第17話 意外な黒幕
「毎度あり~」
日本橋近くの蕎麦屋の暖簾をくぐった二人の男の背後に、蕎麦屋奥から声がかかる。
午の九ツ半(午後一時)――、陽はまだ西へ傾く気配を見せず、真上から近いところで、屋根瓦も白壁も、人の肩も、容赦なく照らしている。
「新八さん、確かこの辺りだよな?」
隣にいた男の連れが、周りを見渡した後、確認してくる。
空は江戸の町を覆うように高く、青かった。
雲は少なく、ところどころに薄い白雲が浮かんでいる。
江戸本町の大通りには、その陽射しが斜めに差し込み、道の上に濃い影をつくっている。
間口の広い商家が、通りの両側に軒を連ねている。
黒く煤けた格子戸。磨き込まれた板敷き。壁の土蔵。軒先から垂れ下がる紺暖簾。
屋根の上には幾重にも瓦が重なり、ところどころに草が生えている。陽を受けた瓦は鈍い銀色に光り、軒下の暗がりとの境目がくっきりとしていた。
この日、永倉新八と藤堂平助は江戸本町まで来ていた。向かったのは、口入れ屋である。
江戸本町は、江戸城大手門の真東に位置するとともに、諸街道の起点である日本橋に隣接し、更には常盤橋から浅草橋に至る通りを挟んで位置し、そこから至る本町筋には呉服商や薬種問屋等の豪商、土蔵造りの薬種問屋が軒を連ねる場所だった。
通りは老若男女が行き交い、その間を縫うように籠かきや、天秤棒を担いだ棒手振り、荷車が通り、店の一角には荷下ろしに立ち会う店の奉公人もいる。
ふたりが口入れ屋の暖簾をくぐったとき、帳場にいた主らしき男がこちらに気づいて顔を上げた。
怪訝そうに眉をひそめ、やや警戒気味なその表情に、平助が口をとがらせた。
「怪しいやつじゃねぇってんの」
「平助、聞こえるぞ」
新八は平助を諫め、刀を腰から抜くと上がり框に腰を下ろした。
「お侍さま方、ご用件は?」
低姿勢の主にむけて、新八は本題を切り出した。
新八たちが口入れ屋にいるのは、歳三の指示だった。
昨夜、新八と平助のふたりは歳三の部屋に呼ばれた。
ここ一ヶ月か二ヶ月のうちに、浪人を集めている大店がないか、仕事を求めにいく振りで聞き込めという。
「――用心棒のお仕事でございますか……?」
口入れ屋の主は帳面を捲りつつ、眉間に小さなしわを刻んでいた。
昨今の人斬り騒ぎで、用心棒を雇う店はあるかもしれない。そんな新八の期待を、主はあっさりと否定した。
浪人を募っている店はないという。
「某の知り合いが、用心棒の仕事を得たと聞いてきたのだが?」
これは、新八の嘘である。
「左様で。確かに、最近は物騒でございますから。他を当たられてはいかがでございましょう? 生憎ではございますが、手前どもの元には……」
新八の横で、平助が天井をなんともいえない顔で仰いでいる。
言いたいことはわかる。口入れ屋の暖簾をくぐったのは、この店で五軒目だからだ。
「土方さんの読み、外れたんじゃね?」
平助の言葉に、新八は返事はしなかった。
そもそもなぜ歳三は、浪人を集めている店を探しているのだろうか。
新八たちが聞いていたのは、人斬りたちを探しだし、逃げの策を断って叩きのめすことだった。同時にひとりが自身番に走り、やってくる町方より先に退散する手筈となっていた。
「まさか……」
「どうしたんだよ? 新八さん」
新八の頭に浮かんだもの――。
「平助、あの人の読みは間違っていないかもしれん……」
※※※
市谷・甲羅屋敷裏の試衛館は、いつもと変わりはなかった。
木刀がぶつかり合う稽古の音が井戸端まで響き、汗を流すために近藤勇が稽古場から出てくる。どうやら、朝稽古は終わったらしい。
彼より一足先に井戸に来ていた歳三に、勇は口を開いた。
「久々に、いい汗をかいた」
「そりゃあ、よかったな」
「そういえばここ数日、例の人斬りは出ておらんな。ま、出ないことに越したことはないが」
勇のいうとおり、人斬り騒ぎは起きていなかった。
だが歳三の中では、彼らに対する憤りが燻ったままだった。
「安心はできねぇぜ、近藤さん。やつらが捕まったと聞いたか? やつらはまだ、首が繋がったままだ」
「町方とて馬鹿ではあるまい? 日本橋での探索の数を増やしているそうだ。奴らは江戸は出られまい。もはや逃げられんよ」
勇は楽観的だが、歳三はそんな気にはなれなかった。
「その手負いの虎が、一番怖ぇんだよ」
歳三は井戸に背を向け、部屋に入った。
「――いったい、どこにいるんでしょうねぇ?」
畳に座り両腕を組んだ歳三の背後で、総司の変わらぬ声がかけられる。
「なにが?」
「例の人斬りに決まっているじゃありませんか。これでは、土方さんの策は無駄になります。肝心な人斬りが出て来ないのでは」
「黒幕が誰か、早く掴んでおけばよかったと後悔しているぜ」
歳三は唇を噛んだ。
「おや、黒幕がいたんですか?」
「たぶん、こいつだ」
歳三は畳に広げていた紙面に、総司の視線を導く。
それは歳三が作成したものだが、主が襲われた店を配置していくなかで呉服問屋ばかりなのに気づいた。
ここからまだ被害に遭っていない残り二軒の大店を加え、襲われた主の店を消していき、残ったのが江戸本町の呉服問屋・田島屋と、浅草上平右衛門町の桝屋だったのである。
「――呉服問屋・桝屋……? あの、浅草上平右衛門町の大店・桝屋ですか?」
総司が瞠目する。
「原田がこの店の裏木戸から入っていく、頬に刀傷のある浪人を見たと言ってきた。なぜ、あの野郎が呉服問屋なんぞに用がある? それに、人斬りに襲われたのは皆、呉服問屋の主だ」
頬に刀傷のある浪人といえば、藤倉誠之助だと歳三は踏んでいる。
「つまり枡屋が浪人たちを使って商売敵を消していた、と? 桝屋は将軍家御用達の呉服問屋ですよ?」
将軍家御用達商ともなると名字帯刀を許されるものもおり幕府の庇護の元、品などを納入、御用金を調達するなど幕府の財政にも深く関わる。
「証拠はねぇが、間違いねぇ……」
町の噂を聞けば、桝屋が御用商人となったのは、つい最近のことらしい。もともと浅草上平右衛門町で繁盛していたそうだが、御用商人となったことで、さらに儲かっているという。
「ですが妙ですよ、土方さん。襲われているのは呉服問屋の主ばかりじゃありません。侍を斬る理由が桝屋にあるようにはみえませんよ?」
問題はそこなのである。
しかも手口が違う。
呉服問屋の主たちは横から斬られ、侍たちは袈裟斬りされているのだ。おそらく袈裟斬りをしたのは、狐面の男だろう。この男の目的がわからないのである。
だが、人斬りたちが気配を消したために、歳三の計画は実行には至らなかったのである。
歳三が踏み入れた江戸は、大勢の人で賑わい活気に満ちていた。
そう、最初のころはそう見えていた。
だが、その影に潜む裏の顔は知らなかった。
表通りから一本裏へ入れば、陽の届かぬ細い路地があり、その奥には、誰が住んでいるのかさえ判然としない家がある。昼間だというのに戸を固く閉ざし、軒先に吊された風鈴だけが、風もないのにかすかに揺れている。
将軍のお膝元という大きな町には、表向きには見えない細い糸が幾重にも張りめぐらされていた。善人ばかりとは限らない。
昨日まで忠義の士と思われていた男が、実は密かに金を受け取っていたり、ただの小間使いと思われていた女が、誰にも知られず書状を運んでいたりする。
一枚の紙切れが、人の命を奪うこともある。一言の噂が、家を潰すこともある。
そして、誰かが何気なく口にした名前が、翌朝には死体となって堀端に浮かぶことさえある。
夜になれば闇に染まる江戸の町。
闇が濃くなるほど、人の顔は見えなくなる。見えなくなればなるほど、陰謀は動きやすい。
それでも、必死に生きている人間はたくさんいるだろう。
世の中や身分のせいにせず、必死に。
おそらく、狐面の男はまたこの江戸の町に現れる。
そして、包囲の手が狭まり、追い詰められつつある他の人斬りたちも。
そんな予感がする、歳三であった。




