第11話 その名は岡田以蔵
八月(新暦九月)となり十日___、江戸の町はまだ暑かった。
大通りの白い土埃が、照り返す日差しの中で、ぼんやりと霞んでいる。
軒先には葦簀が掛けられ、商家の戸口では、小僧が打ち水をしている。
蝉が鳴いていたが、耳をつんざくほどの勢いはない。鳴き疲れた蝉が、どこか木の高いところで、途切れ途切れに声を落としている。
総司は店の縁台に腰掛け、西瓜に齧りついていた。
近藤勇の使いで小野路村の小島鹿之助を訪ね、その帰りである。
空を見上げれば薄い雲がところどころに浮かび、その向こうに、どこか白っぽい空が広がっている。
暑さ凌ぎと小腹を満たし、総司は立ち上がると腰に刀をねじ込んだ。
鰻の焼かれる匂いに吸い寄せられかけたが、これ以上寄り道はできない。
掘割に架かる小橋を渡ろうとしたときだ。
数人の浪人が、女に絡んでいた。
(最近、あんなのが増えたなぁ……)
この江戸に浪人は何人もいるが、非道に走る者も多い。
「後生でございます! お許しくださいまし」
「ただ酌をしてくれと言っているのだ」
「女、逆らわぬほうが身のためだぞ。悪いようにはせぬ」
完全な脅しである。
おそらく酌だけはあるまい。浪人たちが女性を引っ張って行こうとしている先には、出合茶屋(男女、密会の場)がある。
総司は迷わず、一歩を踏み出した。
「お取り込み中のところ、すみませんが」
「なんだぁ? 貴様。関係ないものはすっこんでいろっ」
背後に総司に立たれた男は訝しげに目を細め、凄んできた。
「そうはいきません。これから乱暴狼藉する人を放っておくなど」
「なに……」
男たちが鯉口を切る。
「あ、図星でした? しかも、刀をこんな往来で抜くなんて、迷惑ですよ」
総司の軽口は、彼らを更に刺激したようだ。
話が通じる相手ではないことは、総司とて百も承知である。
「我らを愚弄するか!? 若造っ」
「正直にいっただけなんですけどねぇ……」
男の刀を受け止め、力を込める。
だが総司といえど、多勢無勢である。
そんな総司に、加勢に入った男がいた。
「こいつら、おまんの知り合いかえ?」
その男は、身なりからして下級武士らしかった。
「いいえ、いま会ったばかりですよ。それに昼間から女の人に無理強いする人なんかとは、知り合いになりたくないですねぇ」
総司の言葉は更に浪人たちを煽ったようで、刀を振り下ろしてきた。
「貴様……っ」
加勢に入った男が、斬りかかってきた男の剣を受け止める。
「わしの国なら、こんやつらは即刻首を刎ねられちゅうがよ。うちの殿様は、下士には厳しいやき」
男いわく、藩には重職につける上士と、重職にはつけぬ下士がいるという。男の藩主に対する言い方には、敬いにはみられない。
「殿様?」
「土佐藩主、山内容堂」
「あなた、土佐のかたですか」
「足袋なぞ許してもらえん郷士じゃ」
「ぐぁ……っ」
男の刀が見事なまでに、浪人たちに峰打ちを当てていく。
強い、と総司は思った。
浪人たちは悔しげに唇を噛み締め、こちらを見ている。
「まだやるが? わしは構わんき」
浪人たちは立ち上がるのがやっとである。覚えていろと捨て台詞を残し、一目散に逃げ出した。
「おかげで助かりましたよ」
「なんちゃあない。まっこと、たまげたちや。こん江戸に、あんなががこじゃんとおるとは。しかしおまんの剣、強かったのう」
「そちらほどでも。見たことがない型でしたねぇ」
「鏡心明智流じゃ。わしはいま、こん江戸で武者修行の身やき」
男の名は、岡田以蔵というらしい。
鏡心明智流___、初めて聞く流派に総司の興味が湧く。
試衛館には北辰一刀流の山南敬助、藤堂平助、神道無念流の永倉新八、そして出入りを繰り返している無外流の斎藤一がいるが、鏡心明智流の使い手はいない。
だがこの乱闘のおかげで、帰るのが遅くなってしまった。
勇なら笑って許してくれるだろうが、問題は歳三のほうだ。
なにせ怒鳴られる心当たりがありすぎるだけに、無言で睨まれた際はさすがの軽口も引っ込む。
その後、総司が試衛館の門を潜ったのは、巳の刻のことだった。
※※※
「昨晩も、人斬りが現れたらしい」
眉間にしわを刻みつつ、近藤勇が盃を口に運ぶ。
深夜___、軒下の風鈴が涼やかな音を立てている。
歳三は勇の酒に付き合いつつ、耳を傾けていた。
「斬られたのは、また侍か? 近藤さん」
「いや、斬られたのは、呉服問屋・大野屋の主だ」
「横浜で大稼ぎしたという、あの? じゃ下手人は、攘夷派の連中か?」
呉服問屋・大野屋は開国前までは普通の呉服問屋だったらしい。しかし横浜の港が開かれ異人が入ってくると、生糸が高く売れたという。
大野屋主は異人相手に商売をしていたようで、攘夷派にとっては許せないであろう。
「通りかかった者がその下手人を見たって話なんだが、そいつら天狗面をしてたってそうだ。お前を斬った狐面はいなかったらしい」
歳三に、手傷を負わせた狐面の男。
かなりの腕なのは間違いなく、一歩間違えば、歳三は死んでいたのである。
「近藤さん、もう無謀な真似はしねぇよ。少なくとも、不覚を取るようなやり方は」
「やつらを許せないのは俺も同じだ。だがな、トシ」
「あんたのいいたいことはわかっている。いまの俺たちにはなんの権利もねぇってな」
自分たちは、ただの剣客にすぎない。
非道だからといって人を斬れば、人斬りと同じ。火盗(火付盗賊改方)や奉行所の役人でもないものが彼らを捕まえることもできない。
勇の部屋を出た歳三は、稽古場へ向かった。
その足が止まる。
誰もいないと思っていた稽古場に、総司がいた。
「土方さんも、汗を流しに? 奇遇ですね。ちょうど相手が欲しかったんですよ」
歳三の姿を捉えた総司が構えていた竹刀を下げ、笑みをこぼす。
「誰がお前と。やらねぇよ」
「惜しいなぁ。ところで土方さん? 今日町で、面白い人に会いました。土佐からきたそうなんですが、その人の剣の腕が凄くて」
「まさか、人斬りのひとりじゃねぇだろうな? そいつ」
「岡田以蔵っていう人なんですが、そうはみえませんでしたよ。それに、彼らなら人助けはしないと思います」
総司いわく、浪人に絡まれている女を助けに入った際、加勢に入ったのがその男だという。
この江戸は、諸国からいろいろな人間がやってくるという。
諸大名は藩邸を建て、旅人もそれぞれの事情で江戸の地を踏むらしい。
だが人が集まれば、それだけことが起こりやすいだろう。
勇には無謀な真似はしないと言ったものの、彼らと会えば再び剣を交えることになるだろう。
歳三は手にした木刀を、まっすぐに振り下ろした。
※※※
鏡心明智流は二刀流、居合い術など多様な技術を特徴とする流派である。
江戸では北辰一刀流の玄武館、神道無念流の練兵館と並ぶ鏡心明智流の道場・士学館は、南八丁堀大富町蜊河岸(現中央区新富)にある。
土佐藩郷士・武市半平太は、この士学館の塾頭となっていた。
稽古が一段落し、井戸に向かったその足が止まる。
裏木戸をくぐり、門弟のひとりがやってきたからだ。
「___遅かったのう、以蔵。もう稽古は、始まっちゅうがよ」
半平太は、そういって以蔵に声をかけた。
同じ土佐出身で、ともに江戸にきた二人はこの士学館の門弟になった。
「ちと、ひと働きしてきたがじゃ。センセ」
以蔵は頭をかきつつ、笑みをこぼす。
以蔵こと岡田以蔵は、土佐にて半平太に師事していた。
「ここでセンセと呼ぶなとゆうちょるがじゃろ。ひと働きっちゅうがはなにしてが? おまんは血の気がちと荒いきに、心配でならんぜよ」
「浪人に絡まれちゅう女がいたがよ。もちろん、斬ってなどせんがよ。センセ」
「おまんが人助けかえ? 以蔵」
「ところでセンセ、そんとき面白い男にであったがじゃ。これがかなりの剣の使い手なんじゃ。わしは加勢に入っただけやき」
「そげなもんが、こん江戸にいちゅうが? 何処の誰じゃ」
「名は聞いちょらんがよ。けんど、あん腕と立ち合ってみたいと思うちゅう」
「いっておくが、わしらは修行中の身じゃ。なにかあってみい。即刻、土佐に戻されるがよ。容堂公は幕府寄りやき、こん江戸で問題を起こそうものなら土佐に戻されて打首ぞ」
土佐藩主・山内容堂公は、下士(郷士など最下位の武士)には厳しい。道を上士が通れば下士は脇によって土下座しなくてはならず、何が起こっても罰せられるのは下士である。それが今の、土佐における武士の身分制度だ。
「わかっちゅう。けんど、センセも異国に弱腰な幕府に我慢ならんといちゅうが? わしも同じじゃ。そんときはわしも混ぜてつかぁさい。武市センセ」
「おまんが出会ったそん男も攘夷派がか?」
「そうは見えんかったがよ。けんど、幕府寄りにしろ同じ攘夷派にしろ、あん剣とやりおうてみたいと思うがよ。また会えたらの話じゃけんど」
以蔵はそう言って笑んだのだった。




