第20話 近藤勇、刀を買う
近藤勇が近藤周助の養子となったのは、嘉永二年の年であった。
天然理心流宗家は初代・近藤内蔵之助から始まるが、二代目以降は養子を迎えて今日に至っている。
それまで道場は薬研堀にあったそうだが、甲羅屋敷町に宗家が移されたのは天保十年、三代目・近藤周助によるものだったという。
そんな近藤周助もこの年、六七歳。
稽古場に姿を見せることなくなったが、まだ腰も頭もしっかりしていた。
ただ、最近の口癖は――。
「勝太よ。俺は試衛館が潰れねぇか、心配でならねぇ」
これには頭が痛い、勇である。
いまだに勇をかつての名で呼んでくるが、勇とて試衛館の状況は十分わかっているのだ。
だがいかんせん、門弟が集まらない。幕臣の子弟が来ればいいが、彼らの眼中に天然理心流は入っていないだろう。
ゆえに勇は彼らの入門など端から期待していないが、四代目を継ぐ身となれば天然理心流を多摩の田舎憲法と揶揄する者の横っ面を、ガツンと叩きたくなる。
「そのうち奴らに、天然理心流を認めさせてやりますよ。義父どの」
周助に試衛館のことを心配されるたびに、勇はそう答える。
江戸市中に点在する諸藩の剣術指南役となれば、勇の言葉は妄言ではなくなる。
剣術指南役は家柄ではなく、浪人であろうと剣の腕が認められれば、家格に関係なく仕官が可能だという。
だが勇は、士分の出ではない。
近藤周助の養子となって十年、たとえ天然理心流の名が知られるようになっても、その道場主の出自を気にする者がいるかもしれぬ。歳三なら、農民上がりのどこがいけないというだろうが、勇には試衛館の命運が託される。
そしてこのとき、勇を駆り立てる話がやってきたのである。
※※※
九月――。
庭を吹き抜ける風は、もう秋を告げていた。
空にはいわし雲が浮かび、庭では蝉に代わり秋虫が鳴き始めている。
歳三は久しぶりに発句に励もうと豊玉発句集を文机の上に開いた。総司がいれば覗かれる恐れがあるが、今は外出中であった。
総司はこの句集を面白いと笑うが、どこが笑うほどなのか、歳三には理解できない。
だが墨をすろうとした瞬間、すっかり聞き慣れた足音に、歳三の手は止まった。
危険を察する能力が育ったのは、豊玉発句集を覗いていく総司のお陰かもしれない。
「なにをしているんです?」
障子が開け放たれたその先の廊下で、総司が口角を上げて立っていた。
寸前の所で句集を文箱にしまった歳三は居住まいを正した。
「なにもしちゃいねぇよ。用がねぇなら、出て行け」
「浅草でお饅頭を買ってきたので、どうかと思いまして……」
総司はちゃっかりと、歳三の側に座り「お茶はないので?」と聞いてきた。
「お前な……。ねぇよ」
秋風が軒下の風鈴を揺らし、庭の落ち葉が風に浚われていく。
「ところで近藤先生が、刀を買われるそうですよ」
「別にいいんじゃねぇか」
総司が饅頭を食べているそばで、額に落ちてきた髪をかき上げていた歳三だったが――。
「虎徹ですよ? 近藤先生が買われる刀は」
「ちょっと待て。虎徹って、《《あの》》虎徹か?」
虎徹――、正式には長曽根虎徹という銘刀である。
刀は安価で無銘のものなら金二分、新品なら二五両、銘刀となると百両以上はするだろう。それだけの金子があれば買うことに異論はないのだが。
総司いわく、二日前に俎橋の刀商が近藤家にやってきたという。
「お前、立ち聞きしてたのか?」
「してませんよ。隣の部屋で武芸書を捲っていたら聞こえてきたんですよ。近藤先生は、内緒話は無理ですね」
勇の声の大きさを、総司はそういって笑う。
その刀商は近藤周助が試衛館を創設してからの馴染みらしく、勇はすっかり刀好きになったらしい。
――四代目となられるからには、お腰のものも立派なものでございましょう。
その刀商はそう言ったという。
客をその気にさせるのは商売人の専売特許だが、問題は勇が手に入れようとしている長曽根虎徹である。
「近藤さんは、虎徹の噂を知っているのか?」
「さぁ、どうでしょう? 実際にその虎徹に銘が刻まれていればいいんですけど」
歳三が不安なのは、長曽根虎徹の贋作が多いことである。大概その贋作には銘は刻まれておらず、切れ味と長曽根虎徹という名前だけで買う人間がいた。
歳三の嫌な予感は夜まで続き、勇の部屋では真新しい刀が刀掛けに収まっていた。
「――新しい刀を買ったのか? 近藤さん」
「ああ。見るか? トシ」
勇は嬉しげに、虎徹を歳三に寄越してきた。
歳三は静かに鯉口を切り、指で鞘から少し押し上げた。
「どうだ? トシ」
「……いい刀だ」
歳三は鞘に戻して、勇に返す。
「やはりお前もそう思うか?」
「ただし、他のやつらに見せるんじゃねぇぞ。刀は武士の魂、それを容易く見せるのはどうかと思うぜ?」
はたして、勇の長曽根虎徹は本物だったのか。
翌日になって総司がうるさく聞いてきたが、歳三は答えなかった。
歳三も、勇を気持ちよく乗せることにしたのである。
真実は、俺の胸の中でいい。
勇の腰に差された虎徹をみるたび、歳三はそう思うことにした。
それは、近藤勇への熱い思いからであった。
だが、刀の話にはまだ続きがあった。




