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異世界湯けむり勇者 ~魔王討伐後に王国から領地も爵位ももらったけど全部妻子に継がせて前世で大好きだった源泉かけ流しの宿を異世界で本気再現したら七つの泉質を目当てに貴族も冒険者も押しかけてきます~  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一
第一章 七泉の湯宿《朝霧亭》、開業までの十二日譚

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第29話 王都の令嬢、今度は友人を連れてくる

朝霧亭の白湯は、人を連れてくる湯になりつつあった。


 それはアレクシスにとって、別に不思議なことではない。

 白湯は最初からそういう湯として整えた。

 刺激が少なく、肌当たりがやわらかく、長旅で乾いた肌や気疲れした身体をゆるめる。

 豪快さはない。

 だが、“また入りたい”を静かに残す湯だ。


 問題は、その“また”が一人ぶんでは済まなくなってきたことである。


「主様」

 と、帳場で予約札を見ていたベルノルトが言った。

「何だ」

 と、アレクシス。

「今日の客、たぶん白湯目です」

「そうか」

「今のその顔、かなり分かりやすいですね」

「何がだ」

「“悪くない来方だ”って顔です」

「そうか?」

「そうです」

 と、リューシェが椅子の背に腕をかけながら笑う。

「主様は白湯の客が増えると、少しだけ機嫌がよい」

「そんなことはない」

「ある」

 と、ベルノルト。

「かなり」

「ユノ、おまえは」

 と、アレクシス。

「え」

 広間の水差しを整えていたユノが振り向く。

「今日の気配、どう見る」

「えっと……」

 ユノは少し考えた。

「馬車の音が前より軽いです。でも上等です。だから、前に来た人の“身内”とか……?」

「ほう」

 と、リューシェ。

「坊や、だいぶ読むようになったのう」

「そうなのか?」

 と、ユノ。

「そうじゃ。しかも当たりに近い」

「嫌ではない」

 と、アレクシス。

「出た」

 と、ベルノルト。

「でも今のはかなり重いやつですね」

「そうなのか」

「そうです」


 ほどなくして、馬車が馬車寄せへ入ってきた。


 白い縁取りのある上等な馬車だが、前回来た時よりはやや軽装だ。護衛も少なく、供回りも簡素。

 そして扉が開くと、まず見えたのは見覚えのある顔だった。


「あ」

 と、ユノが小さく声を漏らす。

「来ました」

「そうだな」

 と、アレクシス。


 白湯を気に入ったあの令嬢である。


 相変わらずの明るい目と、好奇心を隠さない顔。

 ただ、今日は母親だけではなく、もう一人、年の近い少女が隣にいた。


 髪の色は少し濃く、装いは同じく上等だが、立ち方が令嬢より固い。

 目は鋭く、口元は慎重。

 朝霧亭という山の宿を、最初から全部信じる気はない顔だった。


「ごきげんよう、宿主殿」

 と、いつもの令嬢が笑う。

「また来たか」

 と、アレクシス。

「ええ、また来ましたわ」

「主様」

 と、リューシェ。

「その返し、相変わらず短いのう」

「要点は足りている」

「便利じゃな」

「便利です」

 と、ベルノルトが半ば投げやりに言う。

「最近、本当にそこは認めます」


 令嬢は、隣の少女を少し引き寄せた。


「こちら、わたくしの友人ですの」

「セレーネです」

 少女はきちんと礼をした。

 だがその視線はまっすぐアレクシスを見ていて、観察する気配が強い。

「“辺境の宿なのにやたら評判が良い”と聞いて、気になったものですから」

「言い方が固いですわよ」

 と、令嬢。

「だってそうでしょう」

 と、セレーネ。

「王都で聞く話にしては、どうも出来すぎているもの」

「主様」

 と、リューシェが笑う。

「疑いから入る嬢ちゃんじゃ」

「そうだな」

 と、アレクシス。

「悪いことではない」

「ほう」

 と、セレーネが片眉を上げる。

「もっと“信じていただきたい”とか言わないんですね」

「言っても意味がない」

「確かに」

 と、ベルノルト。

「旦那様、それはちょっと強いです」

「主様は、そういうところだけ無駄がないんですの」

 と、令嬢。

「良くも悪くも」

「悪くも?」

 と、アレクシス。

「分かりにくい時がありますわ」

「足りている」

「そういうところです」


 ユノが一歩前へ出て、一礼した。


「いらっしゃいませ」

 令嬢がすぐに目を細める。

「ほら、やっぱり可愛い」

「違います」

 と、ユノは反射で返す。

「娘ではありません」

「その返しも含めて、やっぱりそうなりますわよ」

 と、令嬢。

「セレーネ、どう?」

「……確かに」

 セレーネは少しだけ真顔で言った。

「噂に尾ひれがつくのは分かるわ」

「嫌です……」

 と、ユノ。

「坊や」

 と、リューシェ。

「今日も看板係として順調じゃの」

「だからそこへ戻らないでください!」

「主様、今のは?」

 と、ベルノルト。

「接客の声は前より安定している」

「やっぱりそこなんですね!」

 と、ユノ。

「そこだ」

「ぶれませんねえ」


 客室へ案内する途中も、セレーネの視線はかなり細かかった。


 回廊の作り。

 窓掛けの布地。

 床の音。

 客室の広さ。

 水差しの位置。

 湯殿までの導線。


 そして何より、人の動き。


 ユノはそれに少し緊張したが、前のようにただ固まるだけではなかった。

 ちゃんといつもの仕事をする。

 荷の置き場を確認し、窓の開け方を説明し、湯上がり用の布を揃える。


「……なるほど」

 と、セレーネが小さく呟いた。

「何だ」

 と、アレクシス。

「いえ」

 少女は表情を崩さない。

「思っていたより、“ちゃんと宿”なんだなと思って」

「主様」

 と、リューシェ。

「今のは少し刺さったぞ」

「そうか?」

「そうです」

 と、ベルノルト。

「かなり」

「そうなのか」

 と、ユノも少し笑う。

「かなりです」

「嫌ではない」

「今日それ何回目です?」

 と、ベルノルト。

「数えるな」


 昼前、令嬢たちは白湯へ向かった。


 セレーネは最初、かなり警戒していた。


「本当に、地元の方とも同じ湯殿を使うの?」

「使う」

 と、アレクシス。

「時間は少し調整するが、身分だけで完全に分けたりはしない」

「それは……」

 セレーネは少し眉を寄せる。

「王都では考えにくいわ」

「王都ではない」

 と、アレクシス。

「ここは朝霧亭だ」

「出ましたわ」

 と、令嬢が嬉しそうに言う。

「その言い方、わたくし好きなんですの」

「好きなんですね」

 と、ユノ。

「ええ」

「主様、それかなり刺さるやつです」

 と、ベルノルト。

「そうか?」

「そうです」


 白湯から戻ってきた時、セレーネの顔は、行く前とまるで違っていた。


 頬に少し血色があり、肩の力が抜けている。

 髪を整える手つきも、来た時よりゆっくりだ。


 令嬢は最初から満足そうだったが、セレーネの方は、いかにも“予想よりずっと良かったものを前にして悔しい”顔をしていた。


「どうだった」

 と、アレクシス。

「……良かったわ」

 と、セレーネ。

「悔しいけれど」

「悔しいんですの?」

 と、令嬢。

「だって、もっとこう、“辺境にしては頑張ってる”くらいを想像していたもの」

「そうか」

 と、アレクシス。

「そうか、で済ませるのね」

「事実だろう」

「主様、そういう時だけ余裕があるのう」

 と、リューシェ。

「でも実際、どうです?」

 と、ユノが少しだけ前のめりになる。

「え」

「白湯」

「……やわらかい」

 セレーネは少し迷ってから言った。

「王都にも白濁の湯はあるけれど、ここのは嫌な重さがない。あと、湯上がりに喉が渇きすぎない」

「そうでしょう?」

 と、令嬢。

「言いましたわよね」

「ええ、認める」

 セレーネは少しだけ笑った。

「これは、また入りたい」

「主様」

 と、リューシェ。

「今のはかなり良い」

「そうだな」

 と、アレクシス。

「よい」

「出た」

 と、ベルノルト。

「今日の重いやつですね」

「主様、何がそんなに嬉しいんですか」

 と、ユノ。

「分かる客が来るのは悪くない」

「それ、だいぶ本音ですね」

「本音だ」


 昼食の広間では、さらに面白いことが起きた。


 セレーネは最初、地元の湯治客や冒険者崩れの荷馬商たちと同じ広間で食事をすることに、まだ少し構えていた。だが席に着き、湯上がりの汁を飲み、煮込みの匂いが立ち、窓際で白湯帰りの女たちが「今日はやわらかかったねえ」と話しているのを聞くうち、その顔つきが少しずつ変わっていく。


 目の前のものが“下品な混ざり方”ではなく、宿としてちゃんと回っている空気だと分かったのだろう。


 そこへ、白湯目当ての地元の女が、何気なく話しかけた。


「お嬢さん方、初めてかい」

「え」

 と、セレーネ。

「ええ」

「白い湯、良かったろう」

「……はい」

「この宿の白い湯はいいんだよ」

 女はにこにこ言う。

「赤い湯のあとに入ると、また違うんだ」

「またそれですの?」

 と、令嬢が笑う。

「前にも教えていただきましたわ」

「おや、あんた前にも来てたのかい」

「ええ」

「なら話が早いねえ」


 そのやり取りを、セレーネは不思議そうに見ていた。


「……変ね」

「何がだ」

 と、アレクシス。

「貴族とか町の人とか、そういうのがもっとぶつかるかと思ってた」

「ぶつかる時もある」

「でも今日は?」

「宿だからな」

「やっぱりそこへ戻るのね」

 セレーネは少し苦笑した。

「でも、少し分かるわ。ここにいると、先に“湯に入った人”になるのね」

「そうだ」

 と、アレクシス。

「それで十分だ」

「主様」

 と、リューシェ。

「今のは宿主っぽい」

「主様は宿主です」

 と、ベルノルト。

「そこはもう認めましょう」

「便利な部下だ」

「褒めてるのか雑なのか分かりませんね」


 食後、セレーネは広間の窓際に少し長く座っていた。


 外の湯気を見て、広間の空気を見て、客たちの会話を聞いている。

 来た時の“まず疑う”顔ではない。

 まだ全部を無邪気に好いてはいないだろうが、少なくとも“認めざるを得ない”ところまでは来ている顔だ。


 ユノが水差しを持って行くと、セレーネは少しだけ視線を和らげた。


「ありがとう」

「いえ」

「あなた」

「は、はい」

「前に来た時より、動きが自然ね」

「え」

 ユノは目を丸くした。

「そ、そうですか」

「ええ。最初に見た時は“頑張ってる子”って感じだったけど、今日は“ちゃんとこの宿の人”って感じがする」

「……っ」

「主様」

 と、リューシェがすぐに反応する。

「坊や、今のはかなり良いぞ」

「そうだな」

 と、アレクシス。

「上出来だ」

「出た」

 と、ベルノルト。

「その“上出来”はかなり重いです」

「そうなのか?」

「そうです」

「かなりです」

 と、ユノも今では少し笑って返せる。

「嫌ではない」

「それ今日何回目です?」

 と、ベルノルト。


 夕方、馬車へ戻る支度をしながら、令嬢は明るい声で言った。


「でしょう?」

「ええ」

 と、セレーネ。

「認めるわ」

「何をだ」

 と、アレクシス。

「噂が大げさだけじゃないこと」

「ほう」

「湯も、部屋も、飯も、広間の空気も」

 セレーネは一つずつ言った。

「“辺境の宿にしては”じゃなくて、ちゃんと良い」

「主様」

 と、リューシェ。

「今日はだいぶ刺さる日じゃのう」

「そうか?」

「そうです」

 と、ベルノルト。

「かなりです」

「嬉しいですか?」

 と、ユノが訊く。

「悪くない」

 と、アレクシス。

「ほら出た」

 と、ベルノルト。

「でもそれ、だいぶ本音ですよね」

「本音だ」

「最近そこだけは妙に素直ですわね」

 と、令嬢が笑った。


 セレーネは馬車へ乗り込む前に、少しだけ振り返った。


「たぶん、わたくし」

「何だ」

 と、アレクシス。

「王都へ戻ったら、この宿の話をするわ」

「そうか」

「止めないの?」

「止めても意味がない」

「そうね」

 セレーネは少しだけ笑った。

「でも、悪いようには話さない」

「好きにしろ」

「好きにする」


 馬車が去っていく。


 白い湯気の向こうへ車輪の音が遠ざかるのを見ながら、ユノは小さく言った。


「……また広がりますね」

「広がるな」

 と、アレクシス。

「嫌ですか?」

「嫌ではない」

「出た」

 と、ベルノルト。

「でも、ちょっとだけ困りそうですね」

 と、ユノ。

「予約が増える」

「そこです」

「宿が知られるのは悪くない」

 と、アレクシス。

「だが、雑には取らん」

「主様」

 と、リューシェ。

「結局そこへ戻るのう」

「宿だからな」

「便利なやつじゃ」


 朝霧亭の評判は、また一段、王都側へ流れていく。


 白湯のやわらかさ。

 辺境なのにちゃんとしている宿。

 可愛いだけではなく、仕事のできる看板係。

 そして、妙に話を切るのが早い宿主。


 噂の育ち方としては、たぶん悪くない。

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