと背筋を這ったあの悪寒、冷や汗、ボーッとする頭、鼻血、全てがインフルエンザの仕業だった。

 そもそもあんな目をして小助を見る人間がどこに居る。

 その場ではっきりと「何か居る」と言わなかったのは不幸中の幸いであるが、勝は確実に小助の事を変に思っただろう。若しくはもう話したくないと思っているに違いない。

 だが小助が今一番心配しなくてはいけないのは、女の子である夢を泣かせてしまった事だ。

 一応熱が下がった昨日の夜に電話を掛けて謝罪したのだが、夢は許すでもなく、心配するでもなく、怒り狂うわけでもなく、かといってもう一度泣くでもなく、ただ一言こう言った。

 ーーいいよ、もう絶対に誘わないからーー

 まだ罵られた方がマシだったかもしれない。

 折角夢の計らいで放課後を楽しむ事も出来たし、休日も子供らしく楽しめた。そして勝と友達になる事も出来たのに小助はそれら全てを無下にした。全てが彼女の御陰だったのに。

「学校……」

 開いたノートの上に突っ伏す。

 ーー行って、どうしようーー

 謝っただけで全てが解決するのだろうか。元通りになるのだろうか。また話しが出来るのだろうか。

 体勢を変えた事で出てきた鼻水をヤケクソ気味に擤むと、ドアが強めにノックされる。小助は慌ててちり紙を捨てた。

「はい」

「失礼しやーす! デリバリー朝子です」

「すみません朝子さん」

 ドアをこちら側から開けると詰まった鼻を刺激する程濃厚なトマトの匂いがした。その犯人はにっかりと笑ったアシスタントの盛岡朝子もりおかあさこが持っているお盆の上。朝子はそれを小助の目の高さに持ち上げた。布巾を被せた炊飯器の釜と空の小皿、そしてペットボトルのお茶が乗っている。

「一緒に食べよーぜ」

「父さんは?」

「あらま恋しーの?」

「いえ、ちゃんと休憩入れてるのかなと思って」

 今回はプロット以降の進みが非常に良く、いつもより早めに朝子に来てもらった。だがいくら時間に余裕があるとはいえ、集中するとトイレにも風呂にも行かなければ食事も疎かになる楽太郎の事だ。まさに今も作業台に齧りついているに違いない。特に今回は小助というストッパー役がいないのでーー締め切り前なので小助は二階の自室に完全隔離状態だーー、集中し続ける楽太郎が今どんな状態なのかが気になる。

 そわそわとドアから廊下を覗いていると、がははっと笑った朝子が片手でお盆を持ちーー釜もペットボトルも乗っているのにーー小助の頭をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。

 そして小助をそのまま部屋の中に押し込み、お盆を床に置くと簡易テーブルを引き出す。

「さっきおにぎり詰めて来たからだいじょーぶい」

「そうですか。それは……」

 大変だ。朝子のおにぎりは雑巾を絞る様にして形を整えるので凄く長い。そして固い。

 朝子に言わせてみれば「食べてる時に崩れるの、あれ腹立つじゃん」という理由でご飯を固めているそうなのだが、最初の一口を銜えても決して折れないおにぎりを、小助は今まで一度たりとも見た事がなかった。唯一救いなのは具が均等に入っている事と、意外にも噛めない固さじゃないという事だろうか。

 とりあえず心配する事は止めにして朝子の手伝いをしてから向かい合わせに座る。そして手を合わせ「いただきます」と言った。

「ててててーん。トマト雑炊ー」

「すごい、トマトしか見えない」

 布巾を外した釜にはびっしりとトマトが入っていた。皮むきもきちんとされていて、見た目は味が染みたホールトマトそのもの。凄く美味しそうである。今はまだトマトしか見えないが、雑炊ということだから米も入っているのだろう。

 朝子に渡されたお玉で掻き混ぜてみた。が、

「あれ?」

 一合どころか、一粒も米が見えない。

「朝子さん」

「早く食べよ、早く食べよ」

「雑炊って言いませんでした?」

「雑炊だよ。早く食べよ」

「ならお米は?」

「あぁトマトに置き換えたの。こういうの置き換えダイエットって言うんでしょ? 早く食べよ」

「……そうですね」

 もう何も言うまい。トマト雑炊改めトマト煮込みはブイヨンベースでとても美味しかった。ただ当分はトマトを食べなくても支障はないだろう。

 五合炊きの釜にびっしりと入っていたトマトだが、そのほとんどは夕飯になるわけではなく、朝子の胃の中に押し込められた。量にして四合以上は確実に食べている。だというのに床の上で大の字になった朝子のお腹はさほど膨らんでいる様には見えない。

 ーー父さん“妖怪朝子”ってタイトルで漫画描けばいいのにーー

 だがR12の漫画ではもれなく人もバリバリ食べそうだ。そんな朝子は見たくない。生々しくて。

 部屋に置いておいた紙コップにお茶を注ぐとテーブルに置く。

「食べて直ぐに寝ると太るんですよ」

「大丈夫大丈夫」

「それに逆流性食道炎っていう病気にもなるんですから」

「だからだいじょーぶ。直ぐに出……」

「朝子さん」

 すっと目を細めて言うと、顔が見えていない筈なのに朝子は直ぐに体を起こした。そして目の前に用意されていたお茶をちびちびと飲む。おまけにちらちらと小助の顔色を伺うので、思わずくすりと笑ってしまった。

 兄弟でもない。夫婦でもない。ただの漫画家とアシスタントの関係なのに、どうして細かい仕草が楽太郎と似ているのだろう。

 なんだかすっと気持ちが軽くなった。

「朝子さん」

「はい何でしょう」

「学校に行きたくない時はどうすればいいですか?」

 朝子は地方で頑張る漫画家達の応援隊。楽太郎の他にも数人のアシスタントもしていて、こうしてゆっくりしていける事は非常に珍しい。だが自分の姉に小助の介護を頼んでくれたり楽太郎のご飯を用意してくれたりと、常に小松家の事を気にかけてくれている。

 それに母が亡くなった時、幹也達に虐められた時、朝子は何も言わず、何も聞かず、小助から話してくれるまで毎日料理を作り、小助を取材の手伝いと称して色々な所に連れ回し、今後楽太郎を支えられる様アシスタントの極意も教えてくれた。そんな朝子を小助は年の離れた姉の様に慕っている。

 なので相談するときはもっぱら朝子にしていた。

「友達……何人かは友達とは言えないかもしれないですけど、その人達に嫌な思いをさせてしまって」

「なんだい喧嘩かい? 物理?」

「いえ、遊ぶ約束してたのに全部棒に振っちゃったんです」

「あれまそりゃマズい」

 ぐさっと心臓に太い杭が刺さる。その痛みから思わず眉を寄せてしまうと朝子はにししと笑った。

「小助はさ、あたしの事嫌な奴だーって思った事ないの?」

「どうしたんですか急に」

「質問には質問で返さない。ほら答えなさいよ」

「たまに下品な事言うなとは思いますけど……でも俺は朝子さんの事好きです。大好きです」

 隠しても仕様がない。はっきりと言えば朝子は数秒間口をあんぐりと開けた後、豪快に笑った。腹を抱えて後に転がる。その時蹴ったテーブルからお茶が倒れそうになって慌てて持ち上げた。

「朝子さん笑うなら周り見て!」

「ひー! だって嬉しくてぇ!」

「嬉しいなら笑わないで下さい!」

「ごめんごめん。だってさ、あたしいっつもこんなんだからぁ」

 目元を拭いながら朝子は起き上がって片方の膝を立てる。

「あたしの事嫌いにならないの、家族と旦那とこの小松家だけだよ。ご存知の通りこんな性格だしね。礼儀正しくすんのも苦手だから男受けも女受けも悪くて」

「それは否定しません」

「否定してよ、悲しくなる。まっ、そんな具合だから学生の時に友達だと思ってた子とは疎遠になっちゃったし、この年で結婚式も姉貴と従兄弟のしか行ってないし、職場だっていくつ変えたかも思い出せない。極めつけには会社に限らず親友だと思ってた人にも一生顔見せるなって言われたこともあるよ」

「そう……なんですか」

 驚いた。こんな話し、初めて聞いた。

 常に明るい朝子は過去に何があっても直ぐに立ち直り、前だけ見ていく人なんだと思っていた。だが昔話をする朝子は表情こそ笑ってはいるがどこか辛そうで、小助の胸はギュッと苦しくなる。

「今はネットのオカルトサークルで知り合ったラクタロさんがアシスタントの仕事教えてくれたからフリーで働ける様になったけど、もし出会ってなかったら家に引き蘢ってこーんなおデブになってたかもね」

 こーんな、と朝子は限界まで両腕を広げた。骨が浮く程に細い朝子がそんなに太るものなのだろうか。想像すら出来ない。

「まっ、人付き合いなんてそんなもん。学生の頃からずっと付き合い続ける事もあれば、社会人になってからぽっと出て来る事もある。もしかしたら老人ホームで出会うかもしんないね」

「でも……」

 小助は今近くにいる彼らと今を楽しみたいのだ。小助にとってはそれ程に嬉しい出会いだったから。

 勿論それが小助の独りよがりだという事も自覚しているし、付き合いを続けるのを決めるのも彼らで、小助だけでは出来ない事も分かっている。

 一人では駄目なのだ。互いに思い合わないと関係は結んでいられない。

 ーー分かってるけど……ーー

 この間までの楽しかった日々を思い出ししょんぼり頭垂れていると、朝子はまた小助の頭を豪快にかき回した。

「さっきの質問。あたしの事嫌にならないかってやつ」

「あれが、なんですか?」

「あれが答えさ」

「答え?」

「そう。あたしがいくら小助に変な事しても、言っても、小助は何も言わない。好きでいてくれる。だからあたしは小助とご飯が食べられる。次も一緒に食べようねって約束も出来る」

「はい」

「つまり何をされても気にしない奴ってのは必ずどっかにいるもんだ。だからあたしは結婚出来たし、この小松家で良くしてもらえる」

「……はい」

 朝子の言っている意味が凄く分かる。

 だがそれを納得してしまえば彼らに嫌われても仕様がないと思わなければならない。次の出会いをまたなければならない。

 思い描いた世界ではない世界をそう易々と受け入れられるだろうか。更に俯いていると、朝子は小助にお茶を差し出した。

「難しいね。あたしも難しい。まっ月曜日に挨拶してみるこった。大体はそれで分かる。小助の運命や、如何に」

「……なんだか余計に行きたくなくなりました」

「あら嬉しい。朝子さんドSだからあら嬉しい」

 がははと笑う朝子にジト目を送る。だが直ぐに小さく笑った。

「月曜日、学校行きます」

「あいよ」

 もしこれが楽太郎なら心配して学校まで着いて来ようとするだろう。もしこれが担任のオノシンならば大丈夫だ気にするなと言って背中を叩いただろう。

 だから相談するなら朝子が良い。心配も励ましもしない。「現実ってこんなもんよね」と言って笑ってくれるから。

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