第4巻 第5章「観測者のいない街 音が消えた。
いや——
正確には、“意味”が消えた。
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足音は響いている。
だが、それが「誰のものか」が分からない。
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風は吹いている。
だが、それが「どこから来たのか」が分からない。
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そして——
自分が“どこに立っているのか”すら、曖昧になっていた。
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「……始まったな」
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浮浪雲は、ゆっくりと目を開けた。
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そこは、街だった。
だが——
さっきまでの街ではない。
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建物はある。道路もある。信号も点滅している。
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だが、そのすべてが——
“誰にも認識されていない”。
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人が、いた。
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だがその人間は——
“顔がなかった”。
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輪郭はある。服も着ている。
だが——
顔だけが、のっぺりと消えている。
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「……観測から外れたか」
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浮浪雲は、小さく呟いた。
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その瞬間——
一人の“顔のない人間”が、こちらを向いた。
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そして——
口がないはずなのに、声が聞こえた。
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「見えるのか?」
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背筋に、冷たいものが走る。
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「……ああ」
浮浪雲は答えた。
「見えてもうたな」
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沈黙。
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次の瞬間——
周囲の“顔のない人間”たちが、一斉に振り向いた。
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「見える」
「見える」
「見えている」
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声が、重なる。
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だがそれは、人間の声ではなかった。
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“記録の残響”。
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「……そういうことか」
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浮浪雲は理解した。
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ここにいるのは——
“人間”ではない。
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“観測されなかった存在の残りカス”。
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「お前ら……」
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一歩、踏み出す。
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「誰や」
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一瞬、世界が歪んだ。
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そして——
ひとつの声が、はっきりと浮かび上がる。
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「忘れられた者だ」
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その言葉に、時間が止まる。
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「記録されなかった者」
「思い出されなかった者」
「存在を認められなかった者」
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声が、増殖していく。
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「我々は、“なかったこと”にされた」
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浮浪雲の呼吸が、わずかに乱れた。
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脳の奥で、何かが引っかかる。
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——幼い頃の記憶
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誰かがいた。
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確かにいた。
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だが——
顔が思い出せない。
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「……お前らの中に」
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声が、少しだけ低くなる。
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「“あいつ”はおるんか?」
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空気が凍った。
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その瞬間——
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一人だけ、“顔がある存在”が現れた。
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ゆっくりと、こちらに歩いてくる。
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その顔は——
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“知らないはずなのに、知っている顔”だった。
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「久しぶりやな」
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その声は、やけに静かだった。
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「やっと思い出したか?」
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浮浪雲の視界が、大きく揺れる。
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心臓が、強く打つ。
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「……誰や」
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絞り出すような声。
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その男は、少しだけ笑った。
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そして——
こう言った。
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「お前が、消した人間や」
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世界が、完全に崩れた。
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