表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界湯けむり勇者 ~魔王討伐後に王国から領地も爵位ももらったけど全部妻子に継がせて前世で大好きだった源泉かけ流しの宿を異世界で本気再現したら七つの泉質を目当てに貴族も冒険者も押しかけてきます~  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一
第一章 七泉の湯宿《朝霧亭》、開業までの十二日譚

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/36

第31話 離れ一室、誰のために作るのか

 朝霧亭の朝は、湯気と一緒に増えていく。


 最初は湯だけだった。

 次に飯が増えた。

 客が増えた。

 手紙が増えた。

 予約札が増えた。

 そして最近は、帳場の上に「これから必要になるもの」の相談まで増え始めている。


 その朝、広間の火がまだ柔らかい時間から、アレクシスは帳場の前に立っていた。


 目の前には地図と簡単な見取り図。

 本館、回廊、湯殿、厩舎、馬車寄せ、そして宿の裏手の斜面。


 ベルノルトはその紙の束を見た瞬間、嫌な予感しかしなかった。


「旦那様」

「何だ」

「その顔は、何か増やす顔です」

「そうか?」

「そうです」

 と、リューシェが椅子の背にもたれながら笑う。

「主様は、新しい面倒ごとを思いついた時だけ、妙に静かな顔になる」

「面倒ごとではない」

 と、アレクシス。

「必要なことだ」

「出た」

 と、ベルノルト。

「最近ほんとにそればっかりですね」

「便利だ」

 と、リューシェ。

「本人が言うのもどうかと思うが、便利じゃ」


 ユノは広間の卓を拭きながら、ちらちらと帳場の方を見ていた。


「何が増えるんですか」

「離れだ」

 と、アレクシス。

「え?」

 と、ユノ。

「離れ?」

「一室だけだ」

「主様」

 と、リューシェ。

「ついにそこへ手を出すか」

「手を出すという言い方はやめろ」

「だが、前から考えておったじゃろう」

「ああ」

「旦那様」

 と、ベルノルトが額を押さえる。

「ちょっと待ってください。増築ですか?」

「増築というほどではない」

「一室増えたら十分増築です」

「主様、それ、予約が取れない話の続きですか?」

 と、ユノ。

「半分はそうだ」

 と、アレクシス。

「半分?」

「残り半分は、前から必要だと思っていた」


 それは、ただ単に“部屋が足りないから増やす”という話ではなかった。


 朝霧亭は、ここまで“無理に広げない”ことで質を守ってきた。

 客を詰め込まず、湯と飯と静けさを守る。

 それが宿の流儀であり、今の評判を作っている理由でもある。


 だからアレクシスが「一室だけ」と言った時点で、リューシェはもう何となく分かっていた。


「普通の客室ではないのう」

「違う」

 と、アレクシス。

「じゃあ、何の部屋なんです?」

 と、ユノ。

「静養のための部屋だ」

「静養?」

「療養客、身分がありすぎて本館だと落ち着けない客、事情を抱えた客」

「主様」

 と、ベルノルト。

「今、かなり面倒な客の見本市みたいな言い方しませんでした?」

「必要な客だ」

「出た」

「でも、それなら少し分かる気がします」

 と、ユノ。

「何がだ」

 と、アレクシス。

「今の朝霧亭って、みんな本館でちゃんと回ってるけど……」

「うむ」

「それでも、たまに“静かすぎる場所が必要な人”はいそうです」

「ほう」

 リューシェが目を細める。

「坊や、どこでそう思うた」

「えっと……ゼフさんとか」

「なるほど」

 と、リューシェ。

「確かにあやつは、今はうまく馴染んでおるが、本来はあまり人の多いところ向きではない」

「白湯のご令嬢も、お友達を連れてきた時、最初は広間に少し気を張ってました」

 と、ユノ。

「でも、部屋で落ち着いてから白湯へ行ったら、だいぶ違ったから」

「主様」

 と、ベルノルト。

「今の、かなり刺さった顔してますよ」

「そうか?」

「そうです」

「かなりです」

 と、ユノも笑う。

「嫌ではない」

「出ました」


 アレクシスは図面の端を指で叩いた。


「本館の裏手」

「この斜面じゃな」

 と、リューシェ。

「そうだ。完全に離すのではなく、回廊一本でつなぐ」

「完全に別にしないんですか?」

 と、ベルノルト。

「しない」

「なぜです?」

「宿の空気から切り離しすぎると、ただの隠し部屋になる」

「……ああ」

 と、リューシェ。

「主様らしいのう」

「静かにしたいが、孤立はさせたくない」

 と、アレクシス。

「湯と飯と帳場の気配は届く場所に置く」

「それ、すごく宿っぽいです」

 と、ユノ。

「宿だからな」

「便利なやつですねえ」

 と、ベルノルト。

「でも今のは本当に分かりやすかったです」


 話を聞きつけて、木工親方のヘルマンと石工頭のドミニクまで広間へ顔を出した。


「旦那、また何か建てる気か」

 と、ヘルマン。

「一室だけだ」

 と、アレクシス。

「一室だけ、って顔じゃねえな」

 と、ドミニク。

「主様は一室だけでも本気だからの」

 と、リューシェ。

「分かる」

 と、ヘルマン。

「この前の物干し場の柵でさえ、やたら細かかった」

「必要な高さがある」

「出たぞ」

 と、ベルノルト。

「もう本当に誰も止めない流れですね」


 アレクシスは簡単な説明をした。


 離れは一室。

 寝台は本館の上等室と同じく妥協しない。

 窓は谷を向けるが、露天の湯気が少し見える角度にする。

 湯殿は離れに付けない。あくまで湯は本館側へ来てもらう。

 ただし、部屋へ戻ったあとの静けさは本館より深いものにする。


「露天が少し見えるように、ですか」

 と、ユノ。

「ああ」

 と、アレクシス。

「湯の気配は残したい」

「主様」

 と、リューシェ。

「今のはだいぶ良い」

「そうか?」

「そうじゃ。離れを作っても、湯宿であることを切らん」

「大事ですね、それ」

 と、ベルノルト。

「高級室を増やす話とは違うんだ」

「違う」

 と、アレクシス。

「値で分ける部屋ではない」

「必要で分ける部屋」

 と、ユノ。

「そうだ」

 アレクシスが頷いた。

「それだ」

「坊や」

 と、リューシェ。

「今のはかなり宿の者の理解じゃぞ」

「そうなんですか」

「そうじゃ。普通は“高く売れる部屋”へ考えが行く」

「でも主様、そういう方じゃないですし」

 と、ユノ。

「ほう」

 と、ベルノルト。

「今のさらっと出ましたね」

「え?」

「“主様はそういう方じゃない”って」

「……だって、そうです」

「嫌ではない」

 と、アレクシス。

「出た、重いの」

 と、ベルノルト。


 ヘルマンは図面を覗き込みながら鼻を鳴らした。


「で、どんな客を入れるつもりなんだ」

「静養が必要な客」

「だからそれは聞いた」

「身分が高すぎて本館だと周りが気を張る客」

「それも聞いた」

「事情を抱えた客」

「ますます面倒くせえ」

「面倒な客が増えるぞ」

 と、リューシェが愉快そうに言う。

「主様、おぬしそういうのを呼ぶ顔をしておる」

「呼ぶのではない」

 と、アレクシス。

「必要なら受けるだけだ」

「主様、それで寄ってくるんですよ」

 と、ベルノルト。

「最近の流れ、だいたいそうじゃないですか」

「そうか?」

「そうです」

 三人が揃って言った。


 昼前、広間へ白湯目当ての地元の女たちが来た。


 話を聞きつけるのが早いのか、朝霧亭では“何かを作る話”は妙にすぐ広がる。


「離れを作るんだって?」

 と、白湯帰りの女の一人。

「早いな」

 と、アレクシス。

「町じゃもう話になってるよ」

「旦那様」

 と、ベルノルト。

「情報の足、早すぎません?」

「この辺りの噂は湯気みたいなものじゃ」

 と、リューシェ。

「立ったと思うたら、もう谷へ流れておる」

「で、立派な部屋かい?」

 と、女。

「立派かどうかは知らん」

 と、アレクシス。

「静かな部屋だ」

「なんだいそれ」

「静かさが要る客のための部屋だ」

「ほう」

 女たちは顔を見合わせた。

「そういう考え方をするのかい」

「主様だからな」

 と、リューシェ。

「便利じゃのう」

「便利すぎるんですよね」

 と、ベルノルト。


 その会話を、たまたま広間にいた老騎士も聞いていた。


「離れか」

 と、彼は低く言う。

「何だ」

 と、アレクシス。

「良い考えだ」

「ほう」

 と、リューシェ。

「おぬしがそう言うか」

「静かに休みたい客はいる」

 老騎士は汁を飲んでから続けた。

「本館の広間も悪くない。だが、身体の重い日や、あまり人の気配を要らん日もある」

「……そうだな」

 と、アレクシス。

「主様」

 と、ベルノルト。

「今の、だいぶ刺さってますね」

「そうか?」

「そうです」

「かなりです」

「嫌ではない」

「もうそれ褒めの返事として固定されましたね」


 午後、アレクシスは実際に裏手の斜面を見に行った。


 ユノ、リューシェ、ベルノルト、ヘルマンまで引き連れてである。


 斜面は緩やかで、石を組めば小さな離れを建てるにはちょうどいい。

 谷の風は入るが、本館の喧騒は少し遠くなる。

 それでも回廊一本でつなげば、帳場や湯殿との距離感は切れない。


「ここですね」

 と、ユノ。

「そうだ」

 と、アレクシス。

「窓はあっち」

 彼は指さした。

「湯気が少し見える」

「主様、本当にそこ好きですね」

 と、ベルノルト。

「好きというか、執着だな」

 と、リューシェ。

「悪いか」

「嫌ではない」

「真似しないでくださいよ!」

 と、ベルノルト。


 ユノは斜面から本館の方を見た。


 朝霧亭は、最初はただ“できた宿”だった。

 今はもう、人が戻ってくる宿になっている。

 そしてこれから、別の事情を抱えた人まで受ける宿になろうとしている。


「……大きくなりますね」

 と、ユノ。

「何がだ」

 と、アレクシス。

「宿です」

「そうだな」

「部屋が一つ増えるだけなのに、なんだかもっと大きい感じがする」

「坊や」

 と、リューシェ。

「今のは良い言い方じゃ」

「そうなのか?」

 と、ユノ。

「そうです」

 と、ベルノルト。

「物理じゃなくて、受けるものが増えるって意味ですよね」

「……あ」

「坊や、かなり分かってきたな」

 と、アレクシス。

「よい」

「出た、重いやつ」

 と、ベルノルト。


 夕方、広間へ戻ると、新しい手紙が一通届いていた。


 上等な紙。

 簡潔な文。

 差出人の名はない。


 ベルノルトが封を切り、目を細める。


「主様」

「何だ」

「来ました」

「何がだ」

「“名を伏せた一名”、です」

 ユノが目を丸くする。

「えっ」

 リューシェは、にやりと笑った。

「ほれ見ろ、主様」

「何だ」

「言うた通りじゃ。離れの話をした途端、面倒そうなのが寄ってきたぞ」

「面倒かはまだ分からん」

 と、アレクシス。

「主様、その顔はだいぶ“来ると思っていた”顔です」

 と、ベルノルト。

「そうか?」

「そうです」

「かなりです」

 と、ユノまで頷いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ