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異世界湯けむり勇者 ~魔王討伐後に王国から領地も爵位ももらったけど全部妻子に継がせて前世で大好きだった源泉かけ流しの宿を異世界で本気再現したら七つの泉質を目当てに貴族も冒険者も押しかけてきます~  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一
第一章 七泉の湯宿《朝霧亭》、開業までの十二日譚

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第28話 看板係、ついに手紙をもらう

 朝霧亭の帳場には、毎朝いろいろなものが届く。


 予約の打診。

 納品の確認。

 橋板の見積もり。

 薬草摘みの婆さまからの走り書き。

 地元客からの「次の市の日にまた寄るよ」という口約束を、律儀に文字へしたためたような短い手紙。


 宿が宿として回り始めると、そういう紙の気配が増える。

 ベルノルトは最初、それを「仕事が増える」としか思っていなかったが、最近は半分くらいは“宿が生きている証拠”だと認めざるを得なくなっていた。


 もっとも、その朝に届いた束だけは、さすがに予想の外だった。


「……何ですか、これ」

 と、ベルノルトは本気で呟いた。


 朝霧亭の朝。

 広間にはまだ客の姿がまばらで、厨房の火もようやく安定してきたところ。

 ユノは茶器を並べ、リューシェは帳場の椅子に斜めに座って宿帳を眺め、アレクシスは朝一番の湯殿見回りを終えて戻ってきたばかりだった。


 そこへ、町からの使いの少年が、麻紐でくくられた封書の束をどさりと帳場へ置いて帰っていったのである。


 しかも、妙に上等な紙が混ざっていた。


「何だ」

 と、アレクシス。

「分からないから言ってるんです」

 と、ベルノルト。

「見てくださいよ、これ」

「手紙だな」

「見れば分かる」

 と、リューシェがすぐに笑う。

「便利なやつじゃ」

「主様、その台詞取られましたよ」

 と、ユノ。

「そうか」

 と、アレクシス。

「嫌ではない」

「出た」

 と、ベルノルト。

「でも今はそこじゃないんです!」


 ベルノルトは束の麻紐を解いた。


 一通。二通。三通。

 しかも全部、宛名が同じだ。


 朝霧亭 看板係殿

 朝霧亭の可愛らしい案内係さまへ

 前にお茶を運んでくれた方へ

 あの時、白い湯の場所を教えてくれた子へ


 ユノは、最初の一通を見た瞬間に固まった。


「……え」

「おや」

 と、リューシェ。

「来たのう」

「何がですか」

 と、ユノ。

「手紙じゃ」

「それは見れば分かります!」

「良い返しじゃな」

「良くないです!」


 ベルノルトはさらに中身を見て、何とも言えない顔になった。


「主様」

「何だ」

「これ、全部ユノ宛てです」

「ほう」

 と、アレクシス。

「ほう、じゃないんですよ」

 と、ベルノルト。

「“ほう”で済む量じゃないんです」

「どれくらいだ」

「十通」

「多いな」

「そこでようやく言いましたね!」

「多い」

 アレクシスは束を見た。

「理由は」

「主様」

 と、リューシェ。

「おぬし、それを今ここで真顔で聞くか」

「理由は分かるじゃろう」

「分からん」

「坊やが可愛いからじゃ」

「言わなくていいです!」

 と、ユノが真っ赤になって叫ぶ。

「主様、それは見れば分かるんじゃ」

 と、リューシェ。

「便利な言葉ですね……」

 と、ベルノルトが遠い目をした。


 ユノは耳まで赤くして、束の前で立ち尽くした。


 手紙。

 それも、自分宛て。

 しかも宿の仕事を通して来た客から。


 経験がない。

 いや、人生で一度もない。


 褒め言葉ですらまともに受け慣れていないのに、こういう形で“あなたへ”と渡されるものが、一度に十通も並ぶと、もうどうしていいのか分からなかった。


「ぼ、僕、何かしました!?」

「その反応、やはり可愛いのう」

 と、リューシェ。

「リューシェさん!」

「主様、今のはかなり看板係向きの顔じゃぞ」

「だからそこへ戻らないでください!」


 ベルノルトは一通ずつざっと目を通し始めた。


「ええと……」

「読むのか」

 と、アレクシス。

「中身の確認は必要です」

「なぜ」

「なぜって、危ないものとか変なものとか混ざってる可能性ありますから!」

「それはそうじゃ」

 と、リューシェ。

「坊や宛てに“会いに行く”だの“今夜一人で”だの書いてあったら困る」

「困ります!」

 と、ユノ。

「すごく困ります!」

「そういう意味では、帳場で止める必要がある」

 と、アレクシス。

「主様」

 と、ベルノルトがじっと見る。

「今のはかなりちゃんとしたこと言いましたね」

「何だ」

「いや、たまにあるんですよね。急に宿主として筋の通ったことを言う時が」

「宿主だからな」

「出ました」

「便利なやつじゃ」

 と、リューシェ。


 ベルノルトが中身を確認していく。


 一通目。

 白湯へ通った地元の娘から。

 「前にお茶を持ってきてくれた時、丁寧で嬉しかったです。また行きます」


 二通目。

 若い旅商人から。

 「この前、道の状態を教えてくれて助かりました。顔が可愛いだけじゃなく、気が利くんですね」


 三通目。

 かなり達筆。上質な紙。

 「先日はご案内ありがとうございました。あなたの声が落ち着いていて、母も安心しておりました」


 ベルノルトがそこで目を細める。


「……これ」

「何だ」

 と、アレクシス。

「白湯のご令嬢ですね」

「ほう」

 と、リューシェ。

「嬢ちゃん、こういうところは抜かりないのう」

「えっ」

 と、ユノ。

「令嬢さまから!?」

「たぶん」

「主様」

 と、リューシェ。

「坊や、完全に貴族令嬢の手紙をもらう側の顔ではないぞ」

「そ、そんなのなるわけないじゃないですか!」

「なっておる」

 と、リューシェ。

「なってないです!」


 さらにベルノルトが紙をめくる。


 応援。

 また来ます。

 今度は赤湯のあとに白湯へ入りたい。

 前に教えてもらった席がよかった。

 水差しの位置を覚えていてくれて嬉しかった。


 思っていたよりずっとまともだった。

 というより、ほとんどが“見た目への一言はあっても、結局は接客や気配りへの感想”だった。


 ベルノルトはそこで少し顔を上げた。


「ユノ」

「は、はい」

「これ、思ってたよりずっとちゃんとしてる」

「え」

「ただ“可愛い”だけで来た手紙、ほとんどない」

「……」

「“丁寧だった”“覚えていてくれた”“安心した”“案内が分かりやすかった”」

 ベルノルトは一通を掲げた。

「ちゃんと、仕事を見て書かれてる」


 ユノは目を瞬いた。


 嬉しい、の前に、驚きが来る。

 そういうところを見られていたのか、と。


 自分では必死だっただけだ。

 落とさないように。

 間違えないように。

 怖がらせないように。

 客が困らないように。


 でも、それがちゃんと伝わっていたらしい。


「主様」

 と、リューシェ。

「坊や、少し泣きそうな顔じゃぞ」

「な、泣いてません」

「泣きそうではある」

 と、アレクシス。

「主様、それ今言います?」

 と、ベルノルト。

「事実だ」

「便利なやつですね……」

「でも」

 と、ユノが小さく言う。

「……嬉しいです」

「そうか」

 と、アレクシス。

「良かったな」

「えっ」

 ユノが顔を上げた。

「今の、だいぶ普通の褒め方でしたよ!?」

「そうか?」

 と、アレクシス。

「主様、成長したのう」

 と、リューシェ。

「何だ」

「ちゃんと“良かったな”が出た」

「必要だった」

「便利なやつで壊すな!」


 だがもちろん、全てが平和な手紙というわけでもなかった。


 ベルノルトが数通読み進めたところで、露骨に顔をしかめるものが混ざった。


「……ああ、はい、出ました」

「何じゃ」

 と、リューシェ。

「“今度一人の時に会いたい”」

「捨てろ」

 と、アレクシス。

「早い」

 と、ベルノルト。

「あとこれ。“宿が閉まったあとに裏で待ってます”」

「捨てろ」

「これは?」

「捨てる」

「主様、判断が早いのう」

「必要ない」

「そこは本当に助かります」

 と、ベルノルト。

「そういうのは怖いので」

「主様」

 と、ユノが少し声を潜める。

「これ、僕、どうしたら」

「気にするな」

 と、アレクシス。

「帳場で止める」

「……はい」

「その代わり」

「え?」

「今後、宿の仕事に支障が出るなら線を引く」

「線?」

「渡し方を変える。受付に通す。差出人のないものは破棄する。必要なら直接返す」

「主様」

 と、リューシェ。

「今日は妙に宿主らしいな」

「宿主だ」

「そうじゃった」

「でも今のはありがたいです」

 と、ベルノルト。

「ちゃんと運用の話になってる」

「必要だからな」

「便利なやつで締めるの本当にずるいですよね」


 問題のある手紙は脇へ分けられ、まともなものは別の束になった。


 ユノはその前で、まだ少し落ち着かない顔をしている。


「坊や」

 と、リューシェ。

「何じゃ」

「返事、書くんですか」

「え!?」

「書けるものには、書いてもよいのではないか」

「む、無理です!」

「何故じゃ」

「だって、そんなの……」

「照れる?」

「照れます!」

「主様」

 と、リューシェがにやりとする。

「坊や、やはり看板係として人気者じゃのう」

「その言い方やめてください!」

「だが事実じゃ」

「便利なやつが多すぎます!」


 ベルノルトがひとつ咳払いをした。


「一応、宿として返す形ならできます」

「宿として?」

 と、ユノ。

「ええ。個人としてではなく、“朝霧亭より、またのお越しをお待ちしております”みたいな」

「それがいい」

 と、アレクシス。

「個人で返す必要はない」

「主様」

 と、リューシェ。

「そこはちゃんと線を引くのじゃな」

「当然だ」

「便利じゃのう」

「でも、それなら……」

 ユノは少しだけ考えた。

「ありがとうって、伝えられますか」

「伝えられる」

 と、ベルノルト。

「宿の言葉として」

「……じゃあ、それがいいです」

「よい返事じゃ」

 と、リューシェ。

「主様、今のはかなり良いぞ」

「そうだな」

 と、アレクシス。

「主様の“そうだな”が今日は重いですね」

 と、ベルノルト。

「そうなのか?」

「そうです」

「かなりです」

 と、ユノも今では少し笑える。


 昼前、白湯目当ての地元の娘二人が再び宿へやって来た。


「こんにちは」

「今日、白い湯空いてる?」

「空いてます」

 と、ユノが答える。

 そのうち一人が、少し恥ずかしそうに言った。

「……手紙、届いた?」

「え」

 ユノはきょとんとした。

「もしかして」

「この前、お茶持ってきてくれた時、嬉しかったから」

「……っ」

 ユノの顔が一気に赤くなる。

「と、届きました」

「ご、ごめんね、変だった?」

「へ、変じゃないです! あの……ありがとうございます」

「ほら」

 と、リューシェが帳場から笑う。

「実際に客が来ると、坊や、ますます赤くなる」

「言わないでください……」

「主様」

 と、ベルノルト。

「こういうのも、ちゃんと宿の一部になってきましたね」

「そうだな」

 と、アレクシス。

「客が言葉を置いていくのは、悪くない」

「それ、今日いちばん宿主っぽいですね」

 と、リューシェ。

「そうか?」

「そうじゃ」


 午後になると、例の上質な紙の差出人も判明した。


 白湯の令嬢からの侍女を通した伝言である。


「お嬢様から」

 侍女は少しだけ笑みを含んで言った。

「“きちんと礼を伝えたかっただけです”とのことでした」

「……そうか」

 と、ユノはまた固まる。

「主様」

 と、リューシェ。

「坊や、今ので完全に処理能力を越えた顔をしておる」

「してないです……」

「いやしてる」

 と、ベルノルト。

「かなり」

「嫌ではない」

 と、アレクシス。

「それ、もう便利な褒め言葉になってますよね」

 と、ベルノルト。

「そうか?」

「そうです」


 夕方、帳場の上には二つの束が残った。


 一つは、きちんと返事を返すべき手紙。

 一つは、帳場で止めて捨てるべき手紙。


 ベルノルトはそれを見ながら言う。


「主様」

「何だ」

「これ、完全に運用を決めた方がいいです」

「決める」

「では」

「ユノ個人宛てでも、まず帳場へ通す」

「はい」

「差出人不明は開ける前に保留」

「はい」

「内容が業務に関係しない私信は、宿として返さない」

「はい」

「危ないものは捨てる」

「はい」

「主様」

 と、リューシェ。

「やはりこういう時は妙に手際が良いのう」

「宿主だからな」

「出た」

「もう止めません?」

 と、ベルノルト。

「この締め」

「必要か?」

「必要ないです!」


 ユノは、返事用に分けられた手紙の束を見ていた。


 自分宛てだ。

 それだけでもまだ不思議だ。

 でも、それ以上に――自分の仕事が、ちゃんと誰かの記憶に残ったのだという事実が、じわじわと胸の奥へ沁みていた。


「……嬉しいです」

 と、ユノが改めて言う。

「そうか」

 と、アレクシス。

「はい」

「ならよかった」

「主様、今日は本当に普通のことを言いますね」

 と、ベルノルト。

「成長ですか?」

 と、リューシェ。

「何だそれは」

「だが悪くない」

「結局そこへ戻る!」

 と、ベルノルトが言うと、ユノはとうとう吹き出した。


 広間の向こうでは、今日も湯上がりの客が笑っていた。


 湯があり、飯があり、客が戻ってきて、そして手紙まで届く。

 朝霧亭は、本日もちゃんと騒がしい。


 そしてその騒がしさの中で、ユノはもう、ただ守られるだけの看板係ではなくなり始めていた。

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