↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/22

第10話 腕は天然理心流、夢は我流

 ___土方さん。


 そう呼ばれて、歳三は目を開けた。

 視界に入ったのは、澄み切った青空である。吹き抜ける風が土手の草を撫でていく。

 歳三にとって、見慣れた光景だった。

 甲州街道を跨ぐ多摩川、その川岸で一服している渡し船の船頭、歳三はその多摩川をこれまで何度も越えている。

 空には雲が少なく、焼けつくような陽が川面へ落ちている。

 浅瀬で小石を撫でながら水が流れ、川原にはところどころに青い草が茂っている。

 多摩川は、この日も何も知らぬ顔で流れていた。

 江戸へ向かう者も、江戸を離れる者も、この川を渡ってゆく。

 商人も、旅人も、武士も、百姓も。

 それぞれに行く先があり、それぞれに事情がある。

 けれど川は、人の事情などにはかかわりがない。ただ、夏の陽を受けて光りながら、とうとうと流れている。


「寝ちまったか……」

 起き上がった歳三は、嘆息混じりに呟いた。

 どうやら故郷を前に、眠ってしまったらしい。

 この多摩川を渡れば、その故郷・日野である。

 渡し場に他の客はおらず、船頭は暇そうである。

「事情は同じようだな」

 商売は、客がいなければ稼ぎにならない。

 実家の手伝いで始めた薬売りの仕事は売れるときは売れるが、そう毎日売れはしない。担いでいる薬箱は売れ残りで重く、体力を剣術で使えば疲労もたまろうというものである。

 剣術道場の道草は、この日が初めてではない。

 骨折に打ち身、捻挫に効く石田散薬は、こうした場がいい売り込み先となる。それだけなら歳三に仕事を任せた兄たちはなにもいわないが、木刀を持ち歩くのが気に入らないらしい。それはそうだ。歳三の目的は、腕を磨くためなのだから。

 義兄・佐藤彦五郎の道場で磨いている剣、天然理心流の腕はまだまだである。

 この多摩は幕府直轄領であるにも関わらず、悪党もいる。

 そんな悪党から財と身を守るため、剣術を学ぶのは珍しいことではない。

 そういう目的なら兄たちは、とやかくいわなかったであろう。

 だが___。

 

「そろそろ、帰らねぇとな」

 油を売っていると、また兄たちに何をいわれることやら。

 腰を上げた歳三に、船頭も動き出す。

 そのとき、誰かが歳三の着物の端を掴んだ。

「誰だ? お前」

 振り向いた先にいたのは、まだ十そこそこの少年だった。

 その少年を見たとき歳三は妙な感じがした。

 背丈は年頃の者としてはさほど高くなく、痩せている。

 髪は歳三と同じように後頭部の高い位置で束ねただけで、袴に刀を差している。

 どうやら武士の子らしいが、身分は高くは見えない。にこにこと笑っているが、どこか挑戦的にも見えた。


「帰ってこれなくなるよ」

「俺の家は、向こう岸なんだよ」

 少年は歳三の着物の端を掴んだまま、言った。

「諦めるの?」

「なに……」

 その言葉を歳三は以前、聞いたことがあった。

 

 ___諦めるわけ? その程度なの? 歳三さんは。


 生意気な目で、その人物は言った。

 佐藤道場に、江戸から出稽古にやってきたという小柄な少年___。

 その少年に、歳三はあっさりと木刀を叩き落とされた。

 

「お前……、名は?」

 少年の顔が、その相手と重なる。

「___宗次郎」


 その瞬間、周りの景色は真っ黒に塗りつぶされ、多摩川だけがそこにあった。

 いや、多摩川ではない。

 それがなんなのかわかったとき、歳三は可笑しくなった。

「まさか、三途の川を見るとは思いもしなかったぜ」

 死人は、三途の川を渡ってあの世へ行くのだという。だが自分は、死んではいない。危うく行きかけたが。

 そう、川を渡れば諦めたことなる。悔いを残したまま向こうへは行けない。

 自分が帰る所は、こんな幻の世界ではない。騒がしい同居人がいる、江戸市谷の試衛館。

 なぜ死にかけたかわからかったが、自分はまだ終われない。

 歳三は川へ背を向けた。

 

 ___まだ叶いもしねぇ夢を追っているのか、お前ぇは。


 背後で兄の声がした。

「やってみなきゃわからねぇじゃねぇか。俺は我流で武士になる。誰の手本もいらねぇ。俺は俺がこうと決めた武士になる。そうなったら、鼻で笑ったやつがどんな顔をするか楽しみだぜ。戦国の世ならともかく、この世で農民上がりが武士になる。なっていけねぇ法はねぇぜ。こんな楽しいこと、捨てられるかよ」

 歳三の言葉に、兄からの答えはない。引き留めようとする手もない。

 それでいい。

 我流の夢は叶えてこそ意味がある。

 歳三はそう思っている。

 さぁ、帰るんだ。

 あいつらのいる所へ。試衛館へ。

 

  ※※※


「お目覚めですか? 土方さん」」

 歳三が目を覚ましたとき、部屋には総司がいた。

 見慣れた天井のしみにホッとするも、まだ状況ができない歳三であった。

「なにがあった?」

 体を起こしかけた歳三だが、左肩に激痛が走り抜け呻く。

「無理はしないほうが良いですよ。斬られたので」


 総司によれば、歳三は三日も眠っていたらしい。

 その前の人斬りたちとの対峙での歳三の最後の記憶は、総司の背後から斬りつけようとしていた狐面の男だった。

 どうやら歳三は間に飛び込んだのはいいものの、その男の刀が歳三の左肩を掠めたらしい。

「___それでそのあとはどうなったんだ?」

「夜鳴き蕎麦屋が通りかかりましてね、彼らは一目散に逃げ出しましたよ。でも、土方さん? 近藤先生にはバレちゃいましたよ? 二度も人斬りと対峙したことが」

「総司」

「なんです?」

 障子の外に出て行きかけた総司が振り返る。

「礼をいうぜ」

「はい?」


 三途の川を渡りかけた歳三を引き止めた宗次郎という少年___。

 その名は総司がかつて名乗っていた名だった。

 多摩でがむしゃらに木刀を振っていた頃、歳三の木刀をあっさり叩き落としたのは、この総司である。

 いつしか歳三を呼ぶ「歳三さん」から「土方さん」になっていたが、総司がいなければ天狗になっていた当時のままで、とうに三途の川を渡っていた。

 やはり、こいつには敵わない。

 剣の腕はまだまだだと、歳三は改めて実感する。

「土方さんから礼をいわれるなんて、気味悪いなぁ」

 総司はいつものように軽口をいい、部屋を出ていく。


 俺は諦めねぇ。剣術も、夢も。


 手本なき武士の道___。

 我流で追うその夢が、形になる日はまだ遠いだろう。

 それでも諦めない。

 俺はこの世に帰ってきた。道はまだつながっている。


 開いた障子から覗く青く澄んだ空を見上げながら、歳三は夢実現への決意を新たにしたのであった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。